2008 July, Part 2_Celebration-3

前回はナパで大人のテーマパークを夢想したのですが、少し前に戻ってセレブレーションというテーマパーク都市について書いてみました。
実はテーマパークという主題は自分にとっては特に都市空間を考える時に忘れてはいけない主題だと思っています。
ところでそういうテーマパークという主題で考えると、最も真剣にその存在の意味を考えなくてはいけない都市は、ヴェネチアではないでしょうか。記憶が正確ではないですが、あのヴェネチアは1960代初頭に新しい建築の新築を禁じます。あの街を訪ねる人は意識的にか、無意識でか目に入っても覚えていませんが、サン・マルコから少し入った小さな広場に面して新築が禁じられる以前に建った近代建築が存在しています。

完全に風景をコントロールされたセレブレーションのようなテーマパークと違い、ヴェネチアは現実の都市としてそんな過去の残滓が残っていること、それが都市空間としての味わい深さとなっていると思います。そして私が生活している都市、京都も今やテーマパークです。ほとんど京都全域が概念としては「東映映画村」化してきています。都市としての生き残り方を考えるべきは現在なのではないか、現在を逃すと手遅れになるのでは、と思っています。ヴェネチアのように近くに新都市をつくって生産機能をそちらに移すというわけにはいかないですから、「京都方式」の創造。京都発の歴史都市のサバイバル提案が求められています。
では、どうすればいいのか。
私自身は屋根を掛ける、軒を出す、上階の壁面後退といった美観風致のルールづくりを一段落させ、もう少し形式ではない方法論、例えばヨーロッパの都市空間を考える時に出てくるタイポロジーという概念などがカギになるのではないか、と考えています。
余談ですが、遠い昔にロブ・クリエという建築家の書いた「建築と都市のタイポロジー」という書籍を翻訳しました。確か、第二次世界大戦で破壊されたドイツの都市景観をどう再生するかという主題だったと記憶するのですが、こんなところにもヒントが隠されているように思うのです。

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先ほどから露悪的に使っている「テーマパーク」という概念も実はタイポロジーに概念として近いのではないかとも思います。要はどんなコンセプト、概念も使い方次第ということでしょうか。


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