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死生観みたいなもの

好きな人とは相変わらず
距離が縮まりそうで縮まらずにいる。
彼の離婚後の財産分与とか養育費の支払いなんかが決まったらしく
年明けくらいにはマンションを出ることにしたみたいだ。

昨日は一緒にご飯を食べて、
お茶した後に彼の家にお邪魔して遅くまでいた。
二人で干し柿用の柿を剥いて吊るしたりした。
何回か家には行ってるけど、嘘みたいに何もない。笑
端から見たら、家にあがって数時間過ごして嘘でしょ?って言われかねないけど、本当に何もない。


家に行く前に、近くのカフェでお茶をした時、
私は話せてなかった病歴の話をした。

11年前、私は右胸に癌が見つかって手術している。

彼は健康診断で異常が見つかっても再検査はしていないと言う。
自然に生きて行きたいから、
もし癌になっても多分治療はしない。
余命3ヶ月って言われたら、
受け入れて『あぁやっと終わるな』と思うとおもうって言った。

アグレッシブに生きている人だけど
余計なこと(治療)はしたくない、シンプルに生きたいという。
今は独りだし別にそれでいいと。
聞いていて辛くなった。
今も思い出して涙目になっている。
私はまだ彼にとったら大事な存在ではないんだな、
私は生きていて欲しいし、一緒にいたい、
もし死んじゃったら大泣きする。
言いたかったけど、曖昧な関係だから
喉元まででかかった言葉は飲み込むしかなかった。

自分の死に対する考え方は
人それぞれあって否定は出来ない。
私も自分の延命治療とかは多分しないなと思うけど。

好きな人が、側にいる人が
独りで静かに死を受け入れてしまったら
多分とても普通の精神状態ではいられない気がする。


次に会う時には
ちゃんと自分の想いを伝えようと思う。
なかなかそんな雰囲気にならないけど。
一緒にちょっとでも長くいたいと思われる存在になりたい。





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