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『冷血』を、背負いこむ覚悟はあるか?

覚悟が必要な本だ。
一度読んだら、永遠にあなたに憑りついて離れなくなる恐れがある。
もしくは、心に大きな傷を負うかもしれない。
それでもいい、という覚悟がおありなら、ぜひともお手にとってもらいたい。

トルーマン・カポーティの『冷血』は、劇薬な一冊である。

実際に起きた一家4人惨殺事件をもとに描かれた「ノンフィクション・ノベル」。
取材に5年近く費やしたというだけあって、被害者の生前の声はリアルだし、殺人現場は臨場感がありすぎる。

しかし、あなたに憑りつくのは凄惨な殺人現場ではない。
殺された被害者たちの、悲しみや呪いの声でもない。

本を閉じても憑いてくるのは、殺人犯の「ペリー」。その人だ。
彼に捕まらないよう、くれぐれも注意されたし。
捕まったら最後、彼は二度とあなたから離れることはないだろう。
『罪と罰』のラスコーリニコフや、『グレート・ギャツビー』のギャツビーのように。

「親ガチャ」という言葉が、すこし前に話題になった。
生まれた境遇によって人生が決まる。
悲しいけれど、それは事実だ。
イギリスで実施され、現在も続いているコホート研究も、それを裏付けている。(『ライフ・プロジェクト 7万人の一生からわかったこと』 ヘレン・ピアソン著 みすず書房 参照)
極度に貧しかったり、家庭内暴力が常にあったり、アル中や麻薬中毒の親がいる家庭で育った子どもは、強い劣等感に苛まれ、自信がもてない。
そのため、何をするにも最初から諦めてしまう。
彼らにとって、人生は負けの決まったゲームのようなものだ。
もちろん、そうした家庭環境におかれた子どもが全員、「生まれながらの落伍者」として人生を終えるわけではない。しかし、そのレールから抜け出すには本人のとんでもない努力と、親が子どもに関心をもっていることが絶対条件なのだ。
そう、結局「親ガチャ」にかかっているのだ。

ペリーも、まさに「親ガチャ」でハズレをひいた一人だった。
アル中の母親のもとで育った彼は、自尊心を持つことなく大人になった。
ペリーが自分自身について告白するシーンがある。


 自分が“まともでない”と想像するのは”苦痛”だった――とくに、何が狂っているにしろ、自分自身の責任ではなく、”おそらくは生まれながらに背負わされているもの”のせいだとすれば。家族を見てみろ! そこで何が起きたかを見てみろ!
 (新潮文庫版『冷血』 佐々田雅子 訳)


『冷血』は、ペリーの生い立ちと証言にかなりのページを割いている。
その大半がルポルタージュではなく、ノベルの形をとっている。
この告白も、小説として脚色されているはずだが、だからこそ、私は読むたびに胸が苦しくなってしまうのだ。
これは、カポーティ自身の心情吐露なのではないかと思ってしまう。
彼も、奔放な母親に振り回され「まとも」ではない幼少時代を過ごしている。
そして、「自分はまともではない」と強く思い込んでいたからだ。

カポーティは、とんでもない嘘つきであったことで知られる。
相手に本心をしゃべらせることは上手かったが、自分をさらけ出すことは決してなかったという。話が自分の内面に向かいそうになると、もっともらしい嘘をついて相手を煙にまいた。
『冷血』以前の作品にも、そんな感じが見受けられる。
彼の描く人物たちは、いつもクールだ。
小説の設定から決して逸脱しない。整然と、与えられた役をこなす。
カポーティ自身の体験に基づいて描かれていると思われる作品ですら。
創作するものと、されるもの。その境界線は厳格に隔てられている。

それなのに、『冷血』のペリーは違う。
カポーティは、ペリーに成り代わって「生まれながらに背負わされているもの」を持つ人間の声を、叫びを、ページの向こうから投げつけてくる。
熱量がすごい。乱れ方がすごい。世の中への憎しみ、「まともな」人間への恨みつらみがすごい。
読み手はそれを避けることができない。ページを繰るほどに、ペリーは心の中に浸み込んでくる。他人ではない気さえしてくる。

よく知られていることだが、ペリーとカポーティは何もかもが似ていた。
生い立ち、考え方、下半身がずんぐりしているところ、迷信深いところまで。
「別の人生を生きてきた、もう一人の自分だ。」
ペリーの処刑立会人に指名されたとき、彼はそう友人にもらしている。

凶悪殺人犯と、アメリカきっての人気作家。
全く違う人生を歩んだ、似た境遇の二人。

ペリーが4人を殺害するに至った動機は、あまりに理不尽だ。
もし、カポーティではない別の誰かがこの事件を書いていたら、ペリーの処刑シーンは、胸がすく思いがしたかもしれない。
普通だったら、理解できない。理解しない。
でも、ペリーであるカポーティには理解できた。痛いほど理解できた。
彼の手で小説化された『冷血』を読む者も、解ってしまうのである。
この事件のうらにあるものが。

この作品のあと、カポーティはほとんど小説を書くことができなくなった。それくらい、すごい作品である。
もう一度問おう。
覚悟はいいか。ペリーを背負う覚悟はあるのか。
その覚悟がおありなら、ぜひ読んでいただきたい。
『冷血』は、まちがいなく傑作である。









最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。