美しくないことの何が悪い

私は会社員でもあり、ポールダンサーでもある。性別は女性。
昼は会社で働き、夜は接客とダンスでお金を貰う所謂ダブルワークOL。

夜のお店のお客さんは男性メインだが、ポールダンスをあまり知らないお客さんも多い。
ショータイム後に会話をしているとかなりの頻度で

「俺もポール触ってみたいな!」「いやお前が踊るのとか見たくねえよw」

「ていうか、男性のポールダンサーなんているの?」
「男が半裸で踊るとこなんて誰も見たくないでしょw」
「男のポールダンスなんて綺麗じゃないじゃん」
などという会話になる。

しょっちゅう言われるのでニコニコと応対するが、それでもこれらの発言に私は毎度げんなりしている。

まず、男性のポールダンサーは女性より少ないが、存在する。
私が教えを乞うたことのある、とある男性ポールダンサーは、女の私より何百倍も美しく、はかない踊りをする。
波いる女性ポールダンサーを押し除けて国内外の大会で優勝するハイレベルな男性ポールダンサーもいる。

これらの質問が、なぜ私をげんなりさせるのかをまじめに考察してみた。

そうすると、大体次の4つのようなことを考えているようだ。

①人に認められなきゃ、踊っちゃダメなんですか。自分のために踊るのはいけないことですか。

これはそもそも、ダンスを観に来ている人と踊る人の視点の違いかもしれない。
お金を貰って踊る場面では、観る側はもちろんある程度のクオリティを求める。
踊る方も盛り上がらなかったらチップ入れてもらえないし、次呼んでもらえないので一生懸命だ。

でも、お金を貰う場面でなければ、私たちは自分の何かを発散するために踊ったり、ただただ身体を動かす気持ちよさのために踊ったりもする。
誰かに認められなくてもダンサーであっていいと、私は思う。

こういうことって世の中には他にも沢山ある。
輝かなくても女性は働いていいはずだし、男としての甲斐性がなくても普通に生きてていいはずだ。
結婚しないことや、子供を持たないことも本来自由だ。

でも、現実には私たちはたくさんの「こうあるべき」に縛られている。

②あなたが見たいのはポールダンスじゃなくて女の身体でしたか。

これはね、もうしょうがない。諦めている。
世の中には、「女体は美しくてエロいもの」「女が肌を出してたら性的なものとして消費してよい」という常識がまかり通っている。
そんな中で生きてきたら、半裸で踊る女をそれ以外の目で見ることは難しい。

それは、「男が見た目に気を使うなんて恥ずかしい」という感覚とも表裏一体だから、男性がポールダンスをするなんて信じられないのだろう。

私だって露出の多い衣装でダンスをする以上、多少スケベな冗談を言われたり、ボディタッチをされたりしても軽く流すことは出来る。

だけど、私は「男が半裸で踊るとこなんて誰も見たくないでしょw」と言われる度に、少しずつうっすらと傷ついている。
女の半裸は綺麗だから消費していいんだ、と言われているようで。
もちろん、お客さんが私の身体が美しいと思ってくれているならそれはとても嬉しい。
だけど、私の身体は女だからとか男だからとか関係なく、あなたが美しいと思ったら美しいんだぞ!!といつも言いたいのだ。

たまに、お客さんに
「ポールダンスってエロいだけのものだと思っていたけど、とても美しい芸術なんだね」
などと感想を頂く。
私はこれが死ぬほど嬉しい。
思い込みを捨てて、エロ以外の美しさを見出してくれたことに感謝してもしきれないくらいだ。

ちなみにポールダンサーの衣装の露出が多い理由は、主に服着てるとポール上で停まれないから。布が多いと滑るので、踊り方が限定されてしまう。

ポールダンスがその特徴を前提として、肉体の美しさを魅せるダンスとして発展してきたのは間違いないけれど、ポールダンサーが全員エロが好きだと勘違いしないように気を付けてください。
私はエロいの好きですけどね。

③世の中の多様な美しさを知らないあなたはかわいそうだ

冒頭に書いたように、男性のポールダンサーにも美しさと実力のある方は沢山いる。

何度もいうけど、美しさに男女は関係ない。
ポールダンスに関していえば、男女関係なく「パワーを駆使したアクロバティックな技で魅せるダンサー」
とか
「これまでのダンス経験を活かした、繊細な踊り。指先にまで目を奪われる」
とか
「誰にも真似できない独特の雰囲気を纏っていて、いつの間にか引き込まれる踊り」
とか
「恵まれた肉体美を存分に魅せるダンサー。脚長!!尻キュッ!!」
とか、本当に色んなダンサーの色んな良さがあるのだ。

実際に見たことがなければ、想像のつかない部分の方が多いと思うけれど。

そんな色々な美しさを知りもしないで、男女とかいう大雑把な分け方で「男のダンスなんてみてもしょうがない」と思っているんだったら、なんともったいないことか!!

