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Home の概念が変わってきた話

おはようございます。ryoです。
大学院の春セメスターが始まりました。

今回は、移民とトランスナショナリズムという、なんだか文字を見ただけではふわっとしかつかめないことを学んでいます。

Week 3 を超えると、その概念や背景知識がついてきて、ようやく授業の内容やその課題の背景が見えてきます。なので、これからもっと面白くなるかな、と期待を寄せています。

さて、今回は、後者の移民のアイデンティティの話とも通じますが、

自分の中で、Home、”家”の感覚が変わっていきている、というお話です。
*物理的な「家」でなく、主観的に何を家、ホームと捉えるかという事に焦点を当てています。

「家」と聞かれてみなさんが思いつくイメージはどんなものでしょうか?

私は、キーワードとして、暖かい、安心できる、雨風がしのげる、安心できる人がいる、自分のお気に入りのものがある、定期的に参加するコミュニティがある etc があります。


窓枠

そもそもこのテーマを選んだきっかけは、このNoteの皆さんの記事を見ているときに、

海外に駐在されている方が、「日本で過ごしていたときの家はもうなく、こちらで駐在先での家ができはじめている」といった内容が頭に留まりました。

なぜその文が頭に残っているのか?少し深掘りしてみたいと思います。

確かに。日本に親はいて、実家はある。
ただ、実家の生活も既に私がいないことを前提に時は流れている。
私の日本での友達もそれぞれの道・人生を進んでいる。

自分の日本社会でのつながりって、この半年でかなり薄れてきているのかもしれないと。

後ほど、Noteにも投稿できたらと思っていますが、今回の海外経験を経て、現地で就職先が見つかれば、こちらに残っていく選択肢もありかな、という心境もあります。

その場合、日本との接点はさらに薄くなる。
というより、現地とのつながりが深くなる。
イギリスという異国で腰を落ち着けて生活するようになる。

なんとなく、これが自分にとっては不思議な感覚で、自分の日本人としてのアイデンティティが少しぼんやりしてきたのかなという印象。

アイデンティティを失うことが怖い感覚がある一方、自分のアイデンティティはどこにより所属するのか、という興味深さもあります。

この感覚って、海外駐在されている方や国外で生活をしている方は
どこかのタイミングで経験しているのではないかと。

そんなことを感じている今日この頃です。

さて、この現象を学問的に捉えたときに、上記で話した、移民とトランスナショナリズム(国境を越えた活動、脱国家的な動き)という話題につながります。

経済的、政治的等の理由で海外に移住した人々がどのように母国とのつながりを保つのか。
そのつながりを保つコアとなるものはなんなのか。
そのトランスナショナル(国境を越えた)活動に従事する人々を国家はどう捉えているのか。

といったことを様々な国・移民の事例(アメリカ、メキシコ、イギリス、南アフリカ etc)を通して探求しています。

今日はこの辺で。自分の感覚の変化と大学院での学問のプチ紹介でした。
それでは。


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