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アニメゴジラ映画三部作で人間を問われる

ゴジラが大好きだ。2015年シン・ゴジラからの新規オタクだけど。名前に「GOD」がついている理由。生み出したのは人間の業という因果。その深くて重いテーマとSF具合。この怪獣が、ただの怪獣ではなかったことを知った時、私はゴジラが大好きになった。

そのゴジラがアニメ映画化されたという。しかも脚本は虚淵玄。わたしのバイブルアニメ、「まどか☆マギカ」の脚本を手掛けた方。大好きなアニメの生みの親と、大好きなゴジラの夢のコラボ。

しかしながら、当時の話題にならなさも相まって、1しか劇場で観ていなかった。今更ながら三部作全てを鑑賞したので、記録に残しておく。

「これは人間?」「これは人間じゃない?」「どうして?何が違う?」と問い続けられた映画だった。

1.怪獣惑星

開幕早々、人類は既に地球を追われている。老人たちを星に姥捨しようとするシーンから始まる。「上陸したい」志願者たちを乗せて。この時点で、ディストピアモノが大好きな自分は期待に胸が高鳴る。

熱核攻撃が効かなかった世界のゴジラ。人間が敗北を認めた世界のゴジラ。シン・ゴジラの世界に谷口蘭堂たちがいなければ、こうなっていたのかも?なんて、世界線の交差を妄想する。

そんな中で、ゴジラをどう倒すかを20年以上考え続けていたのが主人公のハルオ。「倒す、取り戻す」としているその執念の怖さ。

地球は人間の星であると、信じ切っている高慢さ。地球を奪ったやつ、人間の希望を奪ったやつ、人間の思いやりの心を奪ったやつ...彼の中では全てがゴジラのせいで、倒すべき相手なのだなと。いやあ、全く共感できない。

ゴジラに敗北したのは地球人だけではないというのが分かってくる。宇宙人であるビルサルド、エクシフ。地球人より科学や数学が発展した他の星の人類たちの力添えがあっても、ゴジラを倒すことができなかった。人類はみんなゴジラに負けていた。これ以上ない絶望的状況であることがわかってくる。

しかも、三種類の人類数千人を乗せて宇宙に逃げ出してみたものの、資源が底をつき始めていた。

人類たちは、一か八か地球に降りる、という賭けに出る。勝算がないわけではない。ハルオが公開した戦術レポートには、今までにないゴジラの倒し方があった。それに地球では1万年以上の月日が流れているはず。ゴジラだってもう死んでいるかも---

地球上陸の際の希望に満ち溢れたBGMが不気味だ。あの虚淵だぞ、ハッピーエンドで終わるわけがないのに...上陸艇の中での、ハルオのゴジラ渇望具合が怖い。もはや会いたがっている。

人間はゴジラと再会した。

戦闘時のリーランド大佐がカッコいいんだよな。リーランド大佐を見てくれ。

エンドロールの最後に、「三部作」 であることが知らされ、Twitterに「虚淵...!」と書き込んだことをよく覚えている。

この映画、「やったか?!」はやってない、を体現しすぎているんだよな。

2.決戦機動増殖都市

メカゴジラの登場。

映画が続くということは、もちろんゴジラとの戦いに敗れている。怪我を治療してくれたのは先住民のような、地球に住む別の人型の種族だった。フツワの民。ヒトではなく、虫が祖先であることが後々わかる。

その先住民であるフツワの民の案内で、人類はメカゴジラと再会する。起動寸前にゴジラに襲われ、やむなく廃棄したメカゴジラは、増殖して生き延びていた。

いやあ...「人とは?」の問いがここでくる。
人型種族は見た目が同じでもどうしても分かり合えない溝の描き方が絶望だった。

SF好きにはたまらない、「自分で考える」金属。メカゴジラの瓦礫から増殖していき、谷を覆う超巨大な軍事施設へと自ら成長していたナノメタル。

絶対人間へのしっぺ返しがくるやつでは?
しかし虚淵はそんなに甘くなかった。

別の星の種族であるビルサルドたちが、自らの意思で金属に飲み込まれていく。「肉体には制限があるから」という、合理的な理由で。これを見て地球人は恐怖する。同じような見た目なのに、言葉が通じるのに、全く根本の考えが違うモノたち。ビルサルドは取り込まれることが正義で幸福なことだと信じていた。

新兵器バルチャーがスタイリッシュなガンダムみたいでかっこいい。機動力の良さが効果音に現れていて、その疾走感が気持ち良い。

追い込まれた人間は、「撤退するか」「金属に取り込まれるか」の、ほぼ一択と同義の選択を迫られた、かのように見えたが、ビルサルドたちが選択の余地を消す。無理やり金属と融合させようと迫ってくる。

その光景を目の当たりにして、ハルオはほぼ私情でナノメタルを破壊した。

人間の感情が、ゴジラを倒す邪魔をした、というエモさね。人間であることを優先した結果、人間の生命を維持することを難しくする選択。

「人間としてゴジラに勝ちたい」「ゴジラに勝つなら人間をやめろ」という議論。ナノメタル化したビルサルドは、自立して話せる者もいる。体をナノメタルに取り込まれただけ。

「金属に取り込まれても人間?」「人間じゃない?」「なんで?」問いが広がっていく。そして本質であるゴジラは倒せなかった。

でも人間たちは安心している。別のバケモノを倒せた、と。

そして最後に、エクシフが恐れる名前を言ってはいけない怪物の名前が明かされる。

うわ〜〜〜〜〜!!!ここでギドラかあ〜〜〜〜〜!!!という興奮冷めやらないまま終了。この、次への期待の持たせ方が最高なんだよな....

