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最高としか言えない。「二つの心臓の大きな川」(ヘミングウェイ)

本に効能があるとするなら、「二つの心臓の大きな川」には
「アドレナリン出まくります」
というラベルを貼りたく思う。

というと、血沸き肉躍るハードボイルドアクションクライム!みたいだが、残念、本作には銃も車も出てこない。

あるのは森と、川と、アメリカ人の男が一人。
その男「ニック」が、一人キャンプして、鱒を釣って、おわり。
それだけ。
要約すると、
第一部
山道をひたすら歩く。足を止めて煙草をくゆらす。木陰で昼寝する。テントを張る場所を見つけて、設営する。火を起こして、スパゲッティと豆の缶詰を温める。コーヒーを淹れる。寝る。
第二部
鱒を釣る。帰る。
おわり。

いやあ、いいなぁ。何度読んでもいいなあ。
この短くて、無駄のない短篇を読むたびに私は思い出すのだ。
子どものころ夢中で書いた、夏休みの日記のことを。

 今日、川へ行った。魚がいた。たのしかった。

アホの見本みたいな日記だが、これを書いた私にとってその一日は本当にそのまんまだった。見たまま、感じたままを書こうと苦心したすえに辿り着いたのが、行った、いた、たのしかった、だったのだ。
 川へ行くまでの道のり。
 大きな川。
 水面を切って遡上する魚の、七色に光る腹と背びれの力強さ。
 身体の芯が、ドクドク変に高鳴っていた。

あの日、それが全てだった。
他には何にもなかった。世界の全部だった。

私は、ものすごく、一瞬間を生きてた。

この作品は、ニックの身体が感じたことだけで出来ている。
目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだこと、手足が触れたもの、舌で味わったもの。
全身全霊で、キャンプを楽しんでいるニック。
今という瞬間を、貪るように。

この作品のさらに良いところは、ニックが青年よりちょっと年を取っているであろうところだ。
彼の年齢について、作中ではっきり描かれてはいない。
けれど、昔の釣り仲間が今では「大金持ち」になっていたりする回想があるところからすると、中年の入り口あたりだろうか。
その彼が、山に入るにあたって
「考える必要も、書く必要も、どんな必要もいまはない。
それはみんな置き去りにして」
きたというのだ。
ある意味ニックは、全力で子どもになりに来ているのかもしれない。

大人になってから、あの日記のような「世界と私、ただそれだけ!」みたいな一日を過ごせたことはない。
同じ川に行ったところで、いろんな感情が邪魔をするだろう。
つまらない人間になってしまったなぁ。
せめてもう一度、あの気持ちを思い出したい。

「二つの心臓の大きな川」は、その願いを叶えてくれる。
何度読んでも、いつ読んでもいい。場所も選ばない。
ページを開いて、同じ気持ちで森を歩く「ニック」になりきればいいのだ。
そのうち「ニック」は「私」になって、森の匂いや湿った土の感触が自分の身体で感じられるようになってくる。
あああっ、ゾクゾクする!!!
「最高だ!」
この小説を語るのに他に何が言えるというのだ。




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