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『意識の低い自炊のすすめ』中川淳一郎

本屋さんでふと見かけて、これは…今まさに私が求めているもの…!と思って、一応中を20ページほど読んで、よし、思った通りだ、買おう、とわりとすぐ決まりました。あとで、夫が、なんか真剣に読んでるなぁと思ったけど、と言っていたような。レシピとかじゃないの?と聞かれたんですが、レシピといえばレシピも入っていますが、どちらかというと、思考、なんです。

思考。意識。

どう料理をするか、ではなくて、自炊というものをどうとらえなおすべきなのか。

ほんっと、まずそこんところ直さないと自分で自分の首を絞めてぎゃーぎゃー騒ぎまくって面倒くさいだけですから。
帯に書いてあるんですが、『料理なんてやりたいようにやればいい。ラクすりゃいい。権威を疑え!自分がいいと思ったものこそいいものだ!』、おっしゃる通りです。こうあるべき、こうするべき、もっと他の人はこうしてる、できる、とかもーほんっと面倒くさいし嫌だ。最初からいやだと思うのに、自分の中にある常識とかこうあるべきみたいなのが忌まわしくてしょうがない。これをまず断ち切らないといけない。

まず、この筆者が男性で、夫婦共働きで、料理をするのは筆者(男性)であり、食器洗いをしてもらうことでお互いウィンウィンであるというところ。そう、食器洗いが嫌、というのと、料理が嫌、というのがうまくかみ合っている。こういうの、大事ですよねぇ。まずここで私の心は完全にぐぐっとひかれました。面白くなりそうだ、と。
そして、タイトルから自炊という言葉が出ているにもかかわらず、毎日そうすると決めずに、外食の日を作る、または、『中食』(外食と自炊の間みたいな感じらしいです)の日もある、作り置きもついでにすることがある、ということ。一番いいなぁと思うのは、料理担当の著者が飲み会などの日は前もって作り置きがあるというところですよ!いいですよね!机バンバンたたいて興奮するところですよ!

夫が小さい頃土曜日だったか日曜の朝だったかは外食、決まってパン屋さんとか今はつぶれてしまった某レストランとか、そんな話もあって、外食をしてはいけない、という縛りは全くないんです。
厄介なことに、私自身にあるんです。小さい頃外食をした記憶なんて基本的に月一だったし、母の仕事が忙しいときは祖母が決まってご飯を作ってくれたし(祖母が育てた野菜を取ってきて料理して、が当たり前でした)、そうなると、自分って何なんだろうと揺らぎ始める。面倒くさい。祖母に関してはもともと栄養士の資格があって仕事もそうだったし、とにかく料理はできて当たり前な人なのに。それを見ているからか、母自身はそんなに料理が好きではなかったようで、お惣菜をよく買っていました。それでも、母が作るこういうものは好き、と思えるものって、今考えると母が好きなものなんですよね。例えばあんこ。下ごしらえとか時間もかかって圧力鍋も使わずストーブの上でコトコトし続けて作っていました。やっぱり好きこそものの上手なれ、ですかね。とはいえ、思春期で甘いものを食べるのが嫌で食べなくなり、母も作らなくなり、と、今思えば食べりゃいいのに、と思います。あと、日曜は必ず父が作るルールがあって、朝ごはんは目玉焼きにハム、添え物の野菜とお味噌汁にご飯。お昼はラーメンやチャーハン。これまた、思春期の私がカロリーがなんだと言って食べないなんてこともあり、父は生きているけれど口にも出せない罪悪感が残ったまま。うどんのつゆを、出汁から取ってとても美味しい、甘すぎない、しょっぱくもない、というのが大好きでした。今は、父はお昼によく蕎麦を食べていて、血圧など気にして健康第一になりましたが。
私自身で言えば、今でこそなんとかなってきたようなものの、料理大好きなわけでも得意なわけでもなく、好きと言い切るには自分の調子の良さとかテンションとか色々条件付きでないとできないというか、まず料理しようと思っているとき、ある程度お腹が減りすぎてないこと、が大事なんですよね。料理しているうちに飢餓に襲われてしまう。かといってお腹いっぱいでもいけない。もちろん、買い物してから料理なんてまずないので、冷蔵庫に何があって、自分が何を食べたくて、というところも合致しないといけない。なんてハードルの高さなんだ。この時点でつらい。
でも、振り返ると、周りはだれもあぁだこうだ言わないのに、まさに、自分で自分の首を絞めているんだなぁ。再確認。

話を戻します。

おしゃれだとかいうところを極めるのが好きな人もいれば、そうでない人もいる。私は、続けられる自炊がしたい。もちろん、外食も好きだし、この『中食』といわれるものも、目からうろこですよ、ほんと。そこだけ簡単に説明すると、某牛丼チェーンのお持ち帰りで、ご飯を全部食べると多いから一部冷凍にして肉増しの感覚で食べる、んですよ。もちろんこれはご飯別で持ち帰ることが可能だからなんですが。
一時期は夫と特盛を何度か食べて完食もできていましたが、今はもうできないなぁ。10年以上前の話ですね。いやはや。ファミレスで思いつく限り食べたいものを4人席の机の上に並べて夫と二人で片っ端から食べて、なんてことをしていた時期ですね。懐かしい。今はあんなに油を摂取したら確実に気持ち悪くなる。でも楽しかったなぁ。
そうなってくると、ご飯を取っておく、という発想は、単に、自分のお腹や好みに合った食べ方を自覚し、それを極める、ということかなと。

自分でやりやすいように、好きな味にしていく、というのを少しずつ作っていって、数十年後にあまりお金をかけずに自分が好きなものである程度健康的なものを好きな分だけ食べて生きていけたら幸せですよねぇ。目指すはそこ。

本に関しては、ざっくりとしたレシピや、一応大匙いくつとかそういうのは求める人がいるからレシピ本にはあるんだってという話や、本当に欲しかった話ばかり。正直なところ、興奮して読んで最後まで一気にいってしまったせいでもっとじっくり読みたいと思っているので、また最初から読み直そうかな。何度読んでもいいな、と思っています。そして、線ひいたりとかしてしゃぶりつくす所存です。

2020年7月22日発行なので、まさに、『巣ごもり時代の命と家計を守るために』という言葉通り、この状況がいつまで続くか分からないからこそ、今、読むべきなのかなと思います。おすすめです。



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