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インクルーシブ教育について

はじめに

昨今、インクルーシブ教育という言葉をよく耳にする。
今日の教育などで大変重要な考え方であることを承知ではいるが、どのようなものなのかはうまく説明することが出来ない。

遡ってみれば、私が小学五年生の頃、普段の従業の中で特別支援学級の生徒が一緒になって授業を受けている場面があったが、今思えばあれはインクルーシブ教育だったのではなどと感じている。

そこで私は、このインクルーシブ教育を深堀りしていき、今後の社会福祉施設での体験や教育実習などに役立ていきたいと思い、今回インクルーシブ教育について調べてみた。

インクルーシブ教育とは?

そもそも、インクルーシブ教育とはどういうものなのか。

インクルーシブ教育というものに、ひとつの絶対的な定義は存在せず、世界各国でいろいろな形が模索されている。

インクルーシブ(inclusive)とは、「包括的、物事の全体を包み込む」という意味であることから、インクルーシブ教育を概略的に説明すると、障害の有無に関わらず、すべての子どもたちが一緒に学べる仕組みのことであると言える。

そして、このような隔たりのない教育を目指すためには、2007年4月に改正が行われた学校教育法の「特別支援教育」 の考え方が必要である。

特別支援教育の理念は「共生社会の実現」であり、障害の有無だけではなく個人の違いなどを認めつつ、すべての人が活躍できる社会を目指すという考え方である。

そのため、障害のある子どもには十分な支援を行い、心身の改善を図ることは重要だが、必ずしも困難な部分の克服や軽減のみを目標とするものではない。

課題に対しては、本人の努力だけではなく、環境や社会、教員をはじめとした周囲の人たちなど、包括的なサポートによって解決できることも多い。

そこで、インクルーシブ教育を実現するためには次のような考え方や体制が必要とされる。

①子どもに障害があっても一般的な教育体制から排除しないこと

②自身が生活する地域の中で初等中等教育の機会が得られること

③個人に必要な合理的配慮を受けられること

ここでいう合理的配慮とは、子どもの状態に応じて必要なサポートや環境整備などを行うことを指す。

つまりインクルーシブ教育は、障害や地域を問わず、適切な配慮が行われた状態で誰にでも平等な学びの場がある体制を意味している。

分離教育から統合教育へ

ではインクルーシブ教育が唱えられるまで、障害のある子どもへの教育の考え方や、彼らをとりまく学習環境はどのようなものだったのか。時代を追って見ていく。

明治時代以前、障害のある子どもは、教育の対象と見なされておらず、教育を受ける機会が十分与えられていなかった。

障害のある子どもにも教育が必要だといわれ始めたのは明治時代以降であった。

今よりも国の強制力が強かったために、本人や保護者の意志は尊重されることはなく、就学先を選ぶことは許されなかったものの、明治時代から、盲学校やろう学校が設立され、一部の障害のある子どもたちが教育を受けられるようになったのだ。

また、盲学校やろう学校などへ行くことは「特殊教育」と呼ばれ、障害のある子どもの義務とされていた。

そして昭和時代の終わりには、養護学校の義務化により、それまで就学を免除されていた重度の障害がある子どもに対しても平等に教育の機会が保障され、すべての子どもが教育を受ける仕組みができあがった。

そして、障害の有無に関わらず社会参加を目指す考え方である「ノーマライゼーション」が1950年代にデンマークで生まれて以降、徐々に日本でもその発想が広まり、特殊教育が疑問視されるようになっていった。

また、特殊教育は障害の有無によって子どもを「分離」する「分離教育」であるとする非難の声もあった。

そして1981年「国際障害者年」によって、障害のある子どもに対する教育の在り方は大きく変化していくこととなる。

特に、障害の有無によって区別せず、誰もが普通学級で学び社会生活を共に過ごせるような環境を目指す考え方が強くなった。

その結果、今までの「分離教育」から、障害があっても普通学級で学べる「統合教育」へと変化が始まったのだ。

私が小学校で経験した事例も、この統合教育に該当するだろう。

インクルーシブ教育への変遷

同じ教室で障害のある子どもも学べるように制度が変わったものの、すべての対象者が統合教育に移行することができたわけではない。

学校の体制が整っていないなどにより、普通学級の学習に参加できる能力のある子どもだけが対象とされていた。

受けられる指導も、教科内容をサポートする程度のものであったため、障害が重度な子どもにはまだ不十分な対策であったといえる。

このような批判が国内であがっていた1994年に、スペインのサラマンカで「特別なニーズ教育に関する世界会議」が開かれ、新しい考え方としてインクルーシブ教育の理念が唱えられた。

その後、インクルーシブ教育の理念は日本にも導入されていき、2010年文部科学省によってインクルーシブ教育理念の方向性が示された。

それまでの時代の教育で起こっていた問題について、環境の整備や支援の必要な子どもに対する配慮の必要性などの具体的な改善案が打ち出された。

これにより、研修会や勉強会が行われるなど、教員たちの意識を変えるような取り組みも行われるようになった。

このように、障害のある子どもを取り巻く環境は時代の流れの中で少しずつ改善されてきている。

しかし、より詳細な対応や考え方については現在も議論が続いており、教育体制や様々な障害に対応できる環境整備、教員の知識やスキルなど、さまざまな課題も残されているのが現状である。

三者の視点からメリットを考察

次にインクルーシブ教育実現のメリットについて、3つの立場に分けて考察していく。

1.障害のある子どもたち

まず、障害のある子どもへの影響について、インクルーシブ教育によって障害のある子どもが一般教育に参加できることと、今まででは経験できなかった多様な学びの機会が得られるというメリットが挙げられる。

どのような障害があっても、さまざまな交流や学びから経験を積むことで、社会に出るための糧となっていると考える。

また、インクルーシブ教育では、すべての子どもが同じ場所で学べるため、社会性や生きる力など、学問だけではない部分も吸収できるだろう。

2.周囲の子どもたち

次に、周囲の子どもたちへの影響について、周囲の子どもにとっては、障害のある子どもと過ごすことで、思いやりや協力の姿勢などを育む道徳教育の充実につながると考えられる。

障害によってどのようなことが困るのか、どう支えれば良いのかなど、人に配慮できる考え方を身に付けるきっかけになるだろう。

今後の共生社会の実現のためには、周囲の子どもたちが障害に対しての理解を深めることが重要だ。

3.教育者

そして、教育者への影響について、学びが増えるのは子どもだけではなく、教育者も当然障害に対する理解や知識を深めなければならない。

しかし、座学のみで知ることと、実際に経験することには大きな差がある。

インクルーシブ教育で障害のある子どもと接する機会が増えることで、教育者にとってもより理解を深めるきっかけになるだろう。

インクルーシブ教育実現に向けて

インクルーシブ教育は、いまだ成長の過程にある。

今後の課題としては、まず教育機関における人員の充実が必要であると考える。

インクルーシブ教育では合理的配慮が必須だが、人員不足のため負担を感じる教員、指導員が多い。

通常学級の子どもが障害を持つ子どもへの合理的配慮を特別扱いだと考えない指導法の確立も重要であると考える。

また、障害のある子どもが同じ場所で学べるよう、校内施設の見直しも必要とされるため、予算についても課題が生じるだろう。

しかし、誰もが自由な選択肢を得るためにも、さらにインクルーシブ教育の考え方が浸透し、すべての子どもに配慮できる社会を目指していくことが最も重要なことなのではないかと思う。

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