LGBT法案よりも北朝鮮に拉致された国民救出が先だ!

■拉致被害者の人権は語られない
 北朝鮮による拉致は無いとされたが北朝鮮が認めたことで状況は一変した。その後拉致被害者の一部は日本に帰国できたが大半は帰国できていないとされている。日本政府は北朝鮮が拉致を認めたことで全員の救出をすると思われたが実行しなかった。

 その後の日本政府は積極的な救出を放置して北朝鮮の対応を見守るだけ。北朝鮮から5人が日本に帰国してから20年が経過したが進展は無かった。今では北朝鮮による拉致被害者救出よりもLGBT法案の議論がされている。女性の人権よりもLGBTの人権が大事とされ、本来守るべき者を後回しにされている。

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■国民を見捨てる政治家
 結論から言えば、国民を見捨てる政治家は国民のための政治をしない。北朝鮮が日本国民を拉致していることが知られても日本の政治家の大半は動かない。それどころか北朝鮮が拉致を認めて5人を帰国させても自衛隊に対して救出作戦を命令しなかった。話し合いで解決するとしても何年経過したのか?最初の拉致から50年が経過したとされ、5人の拉致被害者が帰国してから20年が経過した。

 日本の歴代政権は救出を行わない。仮に動いたとしてもアメリカに頼む始末。これでは戦闘を行なうと汚れた政治家になるから汚れ役をアメリカに任せようとしているだけだ。だがアメリカが拉致被害者救出を行わないので疑問に思っているのかもしれない。

 汚れ役をアメリカの大統領に押し付けて自分は清らかな政治家でありたい。だから戦争・戦闘に関する汚れ役から逃れることばかりしている。同時に汚れ役を持ち込む拉致被害者は迷惑な存在なのかもしれない。

 そうなれば日本の政治家は国民を見捨てることを意味しているので、日本のための政治を行なうはずがない。結果的に外国のための政治になるならスポンサー優先の政治を行なうのだろう。北朝鮮に拉致された国民を軽んじ、今では女性の人権無視したLGBT法案が議論されている。これらは本質的に守るべき存在を無視したことで共通している。

■女性を見捨てるLGBT法案
 私見で言えばLGBT法案は女性の人権を軽視する抜け穴が有る。少数の弱者を守ることも必要だが本当に弱者なのか疑問だ。何故なら自認で女と言えば女子トイレ・女風呂に入れるのだから犯罪者が悪用できる可能性が有る。

 LGBT法案は犯罪者が悪用する可能性が有る法案。女子トイレ・女風呂は生まれた時に性別にしなければ女性を犯罪に巻き込んでしまう。さらに去勢して性別変更していなければ女子トイレ・女風呂に入れるのは危険だ。

 自認は自称だから都合良く変更できる。自認を確認することは難しいが、真偽を確認する時間と技術の投入が求められる。そうしなければ何でも有りの世界になり女性を無法地帯へ放り込むことになる。

■民主政が腐る原因
 私見だが国民を見捨てるなら国民のための政治をしない。北朝鮮拉致された国民を見捨てるのだから、LGBT法案で女性の人権を否定するとしても熱心に議論されている。本来守るべき存在よりもスポンサーが大事だとすれば?金になる方を選ぶなら国外も国内も金を優先の政治になる。

共和制の原点:職能区分
「祈る人」・「戦う人」・「耕す人」の様な中世までの分業社会が前提。共和制はそれぞれの代表が集まり協議して国家を運営するシステム。共和制は職業区分が明確で、お互いが義務(Task)を果たす政治ならば成立する。しかし職業区分が増加し一人が複数の職業を兼任する様になると社会における義務が重複するようになる。義務の重複は責任区分が曖昧になり最終的には無責任に発展する。こうなると共和制が成り立たない。

民主制の原点:共同体区分
 個人の利益よりも全体の利益を優先した多数決が民主主義。民主制は「人間は不完全な生き物」と認識すれば健全だが「人間は完全な生き物」と認識すると腐敗する。何故なら「人間は完全な生き物」と認識すれば、個人の利益が全体の利益にすり替えられ、多数派が正しい選択として採用される。

 民主制は地縁・血縁関係の共同体の代表が集まり協議する。集まるのは利益誘導型の代表だから民主制の原点である多数決の意味を忘れると個人の利益が共同体の利益になり国家の団結力が低下する。その行き着く先は衆愚政治か煽動政治である。

人間としての条件
 制限の範囲内の自由:人間・個人主義
 無制限の自由   :獣・利己主義

社会
 制限の範囲内の自由を選んだ人間同士の共同体。

政治
 個人の利益よりも全体の利益を優先した多数決が民主主義。

 民主主義は「国民は公正無私の立場で選良を選ぶ」という仮説により成り立つ。人間は不完全な生き物と言う前提を無視しているので仮説が崩れると衆愚政治や扇動政治に陥る。日本は民主政だから人間としての条件の段階で無制限の自由を選べば(獣・利己主義)が共同体となり、個人の利益を全体の利益にすり替えられた多数派工作となる。だから仮説が崩れたのでLGBT法案は扇動政治に陥っている。

 LGBT法案を作る前に制限の範囲内の自由に回帰し人間・個人主義の共同体を選ぶ必要がある。こうなると自認は制限され検証されてから許可される。さらに個人の利益よりも全体の利益を優先した多数決が民主主義に至れば女性の人権を認めた法案になるだろう。

■LGBT法案よりも拉致被害者の救出が先だ
 北朝鮮に拉致された国民は50年前から確認されている。時間は有限ではない。拉致された国民の人権を否定するなら国民のための政治をしないことになる。話し合いで解決するにしても「いつまで」の期限が必要だ。だが拉致被害者に関しては既に50年が経過しているので今でも自衛隊への救出命令が必要な段階なのだ。

 LGBT法案に熱心なのは北朝鮮に拉致された国民救出を議論したくない拒絶反応としか思えない。日本の政治家たちに告げる!北朝鮮に拉致された国民の救出はいつだ?自衛隊に救出命令を出せば済む話ではないか!

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