2017 October, Part1_Berlin-2

Berlinのつづきです。

まず一つは第二次世界大戦時の防空壕_それも工場跡と聞きました_をこれもイギリスのジョン・ポーソンが改装したギャラリーです。真白いミニマルな空間をつくるこの建築家も1990年代はじめに同じ出版社で作品集を出した仲。その頃はお互いに若手の建築家だったのですが、時は流れます。
そのミニマリストである彼が自然光の入らない、人工光しかない場所でどんな空間をつくるか、興味津々で訪れました。

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外観はまさに第二次世界大戦の防空壕というか、Bunkerです。それに金属外壁の増築が後ろの方にされている。

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インテリアに入ると、基本的に漆黒の闇の空間がベースとなり、美術品が置かれている場所のみに照明が当てられています。その美術品が東洋の宗教美術が主体だからか、美術品の配置に軸線を用いていることからか、どこか密教的な空間。

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奥にはガラスの向こうに水が湛えられ、弱く光を反射する水面が見えます。

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ベルリンで見たかったもう一つの建築は、ミースのレムケ邸です。
これはベルリンの郊外の住宅地、それも小さな池に面した敷地に建つ住宅で、よく知られたバルセロナ・パビリオンに至るまでの過渡的な作品で、クレフェルトにあるランゲ邸とエスタース邸と近い時代の仕事ですね。
私自身、もちろんバルセロナ・パビリオンは大好きな作品ですが、ミースの作品という総体に対してはどうも簡単に好きだとか、嫌いだとか気軽には言えないような対象で、その確認でクレフェルトまで訪ねたこともあります。したがって、このレムケ邸は絶対行きたいと思っていました。

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2階建で双生児のようなランゲ邸、エスタース邸とは違って、このレムケ邸は小さな、L型平面の平屋の住宅でした。

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小さな建築だからこそ、見えてくることがあります。
全体の平面形はL型で前面の通りと隣に対しては閉じながらL型の両ウィングに挟まれた中庭空間は敷地奥の池へと開いていくという、典型的なモダニズム_近代のプランニングです。
その一方でそこここに、特に開口部の形状にはシンメトリーが使われている。
古典的なシンメトリーによる美学と近代的なプランニングの出会い。

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いやー、訪ねてよかったです。
実はミース先生に、君は間違っていないよ、と言ってもらったような気がしたのです。
それは私が1990年につくった建築、京都科学・開発センターという建築の立面を考えた時のことが蘇ったから。
この建築は2つのヴォリューム、それもスティールのヴォリュームとコンクリートのヴォリュームが絡み合い、それ自身がその場所のランドスケープと相互に関係を持つというスキームで進めたのですが、その時にファサードを纏めるために取った方法が全体のヴォリュームのアーティキュレーションと関係しない部分にシンメトリーを導入するというものだったのです。それもこのレムケ邸と同じく、開口部へのシンメトリーの導入という、全く同じやり方でした。

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建築を見ていていいなあと思うのは、こういう瞬間が訪れるからです。それは
ラウレンティアーナ図書館でミケランジェロが微笑んでくれたような気がしたり、レムケ邸でミースと出会えたような気がしたりした、そんな瞬間です。

ベルリン郊外からホテルに戻ったのですが、途中でお腹が空いて、カレービュルストを駅のカフェで食べました。幸せな気分になって。

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カレービュルスト。

賞の審査というベルリンでのお仕事が終わって、ここからは自分のための旅、ローマとフィレンツェへと向かいます。
もっともベルリンの最終日、シンケルに始まりミースに終わった1日はすでに自分のための旅の始まりだったのですが。それも幸せな第1日目だったわけです。


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