需要は自分の外にある

世の中、ちょっとどころかめっちゃ便利です。

ボタンを押せばあたたかい風が吹いてくるし、お湯も出てくる。画面をタップしていれば食べ物だろうが何だろうがすぐ届く。コンセントをさしていれば食べ物は冷えるし、米も炊けちゃう。グッドな文明社会ですね。

そうなると、ただボタンを押して米が炊けるだけじゃ物足りなくなるのが人間ってもので、

羽釜にしようとか、炊飯時間を自由に決められるようにしようとか、朝炊けるように予約機能を持たせようとか。

言ってしまえば、それなりの味にお米が炊ければ問題はなくて、朝に炊き立てのご飯が食べたいならちょっと早起きすればいいんですよね。早炊きの10分ちょっとを節約するなら、10分早くお米を炊けばいいような気もする。


こんな文章を書いているiPadも、PCあるんだからいらねえじゃん?と思うじゃん。

でも、寝転びながら書くにはノートPCよりiPadの方がええじゃん?持ち運ぶにもコンパクトだとええじゃん。スタバにも持っていきやすいじゃん。

それなら別に、寝転ばなければええやん。重くてもPC持ち運んでたじゃん。スタバでもそのPCいじってたじゃん?もはやスタバじゃなくて家でコーヒー飲めばいいじゃん?


もう、今の世の中ぐらい物で満たされるようになると、いかにどんな機能を追加して商品を買ってもらうかの競争になります。ガラケーからせっかくスマホになったのに、最近じゃスマホも折り畳んじゃってますからね。もうワケワカラン。巨大化するiPhoneもあるし。

マーケティングの名のもと、「あなた、これ欲しいじゃろ?こんな機能あるとええじゃろ?」とひたすらオススメされる。

もはや、自分が欲しいのかどうかも分からなくなってきますね。お腹いっぱいなはずなのに食べてしまう、食後のハーゲンダッツ。甘いもののあとに食べるしょっぱい食べ物。食べ物の例えしかでてこない。


もう、突き詰めて考えれば必要なものなんてそんなにないのかもしれません。

ミニマリストになろうと呼びかけているわけではなくて、働いてお金を稼ぎ続けて、必要なのかどうかもわからない物を買い続けるこの繰り返しは、どっかで終わりを迎えるんでしょうかね。

自分を満たすために自分の需要の外にあるものを錯覚して、自分に必要なものとして買う。その満たし方って、どこまで行っても終わらないような気がします。

タワマン文学のような金と自己顕示欲の物語がウケているのは、そんな世界をあざ笑うような雰囲気が世の中に出てきたのかも。知らんけど。結局ワイもiPad買ってしもうてるけども。

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