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ワンオペ育児とディクタトール


ディクタトールとワンオペ育児


 ユダヤ人を大量虐殺したナチスの指導者ヒトラー、文化大革命により4000万人とゆわれるほどの餓死者を出した毛沢東。いわゆる「暴君」である彼ら独裁者により、「独裁」という言葉にはネガティブなイメージが先行する。

 ただ、そんな「独裁」にもメリットがある。
 独裁体制では、何事も王やその他君主が1人で決断する。ゆえに、いちいち首脳メンバーが顔を揃えてあれこれ唾を飛ばし合う必要がなく、各方面、各々おのおのの顔色を窺って利害の調整に汗を流すこともない。指示系統が統一され、スパッと指示が入れば、従属者たちも迷いがなくなって行動が早くなる。
 ようするに、独裁体制のメリットはその「意思決定の早さ」。新興国やスタートアップ企業は、ある程度規模が大きくなるまで独裁体制の方がうまくいきやすいとゆわれるのはそのためだ。

 そして、この独裁のメリットは約2500年前の古代ローマ人がすでに気づいていた。
 建国から約250年間、ローマは1人の王が国を統治する王政時代であった。近隣部族への攻撃、国内の政策は諮問しもん機関である元老院の助言を受けた「王」が全て判断し、決断する(「市民集会」もあったが、ここで政策立案はできず、王が決めたことをただ承認する場であった)。ところが紀元前509年、王への不満を募らせたローマ市民は王を追放した。そしてもう2度と独裁体制を敷かないと誓った彼らは、「コンスル(執政官)」という2人の最高政務官とその他少数の政務官を設置し、少数制の政治体制を確立したのである。いわゆる「共和政ローマ」のはじまりである。
 コンスルは1年ごとに変わり、貴族(元老院)と平民から毎年1人ずつ選ばれた。そしてここがローマ人の凄いところだが、彼らはコンスルの上位にあたる「ディクタトール(独裁官)」と呼ばれる特別枠を用意したのだ。独裁体制は敷かないものの、彼らはそのメリットまでは放棄しなかったのである。

 ディクタトールは、外敵の侵入などで国が非常事態の時にのみ適用される役職だ。緊急事態では意思決定の早さが極めて重要になる。6万のローマ兵を皆殺しにした男(ハンニバル・バルカ)が首都近くまで迫ってきているのに「さて、どうしましょ?」などと話し合っている場合じゃない。判断力があり、かつ正確な判断を下せ、かつ強い。そんな超絶有能男に全てを一任した方が、危機を回避できる可能性は高いのだ。
 そして、これまた感心してしまうのだが、全ての権限が集約されたディクタトールには、たとえ権威ある元老院議員であろうと全く口出しをしなかったという(「できなかった」のではなく、「しなかった」のがポイント)。 

 さて、ここで話を現代に巻き戻そう。

 意思決定の遅さといえば日本の得意技である。「上に確認しますね…」「一度話し合ってからでないと...」「次は田辺にも確認しないと…」「次は上原に…」「後日もう一度田辺に…」とか。しかしながら、そんな日本人の中にも、ある条件下の中でのみ異様に意思決定が早い者がいることはご存知だろうか。
 平日の夕方から夜にかけて、ワンオペ育児に奮闘している筆者である(死ね)。

 「ワンオペ」という言葉は、もともと某牛丼チェーン店の悪質な労働体系(通常複数人で行う仕事を1人でこなしていた)が発覚し、それ以降SNSで普及した言葉らしい。ただし、現在ではワンオペというと「妻(or 夫)が育児を1人で行うこと」という意味の「ワンオペ育児」を指すことが多い。

 ワンオペ育児はつらい。
 子どもの年齢にもよるが、24時間身体中にへばりついてくる幼児を抱えている場合は特に親の負担が大きくなる。しかも、それが2、3人いれば休む暇もないのは必定。我が子がべらぼうに可愛いのは当然ではあるものの、つい声を荒げてしまうこともあるだろう。在宅ワークの私も平日は寝かしつけまでは基本的にワンオペ育児(3ちゃいの娘と6ちゃいの息子)ゆえ、その気持ちはよーく理解できる。

 ただ、そんな私はある時ふと思った。
 辟易へきえきするワンオペ育児も、考え方によっては悪くないのではないか、と。
 ワンオペ育児の最大のメリット。それはなんといっても意思決定の早さである。

 ん? どこかで聞いたようなセリフ......

 そう。それはつまり、ワンオペ育児中の親はあの「ディクタトール」と化していると考えることができる(お、おう...)。まず、相方の帰宅が夜遅くになる場合、子どもを寝かしつけるまでの段取りを全て自分1人で意思決定しなければならないが、ワンオペ中はディクタトールであるゆえ誰にも干渉されない(快適である)。外的要因(相方)に左右されず、全て自分が決断し、自分の好きなように進行できるのだ(快適である)。
 もう少し具体的にイメージしてみよう。たとえば、3歳の娘のPeeが出たオムツを変えた際、変えたオムツをオムツ用のゴミ箱に捨てに行く億劫さから一定時間その場(床)に放置していても、誰にも咎められることはない☆
 また、相方が家にいるとつい楽をしたくなるのは人間のさがであり、それによって生まれる不毛な時間、たとえば「うんちでた~」と3歳の娘が申告してきた際に「(え、そっちが替えてくれるよね?)」と夫婦間で牽制し合うというような時間が生まれない。さらに、「うんち出たの? パパと替えると何かいいことあるらしいよ☆」と娘をうまく懐柔した妻に対し、「おい!! それは卑怯だぞっ!!」と唾を飛ばすこともなくなるのだ(早く替えろ)。
 某進次郎氏風にいえば、「自分1人というのは、自分しかいないということである」。自分しかいないのであれば、やるしかない。目の前のうんこが出たオムツは、自分が変えなくてはいけないのだ。

 私の感覚では、ディクタトールと化したワンオペ育児の時の方が総じて寝かしつけまでスムーズにいくことが多い。もちろん、子どもが癇癪を起こしたりして思い通りにいかないことは多々あるが、それを踏まえても、である。
 全国のワンオペ育児に奮闘している方は、是非この「ディクタトールマインド」でワンオペ育児に対する考え方を変え、楽になっていただければ幸いである。 


 ところで、この良質極まりないエッセイを妻に見られたら大変まずいことになることに、今気がついた。この記事を読んだ妻はお、おそらく私にこう言ってくる……。

「読んだよ〜。ワンオペが楽なんだって? じゃあ来週の土日、わたし朝から出かけてくるから夜まで子供たちよろしく〜」





ヤダ。

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