2018 March, Part 1_Rome-1

2016年に決心したことがありました。
自分の原点確認としてのイタリアへの旅、それはローマとフィレンツェへの旅だったのですが、それを実際にやって見て2017年のフィレンツェで思ったこと、それはブルネレスキだけではなくてミケランジェロも今ならようやく見に行く自信ができたことでした。これ、ブルネレスキには失礼この上ないことなのですが、ブルネレスキ先生の後ろはこの30年間追っかけてきて、ようやく自信過剰な建築家としての自分だけではなく、同時に制作者としての自分の限界も見えてきたと思います。
ここまできて本当に初めて、今度は建築の純粋な鑑賞者になれる気がしてきたのです。

これまで建築を、あるいは絵画や彫刻でさえそれらを見ていると、常に自分の問題にしか見えなかった、だからこそブルネレスキの自分にとっての位置が見えていたのですが、ここにきてようやく、純粋に芸術の鑑賞者として建築や絵画の前に立てるかなという気がしてきたのです。

それはある意味では建築家としてクリエイティブであることの放棄かなとも思うのですが、一方、大学院を建築史の研究室で過ごし、自分は日本の近代やカリフォルニアのモダニズム、それにルネッサンスを勉強していたのですが、隣の先輩はミケランジェロで論文を書いているし、その向こうには京都の街並み保存をやっている先輩もいるという環境にいました。その時に知った建築を鑑賞する悦びをあらためて噛み締めてみたいと思い始めたのです。

あらためて大学院当時の好きだった建築。

まずは、土浦亀城自邸。日本のモダニズム。

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ついでにヨーロッパのモダニズムの作品も好きだった。アンドレ・リュルサ、ルックハルト・アンド・アンカー、リューベトキン・アンド・テクトン、イタリアではテラーニにリベラ、それに最近までアメリカでの作品を機会があれば探して観に行っていたマルセル・ブロイヤーは後期のアメリカでの作品だけでなく、ヨーロッパでの初期も好きでした。

ブロイヤーのアメリカでの作品です。

写真04_ブロイヤー・ハウスⅠ

写真06-2_ ブロイヤー・ハウスⅢ_サイズ縮小

それに1950から1960年代。南カリフォルニア、ロサンジェルスで展開された一連のケース・スタディ・ハウスの建築。

例えば、クレイグ・エルウッドのCSH#16。

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256_CSH#16_サイズ縮小

さらにピエール・コーニッグのCSH#22。

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唐突ですけれど大学院時代、建築史研究室での夜の雑談を思い出します。それはルネッサンスの建築家は今で言うと誰か、という話題です。当然ですがパラディオは磯崎新でしょう、じゃあ、槇文彦は誰かな、やっぱりアルベルティじゃないかな、というようなたわいも無い話題だったのですが、その時には自分がブルネレスキを目指そうなんて、もちろん夢にも思っていませんでした。

でもそれから数年後、初めてのフィレンツェで孤児養育院を見て感動し、こんな建築を創りたいと破天荒な思いに囚われ、自分の立ち位置を定めたきっかけは、この「ルネッサンスの建築家、その人は現在で言うと誰?」という、建築史研究室での夜11時頃の雑談だったんだ、と思い出します。15世紀と20世紀を同列に考えるという発想でした。

ちなみに磯崎さんから連想したパラディオの代表作、ロトンダです。

ロトンダ

槇さんかな、と想像したアルベルティはサンタ・マリア・ノベッラ。フィレンツェの駅前に建ちます。

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写真で眺めながら、当時の磯崎さんや槇さんの仕事を思っていました。
ついでに、孤児養育院。ブルネレスキです。

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でも今考えてみると、その学生時代の雑談は結構過激なものでしたよね。なぜなら無意識のうちにルネッサンスと現代、それに近代との価値観の同質性を参加していた学生全員が当然のものだと考えていた訳ですから。
でもその頃から、ルネッサンス以降現代まで、建築に変化はないというのが自分の決まり文句でした。時には、近代は15世紀から始まるという言い方をしたこともありましたが。
現在思うと、それは当時よく分からないで読んでいた、ロバート・ヴェンチューリの「建築の複合と対立」の余波とも言えますね。
書棚を探したのですが、見つかりません。何十年ぶりかで見たかったのですが。

長い前置きになりました。

旅行記はまた次回につづきます。


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