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もういいよ、いつか言われるその日まで

かくれんぼを最後にしたのはいつだっただろうか。
少なくとも成人してからは遊んだ記憶がない。

こないだ、小学生くらいの子供がかくれんぼをしているのを見かけた。
10数え終わった鬼役の子が、「もういいかーーい!!」と大きな声で叫んでも誰も返事をしなくて、「あれ、大丈夫かな?他の子はどうしちゃったんだろう」と、勝手に心配してしまった。
最後まで見守ったわけではないので、その子がどうなったのかは知らない。
「もしもう一度かくれんぼをやることになったとしたら、鬼役はやりたくないな。大きい声で10数えるのも恥ずかしいし、誰も答えてくれなかったらつらすぎるもんな。子供のときはそんなこと考えもせず楽しく遊んでいたのにな」と思って、すぐに忘れてしまった。

昨日郵便受けに地域のフリーペーパーが入っているのを読んで、この記憶が呼び起こされた。
フリーペーパーでは地域の学校の部活動が特集されており、たまたま母校の運動部が見開きで紹介されていた。
「どれどれ」と読み始めたはいいものの、すぐに続きを読めなくなってしまった。

なぜなら、途中で「インターハイが中止になった3年生のインタビュー」が綴られていたからだ。軽い気持ちで読み始めたことを後悔した。
そうだ、コロナ禍だった。

私は幸運なことに、あまり仕事でも、私生活でも大きな影響を受けなかった。
仕事面では、コロナ転職に成功し、完全在宅で能力を活かした仕事をしている。
私生活でも、もともと引きこもり気味で友人も少数精鋭であることが功を奏して、「おうち時間楽しいじゃん」という塩梅だ。
社会人になって数年経っているので節目という節目もなく、結婚や出産というライフステージの変化とも縁遠い生活を送っている。

あまりちゃんと読めなかったのだが、その3年生は、最後の部活動がままならないことや、インターハイ中止が決まったときのショックな気持ちなどを語って、最後は「前向きに切り替えていこう」みたいな感じで締めていたと思う。

私は、3年間の集大成であるはずのインターハイに挑戦すらできなかったその子が「前向きに」なんてことを語っているのを見て泣けてしまった。
本当は、泣き喚いて暴れてもおかしくないほど悔しくて悲しかったと思う。
私ならそうしている。
彼も実際にそうしたかもしれない。
もちろん紙面ではそんなことは分からない。

でも、彼以外にも、日本中で、世界中で、何千何百何万もの人が、同じような思いをしている。
私の想像も及ばないようなつらさを、痛みを、孤独を抱えて。

「もういいよ!」と誰かが言ってくれると信じて、何度だって数を数え直して、両目を手で隠して、周りを見ないようにして、じっと耐えしのいでいるのだ。
本当に「もういいよ!」と言われるような日が来るのかも分からないのに。
「もういいよ!」って誰かが言ってくれる頃にはおじいさんになっているかもしれないのに。

こんな文章を書いたところで何も解決しないし、世の中には誰も悪くないのに起きてしまう不幸な出来事はある。
健気な後輩の姿を見て、勝手に気持ちを代弁したくなった大人の自己満足だ。
令和の長恨歌みたいなものである。

失われたときを取り戻すことはできないけれど、少しでも早く誰かに「もういいよ」って言って欲しい。
「もういいよ」って言われて目を開けたときに目に入る景色が、できるだけみんなに優しくて明るいものであって欲しい。
願わくば、願わくば。

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