AI vs. 教科書が読めない子供たちの読書備忘録
AI vs. 教科書が読めない子供たちを読んだのでその備忘録になります。
AI(人工知能)と呼ばれるものは、人間と同等程度の知能を持っていないといけないが現時点で存在していない。ただ巷にAIという言葉があふれているのは、「AI」と「AI技術」が混同して使われているためである。AIとはAI技術の開発の行きつく先のゴールである。
AI技術は画像処理技術、音声認識技術、自然言語処理技術等のことを指す。
シンギュラリティ(技術特異点)とは自立的に自分より能力の高いAIを作るという意味で、シンギュラリティはやってこないと筆者は断言する。
ロボットに大学受験をさせる「東ロボくん」プロジェクトは、スタート時センター試験の偏差値が45で、7年後で57.1まで成績を伸ばした。これはMARCHの一部学科で合格率80%をとれる成績。
だがここら辺が限界の見込み。運が良ければ偏差値60程度までは行けそうだが65に届くことはないだろう。仮にPCの性能が上がっても変わらない。演算処理の回数と知性に直接の関係はない。
コンピュータはあくまで計算機であり四則演算しかしていない。つまりAIは計算に当てはめること以外は何もできない。AIには意味を理解する仕組みが入っているわけではなく、あくまで理解してるフリをしているしているだけである。
世の中のすべてを数式で表せない限り、シンギュラリティは起こらないし、不可能だと筆者は考えている。数学に表現できることは限られている。
数学の歴史の中で発見されたものは、論理、確率、統計この3つだけである。コンピュータはこの3つ以外のことは何もできない。
「私はあなたが好き」「私はカレーが好き」この2つの意味合いの違いを数学で表すことは非常に難しく、ここら辺が「東ロボくん」の成績が伸び悩んでいる根本的な原因である。
コンピュータは意味を理解しない。これが真の意味でAI完成の大きな壁である。
例えば自然言語処理について論理を使用して解を出すことは、理論的に可能だが現実的に不可能である。ルールが莫大で処理するのに時間がかかりすぎることとルールがすぐに変わる危険がある。
しかし確率と統計を使うと「結構当たる」
ディープラーニングという技術は、大量の教師データを覚えさせて、最も「っぽい」答えを出しているにすぎない。
「先日、岡山と広島に行ってきた」
「先日、岡田と広島に行ってきた」
この違いが理解できないのである。
AIの弱点は
・万個教えてようやく1学ぶ
・応用が利かない
・柔軟性がない
・決められた(限定された)フレーム(枠組み)の中でしか計算できない。
つまり「意味が理解できない」。
ということは人間はこの逆
・1の教えで10学ぶ
・応用力
・柔軟性
・枠にとらわれない発想
ここら辺を身に着ければAI恐れるに足りず。
日本の中高生の読解力は危機的な状況にある。
入学直後の大学生を国立S、A、B、私立S、A、B、Cの7グループに分類して基本調査を行ったところ、国立Sだけ異なる傾向を示した。
結果を「正解」、「典型誤答」、「深刻な誤答」、「白紙」の順で並べると国立Sは比率が右肩下がりとなる。他グループは典型的誤答がピークになる山形となる。筆者はどこの大学に入学できるのかは学習量や知識ではなく、論理的な読解と推論の力で決まるのではないかと確信するようになった。
基礎読解力を調査するためにリーディングスキルテスト(RST)を開発した。RSTは「係り受け解析」、「照応解決」、「同義文判定」、「推論」、
「イメージ同定」、「具体例同定」の6分野を測定するテストである。
係り受け:主語と述語や修飾語と被修飾語の関係の理解(AI正解率80%)
照応:「これ」などの指示代名詞が何を指すのかの理解(急速にAIで進化している)
同義文判定:2つの文章の意味が同じかどうかの判定(AIでは現状難しい)
推論:文の構造を理解し意味を理解する力(AI全くできない)
イメージ同定:図形やグラフと内容があっているの理解する力(AI全くできない)
具体例同定:定義を読んで合致する具体例を認識する能力(AI全くできない)
全国でRSTを行い、AIに対して人間の優位性がある同義文判定、推論、イメージ同定、具体例同定のランダム率*を調べると中学3年生で同義文判定7割越え、推論4割越えとなっている。つまり教室に座っている生徒の半分はサイコロ転がしてテストを受ける知性と同じであると言える。
*ランダム率:ランダムに回答したときに比べ正解率に有意差がない確率
RSTの結果と偏差値には相関係数0.75~0.8程度の強い正の相関がみられる。
つまり、基礎読解力が高い子供が偏差値上位の高校に入学しており、基礎読解力が人生を左右していると言える。
