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学生時代の恋人がくれた「信仰を持て」という教え

最近SNSで、「猫好きの人は、猫を信仰の対象として見ているので、信仰を持っていなくても強く生きられる」(うろ覚え)みたいな記事を見かけた。

私も、それはそれは可愛い愛猫と生活しているのだが、もう完全に同意した。
タイトルがうろ覚えなのは、完全同意過ぎて、読む必要もないな!と思って呼んでないからだ。
(読めばよかった、と思ったときには見つけられなくなっていたんです。ごめんなさい。)

どんなに仕事がつらくて消耗しても、「早く帰って猫を吸おう」と思うと這ってでも家に帰る活力(?)くらいは沸いてくる。
毎日猫に「可愛くて、柔らかくて、ありがとうねぇ」と、その存在を賛美し、感謝する言葉をかけながら頬ずりする様子は、さながら崇拝の対象に祈りの言葉を捧げる信者のようだろう。

そんな風に信仰について思いを馳せていたら、学生時代の恋人が私にかけてくれた言葉を思い出した。

彼は中高とスポーツのキャプテンを務めながらそつなく勉学をこなし、大学でもきちんとアルバイトや勉学にバランスよく力を入れていた。
努力家でありながら、自分の将来のために、ときには嫌みなく打算めいた行動をとることもできる人だった。
小学校での人気者が、そのままカーストから落ちることなく順調に大学生になりました、という感じ。

一方当時の私は、家庭の問題や、自分への自信のなさから精神的に少し弱っていながら、それを他人に見せることのできないこじれた自意識に苦しんでいた。
不安定な情緒と、ガチガチのプライドとの危なっかしいバランスの上でギリギリ成り立ってい(なかっ)た毎日は、それなりに辛かった。

さて、そんなありふれた若者の憂鬱を過ごしていた私にとって、自信家で強い彼は眩しかった。とてつもなく。

彼はともすれば薄暗いところで憂鬱と仲良くしがちな私のことを、いつも彼なりの強さと優しさで引っ張り上げようとしてくれた。
私はいつもその手を取りたい気持ちと「自分のような日陰者が眩しいところに出て行ってはいけないのではないか、そんなところに引っ張り出されたら、何か明るくて清い力で浄化されて、自分の存在なんか消えてしまうのではないか」という恐れの間でうじうじしていた。
彼の手は、とても力強くて、少し痛かった。

彼の強さとまぶしさに憧れて始まった恋愛は、始まったときと同じ理由で結局1年弱で終わってしまったけれど、彼がかけてくれた言葉は私の中にたくさん残っている。
(・・・などと書くと凄くよい終わり方をしたように見えるけれど、実際はポジティブに思い出せるようになるのに数年かかった)

そのいくつもの言葉の中で、一番私の中に残っているのが、タイトルの「信仰を持て」であった。
彼が大学で宗教を専攻していたこともあってのこの言葉だった。「信仰を持て」などと突然言われると、「新手の宗教勧誘か?」と警戒されそうだ。

だが彼が言うのは、「対象は何でもいい。おいしい食べ物でも、運動でも、人でも、思想でも、自然でもいい。何かひとつでも、”自分はこれがあれば元気でいられる”と信じられるものを見つけるといい。”これがあれば元気でいられなくても何とかなる”でもいい。」というものだった。

私は当時、「日本人に自殺が多いのは、無宗教の人が多いからだ」という言説があることは知識としては知っていたし、ある程度納得もしていた。
しかし、では「何を信じればいいのか」ということが、彼と交際していた間には分からないまま終わってしまった。

あれから数年を経て今の私が思うことは、この信じる対象が「自分」である人が一番強くいられるのだろうな、ということだ。
自分に一番近く、生き続ける限り間違いなく存在するものといえば、自分くらいしかないのだ。それを信じられるのが一番安上がりで確実だ。

でも、昨今の日本では、「自分のことが大好きで、自分に自信があります!」というのは、場所や言い方を間違えると「傲慢だ、謙虚じゃない」などと非難されかねない危険な言葉だ。
そんな環境の中で、自分を信じ、好きでいることはなかなかに難しい。

だから、信仰を持つことは自分に自信を持てない人にでもできる、強く生きられるひとつの有効な方法なのだと思う。

今の私には、たくさんの信仰がある。
「猫、おいしいもの、踊ること、歌声、文字を読むこと、音楽、働いてお金を得ること、美しい物、美しくないのに心惹かれるもの、人を大切にすること、自分を大切にすること」。
信仰なんて大仰な言葉じゃなくてよかったのだ。いくつか好きな物があれば、それで。

だけど、若かりし私には何かを大手を振って好きだということ、手放しで信じながらも「もしダメでもまぁいっか」と開き直ることがとてもとても難しかった。
今、幸運なことにたくさんの信仰がある私は、無宗教だけどまぁまぁ強く生きている。

ちなみに、彼の当時の信仰は「学ぶこと」だった。
彼には夢があり、それをかなえるためにはもっとたくさんのことを学ぶ必要があり、幸運なことに彼は学ぶことが大層好きだった。
数年前に風の噂で、彼が夢を叶えたことを知った。
彼が今どんな信仰を持っているのか、私が知ることはきっと無いだろう。


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