3.星を喰うもの

いや〜これ、映画のポスターが最高なんですよ。ピエタの構図で、メトフィウスがハルオを抱いている。

ゴジラを倒せるかも知れない唯一の希望、メカゴジラを自らの手で地球人は破壊した。メカゴジラで倒したところで、その後自分達や地球がメカゴジラに覆われることになる。その未来を避けた結果だった。

ここで、宗教思考が蔓延していくのが面白かった。実際にもありそう。

縋るものがなく、今までの理不尽からか、エクシフの宗教を盲信していく人々が増えていく。側から見ると簡単に理由を証明できる事象を、「神が見ていたからだ」と結論づける。

宗教を信じていない人間も口を出せない。盲信しているものが圧倒的多数派だったから。みんなハルオを英雄扱いし、感謝こそするが、それはハルオがただの神殿のお飾りとなってしまったことを意味する。これがポスターの構図につながっていく。

この三作目こそ虚淵作品丸出しの、最高展開です。

地球人を盲信させたエクシフのメトフィウスは、彼らを生贄にエクシフの神を呼ぶ儀式を行う。その神は、滅びを呼んだギドラだった。

地球の外に待機している宇宙船が、ゆっくりゆっくりギドラに飲み込まれていく。時空が歪んでいる中で、「船内に生体反応なし...?わたしたち、もう死んでるって言うの...?」と呟くシーンが良い。

「ゴジラは果実」

メトフィウスはそう言う。あらゆる星で文明の果てにゴジラを産み、成長させ、最後にギドラを召喚して星ごと喰らい尽くす。それを繰り返してきた、と。

エクシフ、きゅうべえ的なやつだったか...

ハルオに干渉するシーンが、叛逆のほむらちゃんのシーンのように倒錯感があって良い。ここでフツワの民が助けるために呼びかけてくれるのだが、虫が祖先って、ああ、そう言うことか...!!!と合点がいく。モスラの影が飛び去っていった。いや〜、各怪獣の皆様の登場が毎回エモいんだよな。

地球を破滅させようとしているメトフィウスと、地球に人間を帰らせたかったハルオ。めちゃくちゃに真逆。分かり合えない。でも二人は親子にも親友にも近い関係で今まで生きてきた。お互いを攻撃しながらも、所作に思いやりが残っている。

メトフィウスの目を壊し、ギドラの破壊に成功する。

ここから、フツワの民と人類は交わって、地球で細々末長く暮らすのだろう。人々はフツワの衣装を着込むようになる。その中で、ハルオだけが戦闘服のままだった。

最後、バルチャーが起動する。それを頼りに再び文明を築こうと人々は喜ぶ。それを止めるように、ハルオはバルチャーに乗り、ゴジラに特攻していく。初めて見るような穏やかな表情と、ゴジラの熱線のコントラスト。

文明が成長していけば、人類は再びゴジラと戦うことになる。それを避けるために、最後の文明への希望であったバルチャーと、最後のゴジラへの憎しみを持った人間であるハルオを消す、という選択肢を取ったんだろうな、と思う。

フツワは「憎しみ」を知らない。ゴジラに憎悪を持たなければ、排除しようとすることなく生きていく。ゴジラも然りで、排除しようとするものや高度に発達した文明がなければ、ただ眠り続ける。

フツワの高い学習能力では、いつかハルオの憎しみも理解してしまう。そうすれば、フツワも憎しみという感情を持ってしまうかも知れない。

フツワが勝つためにハルオは負けたのでは?と考えます。

最後のシーンで、フツワの民が儀式を行う。バルチャーを模した装飾品をつけた男たちが踊り、その中で子供たちが「お怒り様」に対して祈りをささげる。

ハルオはフツワでもまた神として祀られていた。

うーん、すごい終わり方。最後の「お怒り様」のシーンで、結局ハルオは何か感情を残してしまったのだなと思うと、いつかフツワの民もゴジラと戦うことになってしまうのだろうか...とか、

最後のバルチャーは熱線で焼かれず、ゴジラに届いたように思う。死にはしなかったと思うが、ゴジラには当たったのでは...とか。

思ったより穏やかな終わり方ではあったが、考察する余地があってすごく楽しかった。虚淵ファンにはおすすめの映画です。

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