【今日のニュース】7月4日は独立記念日 サンドクリークの虐殺

1776年7月4日、イギリス植民地下にあった13州の代表者が、ペンシルベニア州議会の議事堂の広間に集り、トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言が署名され、この時以来、独立記念館(インデペンデンス・ホール)と呼ばれるようになった。

独立記念日、クリスマス、感謝祭は三大祝日とされアメリカ人は盛大に祝います。






国民性

よくアメリカ人はポジティブと言われます

ようは自分がした悪い事は忘れて楽しい事考えようの精神です。誰だってそうしたいわな。

韓国人はハン(恨み)の民族と言われています

これも中国の属国で長く苦しい生活、人減らし、略奪や強姦という書くのも憚られるような悲しい歴史作り上げた精神構造です

韓国では痴漢をした男性が女性に殴り殺されるというなかなか日本ではないような出来事が多数ありますが国民性だと思います

アメリカ人は現在も過半数の人が原爆は正しかったと考えているようです。これも国民性なので治る事は無いと思います

アメリカ人はアメリカには歴史が無いとよく言うが、血なまぐさすぎて歴史の授業で教えられないのですよね

負の歴史を削っていくと何の歴史も残らない。それがアメリカ。


ちょっと脱線したのでサンドクリークの虐殺について書いていこうと思います。


サンドクリークの虐殺とは?

内容はwikiに任せませます

まあまあ気分悪くなるので読むのは注意ね

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先住アメリカ人は本当に平和主義な社会構造で現代においては一番良いシステムと思いました。

先住アメリカ人の各部族には酋長がいますか、彼は指導者ではなく調停者

話し合いの時に代表する人で権力はないそうです。

それでも各部族間で争いになった時、酋長の話し合いの後は大抵の人がそれに従い争いをやめたそうです

白人との闘いで無抵抗な彼らは最後まで話し合いで解決しようとしましたが全て亡くなりました




キリスト教は、ハッキリよくないといえる

いや、正確には人間の凶暴さに対して宗教は影響しなかったのかもしれない。信心深かろうが無神論者だろうともね。目の前の虐殺を正当化するために宗教を利用するのはあったかもしれない


人類で最もひどい虐殺というのはスペイン人による南米支配、インディアン虐殺、中国人によるチベット虐殺の3つだと個人的に感じています。ヒトラーのホロコーストとか日本軍などはその下。

事の大小よりも被害者の絶滅度合い(被害者の声が出ないほどの消滅)、報道規制、逆に過剰報道などで過去の過ちは大きくも小さくも伝えられている気がします。だから歴史捏造は悪い事だし、騙されない、都合よく解釈しない、正しい情報を探す努力が必要と思いますね。



大地は、誰のものでもない

インディアンたちは、トウモロコシやカボチャを栽培して食していました。
ディズニーのアニメ『ポカホンタス』で、黄金を求めてやってきた白人の航海士にインディアンの娘・ポカホンタスがトウモロコシを「金よ」と差し出すシーンは印象的ですね。
またタバコは聖なるもので、どんな儀式のときもタバコの煙で清めを行っていました。
今私たちに馴染みあるタバコ、トウガラシ、いんげん豆などはインディアンたちがもとは栽培していたものです。
さらに狩猟や採集で生活を営んでいました。

インディアンたちは「大地は誰のものでもない」と思っていました。
所有するという概念がなかった、もしくは薄かったといいます。
すべては「みんなのもの」であり、分かち合うべきものであると。
そのため、のちに白人たちと対峙したときに「土地の所有」という意味がわからずに混乱したのです。


白人たちの上陸と、認識の相違

「彼らは理想的な奴隷となるだろう」クリストファー・コロンブスはそう日記に記しています。
1492年10月、白人たちはついに「新大陸を発見」します。
はじまったのは、虐殺と弾圧の歴史でした。
コロンブスが最初の上陸でアメリカ大陸に滞在していたのは、1492年10月から翌年5月までのわずか7ヶ月。
そのあいだに繰り広げられたのは、虐殺と伝染病によるおびただしい死でした。

このとき白人たちは重大な認識のあやまちをします。
アメリカ先住民たちは、アフリカ部族社会のように「酋長」がいてその下にヒエラルキーが存在するものだ――と、白人たちは考えていました。
が、しかしインディアン社会は完璧な民主主義。
この認識の相違もその後のいさかいのもとの1つとなります。





引用

先住民迫害の過去から目をそらすアメリカは変わるのか

<先住民のアイデンティティーの問題が現代のアメリカ社会の日常で語られることは少ない>

アメリカでは11月の第4木曜日に家族が集まって感謝祭(Thanks Giving)を祝う。そして小学生たちは、アメリカに入植した清教徒や先住民のインディアンの衣装を着てアメリカの感謝祭の歴史を学ぶ。

その歴史とはこういうものだ。イギリスでの宗教弾圧を逃れてマサチューセッツ州のプリマスに住み着いたピルグリム・ファーザーズが作物を栽培できずに飢えそうになっていたときに、その地の先住民であったワンパノアグ族(Wampanoag)が食物を分け与え、栽培の知識を与えた。そのために生き延びることができた入植者は、収穫が多かった翌年にワンパノアグを招いて宴会を行った。それが感謝祭の始まりだと言われている。

