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恵まれていてゴメンなさい

僕の家は裕福です。自慢するほどではないですが、お金に余裕があります。小さな頃からおいしいご飯を食べ、長期休みにはどこかに旅行に行き、兄弟二人とも浪人して大学に行きました。奨学金は借りていないです。

僕の親はどちらも一流大学卒で賢いです。僕もそれを受け継げたのか大学自体は有名大学で賢い部類に入るのかなと思います。

まあそんな感じでお金と才能に関しての悩みで深刻なものは一度も経験したことがありません。かと言って好きなものを買ってもらっていたかというとそういうわけでもないし、圧倒的に賢いというわけでも超絶お金持ちというわけでもありません。でも周りは奨学金を借りていない難関大に受かった僕を”恵まれた”、”苦労のない人間”と言います。それに対して文句を言うつもりはありません。
ですが、恵まれていること、苦労のないことは誰がどうやって決めるのでしょうか。

先日、ちょっと仲の良い知り合い2人と居酒屋に行き楽しくおしゃべりをしていました。そこで僕は自分の恵まれた人生を申し訳なく思いました。

始め世間話から入り、最近は何をしているか、楽しく過ごせているかと言った話をしていました。そして僕の近況報告の番になりました。僕は高校生くらいから楽しいと思うことばかりしてきましたし、何より大学に入ってからは世の中のあらゆることが楽しくてしょうがない日々でした。部活も学部の勉強も就活も趣味の絵も読書も料理も人との口喧嘩でさえも楽しいな〜と思っていました。嫌なこともありますが結局楽しくなってきちゃうんです。ですのでその旨を伝え、僕は人生楽しいし、みんなの人生も楽しそうだねと本気で思い言葉にしました。

すると2人のうち1人が「〇〇君の人生ってなんの苦労もなかったんだね〜」と口にしました。僕は彼女が嫌味っぽく言ったことはわかりましたが、それでも別に苦労がないって思われても別に減ることはないしいっかーと思ってヘラヘラしていました。するともう1人が、「親があれじゃそら楽やろ〜、甘い人生生きてるよな〜」といじりがエスカレートしていきます。すると彼女らは自分の不幸自慢をし始めました。

「私の親はシングルマザーだし、高卒。学費もバイトと奨学金だしほんと毎日大変」

「私の親とか中卒やで」

「親ガチャ、SSRやん。ずるいわ〜」

ただただ申し訳なかったです。家庭が恵まれていたばっかりに彼女らの自己肯定感を下げ憂鬱な空気にしてしまったことに申し訳ない。
親ガチャなる概念、意味のわからないランク付けのせいで僕らの仲がギクシャクすることが何より悲しかった。

ここまで生きてきた君たちはすごい。

僕は恵まれていない人生は想像できないし、彼女たちみたいに強く生きていける自信もありません。そんな強い遺伝子を持った彼女たちがある意味で恵まれていると感じるのは僕だけでしょうか。

こんなこと思ってはいけないかもしれないけど。


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