2003 October, Berkeley

2002年の秋にカリフォルニア大学バークレー校(通称UCBですね。)で講演した縁で、2003年の秋学期に大学院でスタジオを持つことになります。友人だったラビバーン先生とのジョイントスタジオです。本当は一学期間、15週間ほどバークレーに滞在しないといけないのですが、日本での設計実務と大学での仕事があります。UCBと色々相談して、まず課題のスタートの5週間は滞在し、そのあとはラビバーンに任せて最後の最終講評に再びバークレーに戻るというスケジュールになりました。
日本に留学し日本の生産システムについての著書もあり、それにも増して前年の2002年に私をUCBに読んで講演をする機会を作ってくれたデイナ・バントロック先生が私のために5週間滞在する住まいを用意してくれ、私のバークレーでの生活が始まりました。

デイナが用意してくれたのが、通称”in-low house”と呼ばれる住宅の一室でした。この” in-low house”というのは、例えばmother in low,すなわち義理の母と同居するような住宅、一つの建物に玄関が二つあり、一つは家族用、もう一つは「義理の母」の住まい用で、言って見れば通常の一世帯用の住宅にシングルユニットが付随しているものの、外観は一軒の住宅のように見えるという、義理の母との距離を取りながらも外から見ると一つの住宅にしか見えないというものでした。
私はその「義理の母」用のユニットが貸し出されていたものに入居したわけです。

その時に借りていたレンタカーはFordだったのですが、大学の同僚から建築家はFordなんか乗っちゃいけない、Porsche911でしょう、じゃなきゃSaabかHonda Accordにしなさい、と言われて、これはレンタカーだからしょうがないよ、と言い訳してみたり、サンフランシスコの日本と同じくらい自己主張の強い運転マナーに比べると全く異なるバークレーの運転マナーの素晴らしさ _ この時初めて、交差点での”After you"のマナーを教わります _ の違い、ベイブリッジを渡るだけでこんなに運転が違うのかと驚いてみたり、月曜日の同僚との会話、先週末はどこに旅行したのか、という会話に巻き込まれて、週末にバークレーなんかにいちゃいけない、カリフォルニアには自然しか見るものはないから週末にはタホ湖かナパに行きなさい、とアドバイスされる毎日が始まったのです。
確かにカリフォルニアでは車がない生活は考えられません。
ニューヨークなど、アメリカの大都市だけを訪ねているとわからないアメリカのライフスタイル、公共交通機関というインフラのない生活、しかし周辺に素晴らしい自然が溢れているのがアメリカの普通の田舎なのだ、ということをバークレーを拠点に生活してみると、体で理解できました。

その時にちょうど封切られていてサンフランシスコの映画館で観た映画が”Lost in translation”、日本に来たアメリカ人が日本の現代の風俗や状況と出会って戸惑うという、文化の差異を主題にした映画でした。自分自身がアメリカ、それもバークレーという特殊な場所ではあるものの、その場所の日常的な習慣やライフスタイルに初めて出会ったところでしたから、主人公に共感したことを覚えています。

バークレーから東へと向かうとタホ湖があります。
そこへと向かう風景もまた、カリフォルニアでした。

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サンフランシスコを通過して南に向かうとモンタレー、カーメル、それのラグナセカや16マイルズドライブなど、アメリカの富裕層が老後を過ごす場所として人気のエリアもあります。毎週、週末はバークレーを離れ、サンフランシスコにも立ち寄らない日々を過ごしました。

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バークレーで出会った先生に、アメリカには自然しか見るべきものはないと言われた時には、なるほどバークレーの先生らしい皮肉に満ちた言い方だな、ヒッピー・ジェネレーションも高齢になるとシニカルなんだ、と思ったものですが、カリフォルニアの田舎で出会う自然の美しさに感動すると同時に、以前訪れたニューメキシコ、アルバカーキからタオスのプエブロを見に来るまで走った時に出会った、ニューメキシコの自然、樹木一本生えていない荒涼とした地面だけの風景、砂漠と呼ぶほど詩情に満ちてもいない、西部劇の映画に出てくるような自然のことを思い出しました。

カリフォルニアの緑や海に恵まれた風景だけが自然ではない、あのニューメキシコの風景も紛れもない自然なのだ、その両方が存在しているのがアメリカなのだ、と思っていました。

で、そのUCBのスタジオのためにラビバーンが用意してくれていた課題が、隣のネバダ州のある”Salten Sea”という名前の塩湖があります。その水辺にはAlbert Freyがデザインしたビーチクラブの建物が建っているのですが、それも放棄されて廃墟になっている、そんな生命の存在を感じさせないような、砂漠の中の塩湖をスタディし、建築を提案するという課題でした。人間のみならず生物が存在し得ないような塩湖に建つ建築を考えること、週末ごとにカリフォルニアの自然て素敵だなあ、と能天気に考えていた自分を、自然とは何かという、建築家にとっての根源的な問いに引き戻してくれたのはこの課題でした。自然とは何か、それはいうまでもなく建築とは何か、という問いかけと同じ問いかけなんですから。

その答え?

誠実に、でもどうしようもなくずるく聞こえる言い方で言うと、今だってまだ答えられません。人間が暮らせないような環境に建築を設計しろと言う課題ですから、学生たちも悪戦苦闘していましたね。と言うことはいい課題だったんだ、と今では思っています。その時は教師ってずるいな、自分でも答えられない課題を出すんだからと思ってました。

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建築家・建築設計事務所 ケイ・アソシエイツ主宰  京都大学名誉教授/京都工芸繊維大学名誉教授  現在は京都芸術大学大学院教授