だが、初期の入植者とインディアンの関係は、小学生が学んだような心温まるストーリーではなかった。

免疫がないインディアンの多くが、入植者の持ち込んだ疫病で死んだが、それだけではない。白人の入植者らは、自分たちを救ってくれたワンパノアグ族の土地を奪い、女や子供を奴隷として売り飛ばした。そして、それに抗議した酋長を毒殺し、後続の酋長が抵抗の戦いを挑んたときにはワンパノアグ族を壊滅状態にした。勝利した白人入植者は酋長の頭を槍の上に刺して、見せしめとして飾った。このときに惨殺されたインディアンは他の部族も含めて約4000人と言われる。

その後も、白人たちはアメリカ全土でインディアンから土地を奪い、虐殺し、奴隷にし、作物が採れない場所に追いやったのだ。

感謝祭に七面鳥の丸焼きを食べながら家族団らんをするアメリカ人のほとんどが、この残酷な歴史を知らないか、無視している。先住民に対するアメリカの白人の態度は、おもに「過去のことにこだわっているから前に進めないのだ。さっさと忘れて、自分たちの暮らしを良くするために努力したらどうだ?」というものだ。

だが、現在のインディアンのコミュニティが貧困、アルコール依存症、家庭内暴力といった社会問題を抱えている根本的な原因は、この血みどろの歴史にあるのだ。それなのに、どうすれば忘れ去ることができるのか?

今作でデビューした作家トミー・オレンジ(Tommy Orange)の『There There』の根底には、その血みどろの歴史と行き場のない憤り、そして未来への迷いがある。

この小説には、カリフォルニア州オークランドに住むインディアンの血筋を引く者が多く登場する。

アルコール依存症の母から生まれた胎児性アルコール症候群の男、資金提供を受けてインディアンとしての体験談をフィルムにしようとする若者、母に連れられてインディアンによるアルカトラズ島占拠に参加させられた姉妹、大学でインディアン文学を専攻したが就職口がなくて母の家で引きこもりになっている男、16歳のときにレイプされて生まれた娘を養子に出した女性、裕福な白人家庭に引き取られたためにインディアンとしてのアイデンティティーを後に得た女性、子育てを放棄した姉の孫たちを育てる女性、祖母が隠していたインディアンの衣装を取り出して身につける孫など多様だ。一見、何の関係もないような人々だが、インディアンのお祭りであるPow Wowで劇的に繋がる。

タイトルになっている『There There』は、通常はがっかりしている人や泣いている人をなだめるためにかける言葉だ。日本語なら「よし、よし」という感じだろうか。ラジオヘッドの有名な曲「There There」を連想するかもしれない。

だが、この小説のタイトルは、作家で詩人のガートルード・スタインの『Everybody's Autobiography』からの有名な引用「there is no there there(そこには、「あそこ」がない)」から来ている。1880年代にカリフォルニア州オークランドで子供時代を過ごしたスタインは、1935年に45年ぶりに故郷を訪問した。だが、オークランド市はスタインの子供時代から10倍の大きさに成長しており、牛や馬がいた懐かしい「あそこ」の風景が消えていた。その切なさが、「there is no there there」という表現になったのだ。

作者のオレンジもオークランドに住んでいる。この地に住むインディアンは、インディアン保留地ではなく都市を選んだ者だ。だからといって、彼らのすべてが同じ理由でここに住んでいるわけではない。そして、インディアンというアイデンティティーに対する考え方も、プライドも異なる。

そもそも、「先住民」の呼称についても、一致してはいない。アメリカの白人は、ポリティカル・コレクトネスで「Native American(ネイティブ・アメリカン/アメリカ先住民)」と呼ぶが、自分たちをそう呼ぶインディアンなどいないとオレンジは書いている。彼らの間では、Nativeという呼び方が多いようだ。私の別の記事について「インディアンという呼び方はしてはならない」と忠告した日本人がいたが、Indianも彼ら自身が選んで使う呼称だし、公式文書にも使われている。尋ねる人によって、それぞれの呼称に対する考え方は異なるのだろう。

そういったことも含めて、この小説に描かれているインディアンの歴史や文化、生活を、アメリカに住む私たちはほとんど知らない。マジョリティの白人だけでなく、移民や黒人についての本は沢山あるのに、この国に最初から住んでいた生粋のアメリカ人を伝える本は少ないし、あまり読まれていない。

それを、オレンジのこの本は変えてくれそうだ。

この作品の根底には、「自分の国を奪われ、自分たちが先に住んでいたというのに、侵略者たちから異邦人のように扱われているインディアンたちが、どうやって民族の文化と歴史、そしてプライドを維持していけば良いのか?」という問いかけがある。

その問いに、私たちは答えることはできない。

けれども、内容を少し変えれば、これはどの民族や国民にとっても普遍的な問いかけになる。

民族、人種、宗教など、それぞれが持つ独自の歴史を、私たちは背負って生きている。その歴史が辛いものであっても、それが現在の自分を壊すものであっても、レガシーとして引き継ぐべきものなのか。それとも、切り捨てるべきなのか。誰もが迷いながら生きている。

私たちは誰もが、スタインが感じた切なくて苦いノスタルジアの「there there」を知っている。だからこそ、オレンジの本は、すべての読者に訴えかける力を持っている。






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