【ぶんぶくちゃいな】中国インターネット20年

つい最近、中国のSNS「微信 WeChat」(以下、「WeChat」)を眺めていたら、「中国インターネット20年略史」という記事が流れてきた。

香港の返還20週年が過ぎたばかりだというのに、中国のインターネットが20週年とな!

そういえば、確かに1997年秋に北京を訪れた時、新しいもの好きのコラムニストの友人はすっかりインターネットにハマっていた。

彼は西洋の流行音楽の評論活動をしていて、大学生だった1980年代終わり頃からずっと海外のポップミュージックについて書き続けていた。そう、まさに天安門事件世代でもある彼は卒業時に、主要メディアが一切新卒を採らないという方針を取り、彼のような広場に集まった人たちを拒絶したのでしかたなく公務員になった。

人が羨むような仕事ではあったが、彼はますます余暇の音楽評論執筆に没頭。わたしが知り合った90年代前半にはすでにその仕事も辞め、中国の主だったメディアでたくさんコラムを抱える「人気コラムニスト」になっていた

1980年代には中国の音楽ファンは北京など大都市を中心に、留学生や外国人が海外から持ち込むカセットテープをダビングしてもらって最先端ポップスを聴いていた。

90年代になると、ダビングカセットの他に、街中で売られている「打口帯」(だーこうだい)と呼ばれるカセットやCDが出現した。「打口帯」は海外から輸入された音源だが、その輸入時の名称は「廃棄物」。

それは、主に欧米でレコード会社(音楽制作会社)が大量に生産し、市場に流したものの、余ったり、売れ残ったものに、著作権の関係もあってその一部に「穴」を開け(=「打口」)、プラスチックごみとして廃棄されたものだった。その処理を請負って輸入した中国の業者がその価値を見出し、市場に流れて「打口帯」と呼ばれて、中国の音楽ファンに歓迎された(「打口帯」の「帯」は「テープ」の意。音楽をカセットテープで聴いていた時代の名残だろう)。

もちろん、ケースごとパンチで穴を開けられているので一部は完全に聴けないのだが、残りの部分はちゃんと聴けた。カセットテープもテープ部分が切られていても、音源に飢えていた人たちはそれをうまく修復して聴ける「技術」を磨いた。ときには穴が大事な音源部分をうまくはずれた「掘り出し物」にぶつかることもあった。

「打口帯」の時代は1990年代から2000年代に入ってもしばらく続いたと記憶している。のちには、ハナから音源として欧米で中古品や余剰品を買い付けて、わざと音源部分を外して穴を開け、転売目的で中国に送り出す業者も出現した。

友人のようなプロ評論家(あるいは西洋ポップス中毒者)はそれでも間に合わず、わたしは香港で買ったCDを山ほど彼のために持ち込んだりもした。一度は税関でスーツケースを開けられ、その半分くらいを占めていたCDの多さに税関職員が目を剥いたが、「自分で聴くんだ!」と主張したらそのままおとがめなく通してくれた。

周囲の話では、同じCDが複数枚あれば「販売目的」とみなされ、密輸扱いになるということだった。おかげで読みたかった雑誌や新聞を没収されることはあったけれども、今から思えばよき時代だった。

つい先日、彼に「手元に何枚くらい「打口帯」が残っているの?」と尋ねたら、「2000枚くらいかな?」という答が戻ってきた。一般からするとこれはこれですごい数(その他の正規版を含めない「打口帯」のみだ)だが、意外に少ないな、とわたしは思った。やはりその後正規版が手に入ったり、ネットで手に入れられることができるようになって、かつて必死に聴いた「打口帯」の一部を処分したようだ。

今やネットで簡単に先端の音楽や動画をダウンロードできる時代。しかし、「プレ・インターネット時代」というと、わたしも一役を担ったこの光景を必ず思い出すのだ。

●「長城を超えて世界へ」

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