【日本史の日記】纒向遺跡で鉄が一つも出ないのに、ここが邪馬台国と主張するには無理がある

短め簡素な日記

纒向遺跡は近畿にある、住宅建設中に見つかった遺跡。
関西の人によれば、卑弥呼の住んでいた場所(つまり邪馬台国)とのことで、大量の人員と税金を使い大規模な発掘調査が行われてきた。


邪馬台国でない事の証明

纒向遺跡はたびたびヤフーニュースになる。
木製の馬の蹄1700見つかった
桃の種2800個みつかったなど。
残念ながらこれは邪馬台国でないことを強める物証になっている。
魏志倭人伝には何度も鉄に関する記述が登場し、鉄の鏃、鉄器、邪馬台国の情景が細かに書かれている。

結局の所、これだけ調査して鉄が一つも出ない遺跡を邪馬台国と呼ぶのは無理がある。
知恵袋には邪馬台国畿内説論者による、鉄というキーワードを無視し、論理破綻した独自展開していく文章がいくつもあり驚愕する。

間違っていたのなら認め、考えを正すことが人として大事だ。
なお、鉄リサイクルしてたから出土しないんだよ説は無理がある。
鉄を溶かす窯も見つかってないからね。



纒向遺跡、出土土器の種類

最も出土しているのが土器で、数が多いというのは正確性があがり割と重要な情報になる
出土土器は85%が奈良系、九州系(朝鮮・中国系)は0.1% 残りが関西圏

この事から交流盛んな都市とはイメージできず、隔絶された大都市がイメージ出来る。
諸地域と交流が活発、各地の物資や中国からの寄贈品という魏志倭人伝の記載とは異なる。

この記事が参加している募集

スキしてみて

購入されたら他の記事購入資金に使わせてもらいます