きみがロックについて書きたいなら
では、はじめましょう。
みなさん、小説は読みますか?
小説から学ぶべきは、空間描写です。
金原ひとみの『オートフィクション』という小説に、こんなシーンがありました。
狂乱のパーティです。テキーラタイムを勝ち抜いた女が、DJブースで叫びます。
「私は神だ!」
以前、似たようなシーンをどこかで見た気がします。キャメロン・クロウの映画『あの頃ペニーレインと』です。
人気バンドのフロントマンが、ドラッグパーティの最中、屋根の上で叫ぶのです。
「オレは輝ける神だ!」
このセリフの元ネタは、レッド・ツェッペリン全盛期のロバート・プラントです。彼がホテルのテラスからこう叫ぶのを、当時『ローリングストーン』の記者だったキャメロン・クロウが実際に耳にしたのです。
金原がこの映画を意識したかどうかはともかく、作家が「ある小説家の自伝」を装って小説を書く、というメタ構造を持つ『オートフィクション』と、16歳でストーン誌の記者に抜擢され、ロック・ジャーナリストとしてキャリアをスタートした体験を、本人自ら監督としてフィクション映画に仕立てた『あの頃ペニーレインと』は、〈描く〉という行為の重層性において共通した要素が見られます。
自らを「神だ!」と言ってのける熱狂と陶酔。その全能性の内奥に切り込みながら、同時にそれを冷徹に観察し、文字に定着させるニュー・ジャーナリズム的手法は、雑誌、あるいはウェブでもいい、現代のメディアにおいてどのように転用できるのでしょうか?
今日は、そのことについて考えたいと思います。
――と、そんなふうなことを、30人ぐらいの若い男女の前でしゃべっていた。
2015年の夏、ライターの磯部涼とともにある講座の講師を務めていた。
講座名は、「音楽文化のつづり方」。
本来、磯部も私も教室で人に何かを教えるようなガラではない。
ただ、ふたりの対談をベースとしたレクチャー形式であれば、思いもよらぬ展開や着想が生まれることもあるだろうし、自分たちのキャリアを棚卸ししつつ、古今東西の音楽文化の〈つづり方〉を整理することも、それなりに意味があるだろう。なによりそれを本にまとめれば、二度美味しいではないか、という目論見もあった。
『あの頃ペニーレインと』に触れたのは、3回目の授業でのことだ。
前置きがあった。
ポール・ウィリアムズの『クロウダディ!』と、ヤン・ウェナーの『ローリング・ストーン』。
ロックにも「評論」が成り立つ、ということ自体、まだ理解されていなかった時代の話だ。ロックに、あるいはミュージシャンに、「語るべき内実」があるなんて誰も思っていなかった。
だが、ポール・ウィリアムズは自分の耳を通して掴んだロックの精神を文学的に記述し、『ローリング・ストーン』はロックとカウンター・カルチャーを、ジャーナリズムで串刺しにした。「怒れる若者たち」の輪郭が浮かび上がった。
――では、もう一度、『あの頃ペニーレインと』に戻ってみましょう。
これはすでに「ロック・ジャーナリズム」が一定の認知を得た時期の物語です。ただ、この映画を見れば、当時の雰囲気が少しはわかるかもしれません。
ストーン編集部のスタッフとして主人公ウィリアムのデスク担当となるのは、ボブ・ディランやCSN&Yなど大物ミュージシャンのツアー密着ルポで有名なベン・フォン・トーレスです。
そのベンにダメ出しされて落ち込んだウィリアムを深夜の電話で励ますのは、辛口レビューで知られる名物ライターのレスター・バングス。この名前を覚えましょう。
レスターを演じている俳優は、フィリップ・シーモア・ホフマン。2年前、彼がドラッグの過剰摂取で急逝した際に、多くのファンが哀悼とともに触れたのが、この電話のシーンです。
受話器を握ったフィリップ演じるレスター・バングスが、優しく諭すように主人公に言います。
「いいか。ミュージシャンと親しくなって、自分までクールになったように思うかもしれないが、オレたちはクールじゃない。それに女にモテなくて苦労するけど、世界中の偉大な芸術のほとんどは、そのことがテーマなんだ」
ロックはまだ男社会のものでした。劇中では描かれませんが、ペニーレインたちバンド・エイド(グルーピー)が落ち目のバンドを見捨てるパターンだって、いくらでもあったでしょう。
『あの頃ペニーレインと』の原題は、「Almost Famous」。ブレイク寸前、ほとんど有名、知る人ぞ知る。売れたり、売れなかったり。モテたり、モテなかったり。
Almost Famousな季節に居合わせた人々の悲喜こもごもは、いつの時代にも繰り返されることでしょう。レスター・バングスも、磯部涼も、九龍ジョーも、そして、ここにいるみなさんも同じです。
授業では、毎回、レポート課題を出した。
受講者のなかに関西でライブハウスのPAをしている男の子がいて、彼の書くものがちょっとよかった。
こんな描写だ。
中域を占めるシンセ音の上で、パーカッションとヴォーカルはどう場所を取り合うのか。ツマミをいじり、一音一音あるべき場所に置く。うまくいったと思った瞬間、オーディエンスの歓声が上がる。PA卓を振り返る者などいない。今、最高の音だ。彼はそれを誰かに伝えたくて、つきあっている彼女にメールしようとするが、思いとどまる。きっと仕事中だろう。照明オペレーターがねぎらいの言葉ともに彼にビールを差し出す。
『あの頃ペニーレインと』で私が好きなシーンを思い出す。マイクの不備で感電事故が起こり、それが原因でマネージャーとプロモーターが殴り合いのケンカになるのだ。
さあ、ロックについて書こう。
(初出:「観ずに死ねるか!傑作音楽シネマ88」2016年)
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