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反対のその先

 あ~昨日はスシロー食べ過ぎました。17皿分をテイクアウト。それにお酒。あと総菜も買ってた。いつまでも僕の胃は若い。最近まったく腹を下さないし、いくらでも食べられる気がする。まあ、圧倒的によろしくはないので今日は節制します(スタバなう)(蕎麦屋のカレー食べたい)。

 最近、Twitterを面白半分で見ていると、本当に治安が悪いなと思う。特定の人物に対するヘイト、攻撃。日本の政策に対しての罵詈雑言の嵐。バズっているツイートの半分は猫。もう半分は歯切れの良い世の中に対する反対ツイート。

 そのほとんどは匿名で、体言止めを駆使したり、今の政権に対する他人のヘイトを代弁しているような感じだ。そのツイートには、99%同意見で賛同しているツイートたち。残り1%は多少良識のある、建設的な意見を投げかけているツイート。

 歯切れの良い、ハッキリとした言葉は人によく届くのだろう。前もnoteで書いたけれど、すっごい魅力的にうつるのだ。ひろゆきの言葉も同じようなもので、分かりやすく、整然とした言葉は伝わりやすい。

 でも、世の中ってそんなに単純だったっけ?と思う。得をする人の裏には損をする人がいるし、誰かのために良かれと思ってやったことが、誰かにとっては最悪の出来事だったりする。利害関係の中で擦り合わせて生き続けるのが人間という生き物だし、社会ってそういう場所だと思う。

 歯切れのよい言葉を吐き捨てる人たちは、反対し、撤回させたその先に何を見ているのだろうか。サッカーの監督や野球の監督みたいに、トップを変えれば状況はよくなると信じているのだろうか。いま目の前にいる人間を代えさえすれば、世の中は好転する。そう思っているのだろうか。

 反対「しか」しないことが問題だと思っている。反対の中にも代替案や少しでも状況を良くするアイデアがあれば、それは立派な議論を呼ぶ。反対だけして、撤回を求め、担当者を代えさえすれば、あとは後任がなんとかしてくれる。実は何に対しても反対しかしない方々は、能動的に見えて非常に受動的なんじゃないかな。

 反対だけして、あとはお任せ。国が、政治が何とかしてくれる。いや、そんなことなくね?ちょっと話をしてみませんか。

 是々非々で考えて、少しでも目の前の社会をよくする人間が大人だと言える。たった1人でも、目の前を明るくする思いがあれば、間違いなく社会は良くなる。そんな取り組みを仕事でもやっていきたいと思う今日この頃。

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