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「君はメガネをかけることで、本当の自分を隠している」

昔、言われたこと。
その人のことがすごく好きで、結婚すると思っていた。

病気がちな彼は、急に音信不通になって入院していたり、病気のために小さいヘルシー弁当を持参して「本当はもっと食べたい」としょんぼりしながらチマチマお昼ご飯を食べたり、でも私にはもっと食べろ食べろ言ってきたり、また音信不通になってどうしたのかと思ったら、唐突に私より痩せた姿で学食に現れたり、変な人だった。その時はなにも知らせずに手術を終わらせてきていた。「ただいま」じゃないよ、心配したよ。
多分すごく大変だったのだと思う。でも、側から見たらちょっと独特で、よく分からない印象の子だったと思う。

その時の私は言葉が足りなくて、すごく弱くて、変なやつだけど愛してるよと表現することができなくて、別れてしまった。何かを守る力は、まだ無かったんだなと思う。

昔のことなので細かくは覚えていないけれど、変な人だったことと、すごく幸せであったことだけ覚えている。だから多分、私が至らなかったことが悪かったんだろうと、今でも思っているし、そうとしか思えないところが、まだまだ未熟なのだと思っている。

私はメガネをかけているのだけれど、タイトルのようなことをそういえば言われたなあと最近思い出した。ふと思い出せるのが、最後になる気がしたので書き留めておく。
ちなみに、言われた当時の私は何のこっちゃ、うるせえと思っていた。
その時は、ジョンレノンモデルの丸眼鏡をかけていた。

でも大人になって、なるほど確かに誰のこともちゃんと見ていないかもしれないなどと思い始める。それは眼球の視線、ということではなくて、心の視線。
こちらの本心がバレてしまうのが、怖いのかもしれない。しっかり向き合ったら、自分のこともくっきりと見られてしまう。

結局こうして、深夜になって、友達もみんな寝てしまって、自分の部屋にポツンと一人でいる時に、安心している。
いろんな言葉を身につけて、手段を身につけて、交友関係が広がった。
大人になったから取捨選択もできるようになってきた。
でもそれはずっと上手くやる手段であって、自分が本当に安心できる場所を作り出すことはまだまだ下手なのかもしれないな、などと思う。

今まで好きになった相手と、安心して過ごせたことは無かったなと振り返る。
アラサーにして、急に我に返るのである。ウケる。
彼が私にどうあってほしいか、まずは読み取ろうとしてしまうし、それを上手く演る自分でしか、人と付き合ったことがないなと思う。それって、全然正直に向き合えていないな、と思う。
我ながら、それなりに酷い扱いを受けて関係が終わってしまうことが多いなあと薄々気づいていたのだけれど、相手のせいにだけするのはなんだかしっくりこないなと思っていた。

でもふと思い出した、タイトルの言葉。
一番好きだった人に、とっくの昔に本質を突かれていた。
そうかなるほど、やっぱり彼は私のことをよく見ていたな。私が彼を見る以上に。私が私を見る以上に。
お互いに幼くて、伝える、とか、妥協する、とか、あんまりできなかったけど。

自分のことを見られたくないから、相手のことも正面からから見れない。
受け止める、ということは手段として身についているけれど、自分像を差し出して、相手と、その相手の正面に自分を置いて、向き合う、ということはできていないのかもしれない。

ありがとう彼。
すでに拒絶されているので、連絡は取れないのだけど。
なんとか生きて、暮らしているようなことを風の噂で聞いたので、満足している。
生きていてくれて嬉しい。傷つけてしまったことは消えないけれど。お互い様だぞ。

周りがやっと結婚ラッシュになって、幸せなお知らせに私も嬉しくなる今日この頃。
焦る訳ではないけれど、私も誰かを大切にしたいし、されたいな、と思う。

だから今大切にしたい人を、まずは大切にする。
その手段の中で、嘘をつかないように、正直な自分でいる。


気になるあの子にも、声をかけてみる。


いや、やっぱそれはちょっと、もうちょっと痩せてからとかにしようかな。

…ヘタレな自分も、また正直ということ。

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