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人生を変えた後遺症①


リンパ線の腫れ

高校3年生の夏。
私の人生は、ここから狂い始める。

ある日、首のリンパ腺がなんか痛いな~なんて
思ったが若い頃はなぜかどうにか乗り切れるだろうと
さほど気にしていなかった。

が、日に日に痛みは増して
気付いたら肩から首の付け根まで
パンパンに腫れていた。
おまけに、微熱も出てきた。
さすがに痛すぎたので病院へ。
傷み止めと、抗生物質をもらい帰宅。

これで痛みも腫れも引くだろうと
薬を飲んで寝た。

数時間後......。
体が痛くて目が覚めた。

今まで味わったことのない痛みだ。

4歳のころに、髄膜炎を患ったが
その時の痛みも転げまわるほどだったと記憶がある。
ただ、それとはまた違う...何とも言えない痛みだった。

全身を容赦なく襲い掛かる痛み。
全身が痛いから、どこをさすっていいのかも
分からずにただ耐える。

夜遅くだったので、正社員で働いている両親に
迷惑がかかると思い、ひたすら耐えた。


そして、朝になるころには痛みもだいぶ
落ち着いてきていた。

そんな体調だったため
学校を休んだ。
母親には心配かけまいと
夜中の出来事は黙っていた。


病院にまた行こうかとも悩んだが
‘’昨日薬出したじゃん‘’って思われるのが嫌で
家で過ごしていた。

薬もなんだか飲む気も起きなくて
飲まずにいたら、体の痛みはとっくに
消え去りもともとのリンパの腫れと痛みだけに
なっていた。

やっぱり、風邪なのかなぁ…
でも、早く治したいしなぁ…

そんな思いから
再び、薬を口にした。



”まただ!”
体が痛い‼

もうダメだ。

仕事から帰ってきた母に頼み
その病院の救急外来へ連れてってもらった。

原因は不明だったが
全身の痛みが強いため、即入院。

原因が分からないため、治療という治療をせず
一旦、様子見ということで
入院したけど耐えるしかなかった。

そして、前回よりは長かったものの
痛みはやはり引いていった。

面会時間ギリギリまで
いてくれた母も、家のことがあるので
後ろ髪を引かれながら帰宅していった。


不安な入院生活

母が帰り、なんとなく寂しさと
不安が入り交じり夜中になるにつれ
どんどん怖くなってきた。

明日は、検査をすると言っていたが
どんな検査なのかも分からない。
ただただ、不安な夜を過ごした。


「おはようございます!検温の時間ですよ~」
と、なかなか寝付けずだった私を容赦なく起こす看護師。
(仕事だから仕方ないと思うが正直起こさないで!と思った)

私「はい」
と言いつつ、目をつぶったまま体温計を受け取り
脇に挟み再び眠る。

当時は、今時のような早く計測できる体温計など
なかった時代。
その数分でも寝たかった。

そして、二度寝も看護師さんの声で
起こされる。
看護師「ちょっと高いね~」
36.9度。

平熱が36.8度の私には普通の体温だ。

私「平熱が高いので大丈夫です。」

看護師「そうなのね~」
と、言い残し去ってった。

再び、寝る。

次は、朝ごはんらしい…

食欲なんてないし
とにかく寝たい。と思っていたが
作ってくれた人に申し訳ないと
味気のないご飯を口に放り込んだ。


やっと、朝の儀式が終わったぞ。
と再び寝ようと
ウトウトし始めたころ
看護師「ひとはこさ~ん、検査ですよ」
の声で起こされる。

何をやったか覚えてないが
レントゲンやら、心電図やらメジャーなやつを
一通りやった気がする。

そのぐらいから、腰から下の関節の痛みが
気になっていたけど、あんな痛みの後だからか…
一人エレベーターの中で足をさすった。


そんなこんなで一日が終わり、異様に早い夕食が
運ばれてきた。
症状も落ち着いていたせいか
しっかり完食した。

明日はまた違う検査かぁとうなだれていたら
看護師「まだ、リンパ腺が腫れてるので薬出てま~す」と置いていった。

はいはい、飲みますよ。

と、入院して油断した私は再び
あの薬を口にしてしまった。


続く




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