小さなときから一緒の、少し困った幼馴染みの名前は「不景気」ちゃん


私は1991年生まれだ。
バブル崩壊のその年に生まれた私たち以降の世代は、物心ついてから1度も好景気を経験していないと言っていいだろう。

それなりの中流家庭に生まれたならば、

親とは子供が将来少しでも困らないように、いい学校に、いい会社に、と先回りをして、どうにかやり繰りをして塾に生かせるものだ。

自分の父親には降りかからなかったとしても、リストラという4文字が平凡な家族をドン底に突き落とす恐ろしい言葉だと知っている。

子供を何人も私立の学校に通わせている家庭はお金持ちだし、そもそもそんなに子供を沢山育てられる金銭的・人的余裕のある家は少ない。

大学生は貧乏苦学生じゃなくても、アルバイトをするのが普通だ。

数え上げたらキリがないが、不景気は私たちに当たり前のように寄り添って、私たちの側にいる。

まるで家が隣の幼なじみのように。

人間、常に一緒にいるものとは仲良くせざるを得ないものだ。
例えちょっとばかし困った奴でも、常にそばにいる訳だから、四六時中腹をたてていては身が保たない。

そんな訳で私たちは「不景気?まぁ性格暗いし、ノリ悪いし、確かに困ったやつだけどさ、でも私がちょっと我慢すれば何とかなるし…家が隣だから離れられる訳にもいかないんだよ…。…あいつもちょっとは可愛いところがあるんだよ?」
といった具合に、手のかかる幼なじみと、まぁまぁ仲良くやってきた。

そして、もうひとつ、人間というものは幼い頃からずっと側にいるものに対しては、あまり疑問を抱かない。

それが当たり前で、それ以外を知らないのだから。
それが私たちの世界だ。
気が付いたらそこにあった。

私が40代以上の人と話して1番ギャップを感じるのは「この不景気は〇〇のせい」と感じている人が多いことだ。

政治家のせい、隣国のせい、若者のせい、災害のせい…
なんでもいい。

とにかく、「〇〇のせいで不景気だ」と憤っている姿に、毎度カルチャーショックを受けるのである。

例えば生まれたときから隣の家にいる幼馴染みがちょっと困ったやつだからと言って、それが誰のせいだ、なんてことはあまり考えないだろう。
神様や運のせいにして嘆きつつ、「親同士が仲良いからしょうがないよな〜」と、いつか離れる日がくるまでどうにかやり過ごす程度ではないだろうか。

だけど、好景気を経験したことのある人は違う。
「引越してきた隣の家の不景気ちゃんが、やな奴だった!
お父さんの転勤で引越しになんてならなければ、前の家の隣の好景気ちゃんと今も仲良くできたはずなのに!
お父さんのせいだ!大人って身勝手だ!
この学校もこの街も嫌いだ!
うわーん早く自分のことは自分で決められる大人になりたいよ!
大人だったらひとりで好景気ちゃんに会いに行けるのに!」といった心境だろうか。

とにかくアグレッシブに怒っている姿は私にとっては新鮮だ。
それは、良かった時代を知っているからこそのフラストレーションだ。

もちろん、日本より景気の良い国や、これから良くなっていくであろう国はある。

3軒先の家の子が、知り合ってみたらとてもいい人で「あ、隣の家の不景気ちゃんなんかと仲良くしなくてもいいのか!」とか、「不景気ちゃんもこの子と一緒に遊んだらもっと明るくならないかな?」と知ることが出来るかもしれない。

だけれど、それは3軒先の家の子に目を向けて、知り合うきっかけがあったごく一部の人の話だ。
多くは、少し暗くてノリの悪い、手のかかる幼なじみしか知らずに大人になる。

私たちは好景気ちゃんと知り合うきっかけがない。
出逢ったことのないものを目指したり、憧れたりすることは出来ない。

私はすべての若者を代弁するつもりは全くないが、もし「今時の若者はなんで投票しないんだ!?」「この経済をもっと良くしたくないのか!?」と思ったことがあったら、少しだけ思い出して欲しい。

物心ついた頃からずっと一緒の、私たちの、少し困った幼馴染みのことを。
塀に囲われた街の片隅で、この幼馴染みしか知らずに育たざるを得なかった私たち世代のことを。
あなたたちが目の敵にしている不景気ちゃんも、私たちにとっては小さいときから一緒にいた幼馴染みであり、私たちの世界を形作っているものだということを。

こんな風に不景気と一緒に過ごしてきた人間がいるのだという事実を。

ちなみに、さすがに生まれたときから不景気ちゃんと一緒にいた訳だから、私たち世代は不景気ちゃんと上手くやるコツはかなり知っている。

若いからといって馬鹿らしいことに体力を使わず、そつなく勉学と部活をこなし、よい進路を選ぶこと。
例え仕事関係でも不要だと判断した飲み会には出歩かず、体力と金銭を温存すること。
ランニングコストのかかる車やマイホームを安易に購入しないこと。
無理をして仕事に全力を注がず、家庭やプライベートを大切にすること。
結婚するリスクやしないリスク、子供を産むリスクと産まないリスクを冷静に天秤にかけること。

これらは全部、私たちが生まれたときから付き合ってきた不景気ちゃんと、上手くやるコツなのだ。

頑張ったって、お金が返ってこないのなら頑張らない。
無理をして出世したって、世の中の仕組みが崩れたら地位や権力などチリと同じ。

それを身を以て知っているからこその生活の知恵である。
実に合理的ではないだろうか。

私たちは、自分の知る世界の中でそれなりに上手く生きている。
この日本という国の斜陽を、それなりに「悲しいけれど、美しい眺めだなぁ」と冷静に見ているのである。


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