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休学して生活を追求する

実は今年の春から1年間、大学を休学しています。

私が休学を決めた理由はふたつ。
一つは生の暮らしを知ること、
もう一つは自分のために何かをしたいということ。


ひとつ目の、生の暮らしとはケの日の暮らしを指します。


私の思うケの暮らしは、観光に行って食べるものや見るものではなく、その土地の畑や海でとれて地元のスーパーで売られているような食材、その土地で長く愛されてきた銘菓や特産品、気候や歴史に適応して生まれた台所文化。

当たり前のように土地に存在するケの日の暮らしを、数日の旅で感じ取ることは難しい。
気候やコミュニティに自分の身体に馴染ませていく中でみえてくるものなのではないか、と思います。

就職活動の中で、自分がどう生きていきたいのかを考えました。
そして、暮らしに関わる仕事をしたいと思いました。特に今あるもの、これから生まれるもの、あらゆるものが出会い、形を変えていく中に身を置きたいです。
だから、生活というものを追求しようと思いました。自分がまだ知らない土地を訪ねて、生活の本質について自分なりの答えを探したいです。


日々の生活の中に安定と安心があるからこそ、仕事や趣味を楽しめる。
生活の裏側には必ず人がいます。だから、生活を大 切にすることは自分を大切にすることと同義です。


これが私のこれまでの人生に得てきた価値観です。



ふたつ目は、自分のために生きたいということです。


幼い頃は、母の機嫌をとるため、思春期は周りに嫌われないようにするため、大学は、評価されるために生きてきました。他者が第一で、自分の意思はありませんでした。自己防衛に必死でした。

大人になるにつれて、様々な価値観が許容される環境になり、自分を保てなくなりました。そして初めて自分の意思を考えるようになりました。

昔と比べるとものすごく生きやすくなりました。 みんなに好かれなくてもいい、自分の意思を尊重してあげよう、そう思って努力する中で、塞ぎ込む日が減りました。
でも、朝起きて突然動けなくなる日があります。
自己嫌悪に押しつぶされそうな日がある。理由なく前触れなくやってくる衝動に耐えられなくて生きる意味が分からなくなる。

自分軸で生きよう、と思っている今も、生きる意味をはっきりと答えられません。

今まで何がしたかったの?なにを見てみたいの?と聞いても縛りが強すぎて何も聞こえませんでした。
答えを出すためには、今まで自分が課してきた縛りや荷物の呪縛を一つずつ解いてあげる必要があるようです。したいことをしようにも、自分の声が聞こえないのでは、手の施しようがありません。

だから、長年理由をつけてしなかったことをすることにしました。自分のために時間を割いて、力を費やす。それが今回の旅になりました。


将来は、店を作りたいです。ここにくれば大丈夫と思える受け皿のような場所を作りたい。長くなるのでこれは別にまた書こうと思います。


最初は九州へ行きます。
そのあとはご縁がある土地に行こうと思います。
6月後半からの日記は、日記であり、生活を追求した記録になります。
そこで感じたこと、考えたことを記録したい。ひょっとしたら何も見えてこないかもしれないし、人生を変える何かに出会えるかもしれない。でも、そんなに期待しなくてもいいかな、と思います。生活はそういうものなので。

今からの一年が、私の生きる糧になるよう祈りを込めて。

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