世の中に溢れる沢山の美しい人・物・事を僅かも知らず、そして知ろうともせずに、自分が知らないものを価値のないものだと決めつけて馬鹿にする己の浅はかさを恥じなさい!

…と、呆れるのだが、同時に私は彼らを哀れだとも思う。

きっと彼らは「男は良く働いて金を稼ぎ、社会的に認められなければならない」という考え方のみを正義として生きてきたのだろう、と。
そのような環境しか与えられなかったのだろう、と。

それ故に、「男が美しさやしなやかさを磨くことは恥ずべきことだ」と思ってしまったのなら、これは不運だとしか言いようがない。

しつこく繰り返すが、男性だって美しい。
そして、それを己の武器とすることは罪じゃないし恥ずかしいことじゃない。
男性が男性を美しいと思ったっていいじゃないか。
美しさに性別は関係ない。

誰であれ美しさを磨き、武器にしている人を馬鹿にしないで欲しい。
その方が自分も周りも幸せになれるから。

街で美人ををみかけて、「おっ美人だ」とテンションが上がったとする。

その美人が男性だったと気付いたとき、
「綺麗な男の人もいるもんだな!」とよりテンションが上がる人と、
「げっ男じゃん、キモ…」とテンションが下がる人、幸せなのはどちらだろう。

その美人が整形美人だったと気付いたとき、
「なんであれ美人を見れて眼福だなー!」と思う人と、「整形かよ!偽物じゃん!」と思う人。

美しいものを素直に受け入れると、視界は美しいもので溢れます。
思い込みを捨てて、多様な美しさを受け入れてみませんか。

④汚いものには価値がないですか。

散々美しさについて熱弁しておいてなんだが、私は美しくなければ価値を持たないという考え方は、とても危険だ思っている。

綺麗でないもの、役に立たないものには価値がなく、虐げてもよいと本気で思っているなら今すぐその考えを改めるように強く勧める。

だって、そんな風に考えてたら、自分を追い詰めてしまう。

自分の調子が悪くて、人に迷惑をかけているとき、思ったような成果が出ないときに、その言葉が自分に突き刺さってくる。

そして、すべての人間は老いる。

将来歳をとって、働けなくなって、下の世話も出来なくなったときに気が狂ってしまう。

若い自分の亡霊に「役立たずで汚いお前は価値がない」って、死ぬまで言われ続けるのだから。


お店では希望があればお客さんにポールに触ってもらう。

簡単な技を教えてあげて、出来たり出来なかったり、惜しいところまでいったり。

大抵のお客さんは教えてあげた技が全然出来なくても「くっそー!悔しいなー!!次来るときまでに身体絞ってリベンジだ!」なんて、心底楽しそうな笑顔を見せてくれるのだ。

確かに技は出来なかったかもしれないけれど、その悔しそうで、楽しそうな心からの笑顔に価値がないとは私は思わない。

同じように、例えば上手くいっていないときの自分や、歳をとって人に迷惑をかけるようになった自分は、役立たずで価値のないものだろうか?

そんなことはない。今まで積み重ねてきた人間関係や、思考回路、誰かを大切に思う気持ち、色んなものが、それぞれの人の中に詰まっている。

いや、そんな積み重ねなんか無くたって、たまたまこの世に生まれ落ちてきたものみんな、生きる権利がある。

この記事を最後まで読んでくれた奇特なあなたへ
いつか自分が役立たずになってしまった日に、自分を虐げなくていいように、今のうちから、綺麗でない人にも、役立たずの人にも、弱き人にも、優しく生きてください。
そして、自分のしょうもないダメダメな部分ももし良かったら愛してあげてください。

エロいポールダンサーのお姉さんとの約束です。

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