権力闘争から降り続ける
先日、山崎豊子『白い巨塔』を読んだ。
阪大病院がモデルになっていて、心斎橋など大阪を舞台に
色々な個性豊かな関西人が登場する。
大阪万博開催直前の時代、利己的で打算的な大学病院の教授と
取り巻きの腹黒い人間関係が生々しく描かれていて面白い。
大阪で暮らしてきた自分にとっては、幾分時代が古いけれども、
より没入できた気がする。
教授や取り巻きによる権力闘争の醜さ
上下関係がこれでもかというほど前に押し出され、
権力争いに勝つ者と負ける者の激しい落差が描かれている。
闘争の後に得た名誉とお金を、今度はそれを守るためにまた闘争する、
その虚しさをなぜ求めるのか。
様々な物語で語られてきて知っているにもかかわらず、
それでも求めてしまうのはなぜなのか。
権力闘争から降り続ける
7種体癖の人が戦いによって勝とうとするその感受性と、
つい虚栄心を求めてしまう感覚とは少し分けて考えないといけないようだ。
戦いに勝ち、劣等感を優越感へと昇華した先にあるものと、
戦わず、しかし妥協せずに追求した先にあるものがあるならば、
アドラー心理学においては後者を選んでいくべきだとされる。
この小説で描かれているような闘争は、
今でも医療機関や大学の中で沸々と存在しているのを感じる。
その中で権力闘争から降り続け、
(実際の権力ではなく、他者を思い通りに動かそうというのをやめる)
いかに所属していくかがとても重要であり、
またそれを心理職という立場で行うことに面白さがあるのかもしれない。
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