斜視と遠視を矯正したら人生が変わった件 ② -能力に関して思う事-

こんにちは、ASDだと思って生活していたら、斜視と遠視をメガネで矯正したら能力が爆上がりして生活コストが下がった者です。

今回はそれに関連して気づいたことというか、この世界に関して自分が感じたことを述べたいと思います。
相当センシティブなことを書いていますので、閲覧注意です。

境界知能という言葉をご存じでしょうか?
例えばIQが70以下だと生活がしにくいといったような指標で使われる言葉です。

私はこれ実は、比較的高めのIQにもみられると思っています。
何が言いたいかというと、能力がこれくらいじゃないと〇〇が出来ない(いくら練習をしても習得が不可能)といったものが歴然と存在するという事です。

私は斜視と遠視を矯正して、動作性IQに相当する部分が大いに向上したわけですが、これにより、今までは習得に1~2年かかったり、もしくは一生できなかったものが5分で出来るようになっています。

これを頭の中の感覚に置き換えると、「今までは同時に2~3個の思考しか走らせることが出来なかったが、今は7個くらいに増えた」みたいな感覚なんです。
これを考えると、「しゃべり」一つとっても、①状況の把握 ②相手の言っていることを聞いて理解する ③理解したことを自分の知識とつなぎ合わせる ④適切な表情を出す ⑤声を出してスムーズに話す ⑥次の展開を予測する みたいな事を同時にやらなければスムーズなトークは出来ないわけです。これを、例えば2~3個しか同時に考えられない人は当然、逆立ちしてもトークなんかできるようにならないわけです。そうなると、練習をして、「想定していた場面のトークのみが出来る」といった状況しか不可能なわけです(アドリブが効かない)。そうなると人付き合いも苦手になり、人付き合いを必要としない趣味や仕事に目を向けたりします。

私はたまたまメガネを変えただけで上に上がれたので、両方の経験をできましたけど、これを一生味わわずに終わる人もいるわけです。そういう人は当然卑屈になります。頑張っても何も出来ないわけですから。それが更に特殊な能力の尖り方をしてしまうと、共感できる仲間が少なかったり、そうすると益々共感力などが欠如してしまい、そうすると人から敬遠されることも出てきます。
…なんか僕らが嫌ったりしている人って、性格が悪いんじゃなくて、こういった能力の差が最初にあって、結果紆余曲折を経てそうなっているだけのように見えませんか?
そして、そのような方々をアドバイスなどで本質的に助けるのは難しいと思いませんか?

でも、それで苦しんでいる人がいるのも事実。私はそういう方に手を差し伸べたくてこの記事を書いています。私が苦しんでた時に、こういうのを書いている人がいてくれたら、といったようなことを今書いています。

なので一度、目もそうだし、それ以外の感覚器の問題を疑ってみてほしい。諦めないでほしい。
まずは是非両眼視検査を行ってみてください。

今回で気づいたことは大量にあるので、また書かせていただきます。
それでは。



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