2019 October, Part 3_Rome

さて、パエストゥムを離れ、ナポリからの電車でローマのテルミニに戻ったのはもう夜遅く。

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次の日、まずはカンピドリオの丘に向かいます。
この広場、ミケランジェロの楕円形平面の広場に来たのは1980年代が最後で、それからはご無沙汰していたのですが、2019年に進行中だった中国でのプロジェクト、オフィスビル2棟にレジデンシャルタワー1棟の3棟構成の巨大オフィス・コンプレックスを設計中で、そのうちの最大の建物、15万㎡のオフィスビルの中庭にこのカンピドリオ広場を実物と同じサイズで計画しており、スケール感と2焦点楕円平面を再確認したいと思い、訪ねることにしたのです。

その中国での計画はこんなものです。

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カンピドリオ広場の引用といえば、磯崎さんの筑波センタービルですが、意外にヒューマンスケールだった記憶があり、その巨大オフィスビルの、しかも巨大な中庭のスケール感とどう対応するのか、心配だったのです。

筑波センタービルはこれですね。

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で、カンピドリオ広場です。

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スケール感としては想像していたよりも小さく、しかもそこにあるレベル差を解消するための階段がそのスケール感を落とすために機能しています。
既存の建物群の設定GLレベルが異なるのを調整するためでしょうが、それが例の床の舗装パターンと相まって、広場の中での様々な場所を差異化していて、そのこともスケール感の獲得に役に立っているのでしょう。

この広場もミケランジェロが広場に面する建物までを設計したわけではありません。既に在る、既存の建築という文脈を生かしながら、そこに楕円形の広場を挿入することで、それぞれの建物に適切な新しい場所と建物相互の距離感を導入すること。
カンピドリオ広場で思い出したのは、テルミニの近く、ローマの浴場をミケランジェロが改装して教会としたサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会やサン・ロレンツォの中にあるラウレンティアーナ図書館です。
どのプロジェクトも何もない白紙状態からスタートしたプロジェクトではありません。カンピドリオ広場でも既に在る建物群を読み取り、そこに楕円形の広場を挿入しているわけで、広場の計画が先にあったわけではありません。

前日いたパエストゥムとは違った意味で時間を味方につけること、それが建築なんだとあらためてこの広場で思いました。今回はアルベルティのサンタマリア・ノヴェッラもそうでしたが、建築と時間について考えさせられます。
あるいは大きな時間の流れとその中で一人の建築家が成し得ることの可能性について、です。

思いついて、先日バスの中から見えたローマの円形遺跡を見に行こうと思い立ちます。調べるとあの建築はマルケルス劇場と呼ばれるローマの遺跡でBC13年にできたのち、時間の経過とともに改装・変更され、現在見るものは16世紀にその廃墟の上に住宅として建設されたものだそう。なんとその増築の設計はペルッツィでした。いくら「ブルーカラーの建築家」を自称していたとしても、不勉強でしたね。

で、そこに向かいます。

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足下廻り。

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新旧切り替わるディテール。

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足下に広がる遺跡。

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朝起きると目の前にローマの遺跡がある街で暮らす、そこで建築家として活動することがイメージ出来ません。自分が日常的にやっていること、建築の設計という営為が虚しくならないだろうか、と思います。
私自身、歴史都市の京都で暮らしていて、たとえばすぐそばに大徳寺がある場所で暮らしていて、自分の建築を自画自賛できるわけない、ましてやローマなんて京都の2倍の時間がその場所に流れていて、何世紀か前の煉瓦造や石造の建築がそこら中に在る街です。この時ほど、木造の国の都市、京都の建築家であることを幸せだと思ったことはありません。
自分自身が建築家としてローマに暮らすことを考えると、押し潰されてしまうでしょうから。こんな歴史環境でどうすれば建築家としてやっていけるのでしょうか。

そんなことを考えていながら、でももう一つ、ミケランジェロを見てやろうと思い、パラッツォ・ファルネーゼに向かいます。
実はイタリアに来てから友人のFacebookを見ていると、彼がローマにいることがわかり、夜、かれの大学のサテライト・オフィスがあるところで会う約束ができ、その近くにパラッツォ・ファルネーゼがあるので、下見をかねての散歩です。

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その前の広場に古いアルファロメオのスパイダーが止まっていました。これ、1960年代のピニン・ファリーナの仕事ですよね。
ミケランジェロの前に停まるピニン・ファリーナ。これ以上にイタリア的な風景があるでしょうか。

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ついでに近くにあるボッロミーニのパラッツォ・スパーダを見に行きます。

正面ですが、さすがに変なプロポーションですね。

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中庭です。

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図書室からみる、例のパースペクティブのトリック。

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そちら側の中庭に出ます。

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そしてパースペクティブを強調した場所です。

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前日に体験したパエストゥムを思い出すと、17世紀のボッロミーニはもう我々の同時代の建築、ほとんど現代建築だなと思いました。前日の体験は同じ人間が創り出したものというよりは時間そのもののように思え、人間よりも時間が上位概念であることを教えてくれたような気がします。
ボッロミーニの建築は時間ではなく、我々と同じ人間の営為だと確信できますから。それはボッロミーニのサンカルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネは大傑作ですが、あれでも同じことだと思います。人間が創り出したもの相手なら嫉妬もできますし、敗北感も味わえます。でもパエストゥムはそうした人間の営為を超えた世界の姿、繰り返しになりますが世界の終わりとしかいいようのない世界の姿だった。

そんな気分になったので、あらためてその日もまたパンテオンへお参りに。

その日の光。

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一度ホテルに戻り、夜には友人と会うために再びこの近所に戻ります。
夜のパラッツォ・ファルネーゼ。

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友人からこのパラッツォ・ファルネーゼのファサードは直線ではなく、気が付かないほど緩やかな凹面になっていることを教わります。残念ながらもう夜で、しかも雨。みんなで見ながら確認していたのですが、レンズの歪みの方が大きくて、写真ではわかりませんでした。
その代わりにここはローマ、なのでカルボナーラを頼んだので、その写真で代用です。

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これで私の「トスカーナへの旅」は一旦終了です。
「トスカーナへの旅」と名前を付けながらローマで、ミケランジェロとカルボナーラで終了っていうのは自分らしいかなと思います。でも何回も繰り返しになりますが、パエストゥムは自分にとっては重要な場所でした。
最初は「トスカーナへの旅」というタイトルだから、自分を建築家へと導いてくれたブルネレスキの話で終わろうと考えていたのですがパエストゥム、それにミケランジェロとは。
ですがこれが現在の「岸和郎」なんでしょう。

でも私の「トスカーナへの旅」は続きます。あらためて何か描き始めるかもしれませんから、2019年10月のイタリア行き、その最終日の出来事までは描きません。

あらためて、その時までお元気で。

岸和郎

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