基礎読解力が身につく習慣が何かないか調査したところ目立つ相関は発見できなかった。
文章の表層的理解はできるけど、推論や同義文判定等深い読解ができない場合、文章は読めるのに理解できてないということが起こりえる。これはコピペでレポートを書いたり、ドリルと暗記でテストを乗り切ったりするけど意味は理解できてないということ。つまりAIと似ている。ということはAIに代替されやすい能力と言える。
ドリルを繰り返すことでとりあえず成績を上げることはできるが受験勉強を始めるころに成績が下がってくるということが起こる。読解力のない生徒がどれだけドリルをやっても、読解力のある生徒が勉強し始めると相対的に成績は下がる。
フレームの決まっているドリルでは出てくる数字を何とか式にいれて「当てようと」してしまう。なぜそんなことをしてしまうのか?それが最も効率の良い解き方だから。
フレームが決まっていると子供は教える側が期待しているのとは別の方法で、そのフレームの時だけ発揮できる妙なスキルだけを偏って身につけてしまう。
フレームの決まっているタスクはAIが最も得意とする分野でありすぐに代替されてしまう危険がある。
求められるのは意味を理解する人材。
AIを活用できる人材は当面有用だろうが、長くは続かないと考えられる。
2000年代「ウェブ」という言葉が魔法のように見えた。ウェブクリエイターはホームページを作れるというだけでもてはやされたが、10年たって価値は暴落した。
大事なのは新しいソフトウェアを使いこなせるかではなく、その中身、使うべきポイントを理解しているかどうか。
読解力のない人間にアクティブ・ラーニングは無理。
正解に辿り着く手法を身に着けさせるためのアクティブ・ラーニングなのであれば、少なくとも議論後に正解を確認できないとしょうがない。
ただ彼らはこの正解が理解できるのだろうか?なんたって彼らは教科書が読めない。
アクティブ・ラーニングの実施は公立中学校では不可能で、限られた進学校の高校だけで可能である。
AIと共存する社会の中で、多くの人がAIにはできない仕事に従事できるような能力を身に着けるには、中学卒業までに教科書が読めるようにすること。
読解能力と意欲さえあれば今の世の中、いつでもどんなことでもたいてい自分で勉強できる。
従来の大学入試は人材のスクリーニングという意味で役に立っていた。
しかしAIが労働市場に参入してくるとスクリーニングが機能しなくなってくる可能性がある。現に企業は大学に使える人材を育成しろというようになってきた。企業が欲しい人材はITやAIでは代替不能な人材。つまり意味が分かり、フレームにとらわれない柔軟性があり、自ら考えて価値を生み出せるような人材。
ただそれはないものねだりである。なぜかというと中学生の半数が同義文判定も具体例同定もサイコロ並みだから。
企業がAIを導入する際に最初にすべきことは、AI代替可能な業務を見極め、フレームを明確にし、正解と不正解化を定めること。これはAIには代替されない。次に教師データの設計。これも代替されることはない。ただ教師データの作成は誰にでもでき、高い報酬は望めない。
AI社会では仕事がなくなるだけでなく、企業がなくなる危険も大きい。
それは経済学でいうところの以下の3つの要素が関係する。
「一物一価」
「情報の非対称性」
「需要と供給が一致したところで価格が決定される」
これにより利益を生み出している企業は危ない。
スマホで最安値を検索すれば一物一価に辿り着く時間が短縮され、専門知識を持つ販売員は不要になる。
AIにできるのは生産効率を上げるだけで、新しいサービスを生み出したり、問題の解決はできない。
つまりAIプログラマーは最初必要だが仕事を増やしていくことができない。
楽観論者の言うとおり、AIが人の仕事を奪ったら、過去歴史的にそうだったように他の仕事が産まれてくるとしても、AIで仕事を失った人を吸収することができない可能性がある。新しい仕事はAIにはできないものであるが、そんな人材は職を失わない。
人手不足なのに失業者が世にあふれるAI恐慌を回避するには新しい仕事を創造するしかない。レッドオーシャンでの戦いはAIにより利潤を限界まで削ることになっていく。創造すべき仕事はブルーオーシャンでなければいけない。
何にしても重要なことは読解力である。転職するにしても新しいドキュメントを理解することがまず求められる。
AI恐慌を避けるには人間にしかできないことを見つけ実行し続けることである。
非常に勉強になる本でした。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
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