名称未設定-2

短編小説|好きな人の好きな人#4

「なんか香ばしい匂いするね」

仕事終わりのぼくに、皆そう言うようになって何年が過ぎたのだろう。

パン職人の宿命なのか、仕事終わりの体に焼きたてのパンの匂いが染み付くようになり、いつしか自分自身ではわからないくらいまでになっていた。

毎朝、3時半のアラームを止め、慌ただしく、ぼくは家を出る。

もうすぐ12月だというのに、息が白くならない朝。正確にいうと暗すぎて息が白いかどうかなんてわからない。

夜の空は黒なのか青なのか紺なのかよくわからない。皆が眠っているというのに起き出して自転車を漕ぐ毎日が好きだ。

まだ、太陽は昇る気配はない。

孤独というにはあたたかく、どこか見守ってくれているような夜の闇にみる空が好きだ。

パンを作ることを仕事に選んだのはある意味仕方がない成り行きのようなものだった。そこまでパン作りに思い入れはない。パンが好きというわけでもない。ただ、昔から「つくる」ことというのに、とてつもなく惹かれる自分がいた。

本当は、文字で勝負する仕事になりたかった。今、何度ぼくが過去作った文章を読んでもこれほどいい作品はないと思う。自画自賛である。ゴッホのように死んでから評価されるようになるのか。いや、死んだ後評価されたってなんの意味もない。むしろ死んだ後評価され生きている今、なんの価値もないのであれば、死ぬと同時に作品は葬り去ってほしい。

だからぼくは決めた。

パンという絶対的に消費物で、その場で評価が真っ当にもらえる領域で勝負するんだと。

同じ「つくる」といってもかなり畑違いなことをしているのはわかっている。が、こっちの方が性に合っている。せっかちなので。

パンはそんなに好きではなかったが、この老若男女に愛され、すぐに自分に返ってくるこの仕事を誇りに思っていた。

この前、うちの店とは似つかわしいくらい、おしゃれな雑誌の取材が来た。まあ、掘り出し物発掘みたいな感じで、商店街の片隅にひっそりある小汚いこの昭和のベーカリーを見つけたのだろう。最初はなにかの間違いかと思った。

雑誌の影響力とは偉大で、あの雑誌が出て以降、ポツリポツリと客足が増え始め、今や雑誌が出る前の倍くらいの売り上げになった。

嬉しい反面こちらは迷惑である。なにぶん一人でやっているし、マスターだって一切手伝わない。ぼくは顔でイライラしながらもこのパンがたくさんの人に知れ渡ることにちょっとドキドキしていた。



12月に入り、相変わらずの客入りと師走も合間って、ぼくは到底一人では捌き切れなくなりマスターに懇願して、バイトを1名入れてもらった。

今まで1日中休みなく働きっぱなしだったが、やっと、休憩が取れる。

よく、家を売る商売の不動産会社のサラリーマンが多忙で、家に帰る暇がないという皮肉を耳にするが、パン屋が多忙で、ゆっくりパンとコーヒーを嗜む休憩時間が取れないのもなんとなく似ていると思った。

バイトの子に簡単な片付けを頼み、ちょっと一服してくるとアイコスを持って路地裏へでた。

久しぶりの日中の休憩時間だった。特に見る予定もない、ラインの通知もないスマホを手癖のように開いた。

よく20代後半くらいの女子達が「友達の結婚・出産報告を見るのが辛い」という話をしているが、あながち男だって見るのは辛いものがある。

もう30なのにクリスマスの予定一つもない、パンを焼くだけの俺。考えれば考えれるほどどうでもよくなる。

ああ、今年のクリスマスも、一人か・・と考えたくなかったが考えてしまう自分が憎い。

アイコスをふかしながら、インスタを見ていると、ピックアップのところに夜空が見えた。

インスタといえば写真映えするような煌びやでおしゃれな写真を上げるところというイメージがあったが、なんとも地味な、夜空の写真に思わず惹かれた。

「A night without stars・・・ 星のない夜・・・」


そのアカウントは、本当に星のない夜ばかりのせていた。


もうすぐ朝焼けが見えそうなほんのり紅い星のない夜

今にも泣き出しそうな少し曇った星のない夜

月は綺麗に見えているのに月しか見えない星のない夜

海辺で見える星のない夜

なんてことない日常の帰り道にとったような星のない夜


どれもこれも綺麗でぼくは思わず、たくさんの写真に「いいね」をつけていった。きっと、このアカウント主はびっくりしてしまうだろう。

そう思いながらも、止まらぬ手でいいねを押した。

なんて感性がぼくと近い人なんだとびっくりした。


イチノセシロ「どの写真も素敵です。」


と、コメントを残して、ぼくは仕事に戻った。


多分、ぼくはもう恋をしていた。

まさか、写真で人を好きになることがあるとは思わなかった。






ぼくたちの恋はここから始まった。






好きな人の好きな人 end..

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?