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感謝や良かったことは探すもの?

いいことが起きるためには、
まず「感謝」ありきは定番ルール。

自分が与えた物が帰ってくる
宇宙の法則からしたら、ごく当然ルールかもしれないが、感謝できなかったらじゃあどうしたらいいのか?

感謝が出てこないところに、良かったことを探して感謝しよう、と算数の計算のように公式に当てはめることはできる。

だが、それで心の底から感謝できているのか?と考えるとかなり疑問である。

私もいろいろ探しては、ありがとう、と言ってみたり、書いてみたりなどもしたことがあるが、その公式に当てはめているだけ感がどうしても否めなかった。

「寝る場所がある」
「今日もご飯が食べられた」
「ありがとうございます」

びっくりするくらい感情が動かないなか、頭の中で感謝しなきゃ!のムチが大きくふるわれていたように思う。

そうすると、一番働いている思いや、思考は“どうにかして感謝をしなければ”なので、自然に感謝できた時に起こる流れとは既に全く正反対の流れに入っている。

感謝する前に、色々とクリアしておいた方がいい問題があるわけだ。

感謝ってそもそもどういうことなのか、とか、
どんな感情からつながるのか、とか。

そこがズレているなかで、感謝しよう、とやっても、やっても、何をどう思って(思い込んで)感謝しているのか…

人は感謝ができないと思っている時、自覚がなくても自分の周りに、自分が好きではないものを集めている場合が非常に多い。

自分のキラいな物の数々に感謝してみよう!と、これはハードルが高い。

まず、本当に好きな物は何なのかを知ること。
心地良いということはどういったことなのか知ること。
うれしいってどういうことなのか、知ること。

それらを知ることを自分に許可すること。

嫌いな物に囲まれたり、不幸な人間関係を常に形成しているのは、見たくないものがたくさんあるからで、そこに色々な出来事をかぶせて見ないようにしているので、本当に好きな物や心地良さを知るまでにきついこともあるかもしれない。

だが、そこを超えた時に、
「なんだかありがたいな」という気持ちに辿り着く。

何に自分がこだわり続けているのか、少しずつでもこだわりを手放していくと、
「なんとなくいい感じ」
に出会う機会が増えてくる。

写真は買ってきたワッフルとカットフルーツを並べたもの。

良い週末を。

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