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ドンキにはなぜペンギンがいるのかの読書備忘録

ドンキにはなぜペンギンがいるのかを読んだのでその備忘録になります。

序章
日本にはたくさんのチェーンストアがある。そんななかチェーンストア=文化を破壊する悪というイメージを持たれている。
本当にチェーンストア=悪なのかドンキを通じて検証してみる。

第1章 ドンキの外観
ドンキの外観は目立つことを第一に考えて作られている。
そんなドンキにはなぜペンギンがいるのか?ドンペンは教会の十字架や神社の千木のようにも見えてくる。
ドンペンは「内と外を融和させる」事を表しているのではないか。
ドンキは居抜き戦略をとっていることもあり、建物自体は特徴ない普通の建築物であることが多く、そこにドンペンを張り付けている。そしてドンキの店舗は地域柄を反映している。例えば白金では銀と白色を基調としており、周囲の建物と調和している。一方、歓楽街のドンキでは派手な装飾がされている。
ドンキは景観や地域住民の意向を踏まえて外観を柔軟に変化させてここまで成長してきている。

第2章 ドンキの店内
ドンキの店内では「ミラクルショッピング」が常に流れている

ミラクルショッピングでは「ジャングル」という歌詞が出てくる。
一般的に小売店ではジャングルという表現は似つかわしくない。小売店は基本的に見通しが良く整然としている。一方、ドンキは通路が複雑でジャングルのようであり、迷いやすい。
小売店はグリッドで区割りされ目的の場所にすぐにたどり着けるように設計されている。しかしドンキは見通しの悪さ(圧縮陳列)と曲がりくねった通路が目的地に一直線で行くことを阻んでいる。
ミラクルショッピングの中で「衝動買いでも得したね」という歌詞がある。これは衝動買いを誘発するため、商品との接触回数を増やすというドンキの戦略が見える。
つまりドンキは効率よく儲けるために、複雑なジャングルを形成したのである。
ミラクルショッピングの歌詞の中には「気分は宝探し」「早いものパラダイス」「何でもそろって便利な」「今夜は何があるかな」「真夜中過ぎても」
等があり、ただ買い物する(必要なものを入手する)だけでなく楽しさ、面白さを追求している。これはヴィレッジヴァンガードと非常によく似ている。
一方、ドンキの中でもMEGAドンキの中にはスーパーのように整然とした売り場もある。この柔軟性がドンキとV.V.の大きな違いである。
ドンキの創業者安田隆夫は、権限移譲がドンキを成功に導いた最大の要因だと言っている。このシステムが画期的なのは、その地域のニーズに沿ったものが売られていく点であり、他のチェーンストアの画一性が打破されることである。
各地域の特色を表した「ご当地ドンキ」がたくさんあり、売られているものもその地域によって異なっている。ドンキはチェーンストアだが多様性を持ち合わせている。

第3章 ドンキと地域
ドンキにはヤンキーのたまり場というイメージがある。だた2008年からできたMEGAドンキはファミリー層をターゲットにしている。ドンキ=ヤンキーというイメージは過去のものであり、現在はあらゆる人に開かれた業態となっている。
実際岐阜の柳ケ瀬では町おこしとしてドンキが利用されているし、新宿では治安が良くなった。
ドンキは祭りを目指している。ドンキは地域共同体とつよ関係にあるのではないか。

第4章 ドンキと居抜き
ドンキの居抜き戦略は多様性を生み出している。ドンキが居抜く建物は、他の小売店では無理なものも多く含まれる。ドンキの「ジャングル」はどんな建物にでも応用できる。居抜き戦略によって結果として過去の建築物を保存している。
ドンキは反対運動、騒音問題、景観問題など様々な場面で地域と対立してきた。そしてその度に何らかの対応策を取ってきた。つまり地域と対立するように見えて、融和する働きをしてきたということである。
ドンキが資本主義的な欲望を追求するために行う「融和」はSDGsと高い親和性があるのではないか。

終章 おもしろい街はない、おもしろく街を見る目があるだけだ
「チェーンストアは均一である/つまらない」ということは常識のように語られている。それは本当だろうか?本当は面白がる視点がないだけではないのか。
「同じだが違う」というチェーンストアは「予期せぬ出会い」が減っている現代において「他者への想像力のレッスン」になると筆者は考えている。

ここから私の感想。
現在日本で伸びている小売店がどこだろうと考えたとき、イオン、コストコ、ドンキが思いつく。
この3つの共通点を考えたとき、ただ買い物するということにプラスして「楽しさ」があるのではないかと思う。これからの時代ただ需要を満たすだけではやっていけずプラスアルファの何かが必要ということだろうか。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

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