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2024.6.28:日記の賞味期限

感情や思考には消費期限がある。

それは歳をとるにつれて、どんどん短くなっている。
意識しないと感じ取れないものが増え、感じたとしても覚えておくことができない。
日記は最後の砦だ。鮮度を維持したまま真空パックするのに似ている。なので、できる限りその日のうちに書くことがを最優先している。

昨日と今日の日記は、29日の昼に書いた。
新天地に来て、感動したことがたくさんあったはずなのに、思い出せそうで思い出せないことがたくさんある。もどかしい。

ここ数か月は、まばらにしか日記を書かなかった。

生活が充実していたのもあるが、それより、単受に文章が書けなかった。書こうと思っても言葉が出てこない。とりあえず書き初めてみても、どこかしっくりこない。結局何が言いたいかわからなくなって途中でやめてしまうことの繰り返しだった
。残したいことはあるのに、形に出来ない。そうして下書きばかりをためていた。

数日前に、久々の激鬱を迎え、一日何もできず16時間も眠り続けた。

この数か月はとても調子がよかった。
だから自分でも一気にメンタルを崩したい理由がわからなかった。

実際は、前兆はきちんと出ていた。
先の見通しができなくなり支払いに追われる、返事をしなければいけないメールを返せない、無計画にバイトを詰め続ける。
寛解期になった時、初めて自分が狂っていたことに気がつくのだ。


精神を安定させるのに効果があったのは、家計簿でもスケジュール帳でもなく、To Doリストでもなく、日記だった。


文章にすると、思考や感情が輪郭を持つ。
そうして自分の現在地を俯瞰的に把握できる。
「今の私は躁気味だから、ネットショッピングないようにしよう」「鬱気味だから友達と遊ぶ予定を減らそう」と計画を立てられるようになった。

私とって「書く」という作業は、記憶する作業であるとともに、整える作業でもある。
この作業を怠ると、脱線しても気が付かないまま走り続けてしまう。立ち止まって現状を把握してから次の駅へ。
なので、この一ヶ月は無理をしてでも日記を書くべきだった。

とにかく、毎日書く。なんでもいいからその時書きたいことを書こう。
「お肉もりもり食べたい」とか「眠い」とかそれくらいでもいいから、とにかく書く。自分に向き合う時間の入口になってくれればいい。

何を日記としてとらえるかは、人によってさまざまだが、私は、今手元にあるものを書き綴った文章を日記と呼んでいる。
なので私の日記は、エッセイであることもあれば、生活記録のあることもある。

今日は疲れたのでもう終わり。明日もいい日になりますように。



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