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みるみるみるめ

おはようございます。
しょうもない言葉遊びをしたいがために書いている8日目。
読んでくださっている稀有な方々、ありがとうございます。

8日ぐらい書き続けて思ったんですが、やっぱり

「まず、子どもの姿から出発しましょう」

が、学校教育の中でめちゃくちゃ重要なんだなと日々感じているわけです。
そうなると「子どもを見る技術」が、この仕事の大きなウェイトを占めているなと思います。見取りとかアセスメントと言われるものですね。
かの有名な有田和正も「子どもを見る目を若い教師は鍛えるべきだ」として本を出されていますし、また子どもの目も鍛えなければいけないと、そこかしこで伝えています。

それから最近、こちらも出てますよね。まだ読み込めてないので読まなきゃなと思っています。有名実践家の見取りについての論考は面白いに違いないです。
これ「技術」っていうタイトルが面白いなとも感じていて、まさに見ることってセンスじゃなくて技術だと思うんですよね。
知識や関心のフックがどれだけあって、それがあるからこそ見える範囲が広がる。
若手教員が自分に近い子どもばかり見えてしまうのって、子どもよりも授業を進めることと黒板に矢印が向いてるからだと感じています。
技法としての技術を得ながらも、やっぱりより多面的な知識が見取りには必要なんだろうな。

この2冊からも分かるように、見ることってある種、鍛錬なんですよ。
ねってねってねってねって味が出てくる。そうです。

ねるねるねるねのようにみるみるみるめを鍛えないといけないんです。


はい。
今日はこの「見る」について具体的にほんの少しだけ具体的に考えてみようと思います。膨大な量になりそうなので、本当に少しだけ。
5W1Hで考えた時に、「教師が」子どもを見るのであれば、自ずと 誰が は決まるわけですね。
そうなると残るは「いつ、どこで、何を、なぜ、どのように」になります。

なぜ はその状況に応じて理由は変わります。ひとまず大きく「子ども理解のため」としておきます。もちろん、学力学習状況把握なのか人間関係把握なのか、いじめやものかくし対応なのか、個人面談前だからとか、見る理由は山ほどあるでしょうが、とりあえず大きく括っておきます。

では、いつ教師は子どもを見るのでしょう。

そりゃあもう「全教育活動」ですよね。お馴染みの。

まずは、いつを「始業前」に限定して考えてみます。

いつ:始業前
どこで:応じた場所で
誰が:教師が
何を:子どもを(具体的には、この後)
どうする:見る
こんなゲームありましたね。これじゃ笑いの一つも起こらなそうです。有田和正でいえば逮捕される授業ですね。

さて登校の様子はどうでしょうか。通学路に立って見ることもあれば、職員室から登校の様子を見ることもあったり、昇降口に立って子どもを迎えたりすることもあります。「どこで」は、学校事情やその時々に応じて変わるし、あえて変えてみるのも面白いかもしれませんね。

いよいよ本丸の何をみるかです。見方・考え方が大事にされている中、教師の子どもに対する見方・考え方も広げたり深めたりしていく必要がありそうです。パッと思いつく「学校に入ってくるまでの時間」の 何を見るか について挙げてみます。

誰と登校しているか、それはいつも同じ人か、兄弟か。どんな並びで歩いているか。横一列なのか、一人後ろからついていく形なのか。
徒歩通学の場合どちら側から学校に来るか、何時ごろ学校に来るか、それはいつも決まった時間なのか、不規則なのか。早く来るのか、ちょうどなのか、遅くくるのか。
早く来たらどの辺りにいるか、昇降口が開くまでどのように過ごしているか。一人遊びならどのようなことをしているのか。
登校中はどんな表情をしているか、友達への関わりは自分からしているのか、声をかけられるのを待っているのか、声をかけられたらどんなふうに反応しているのか。
挨拶の声の調子はどうか、目線は合うか。自分からなのか、言われてからなのか。
服装は乱れてないか、新しい服や靴や帽子を身につけているか、髪型に変化はあるか、昇降口にはどんな風に入ってくるか。

気をつけているのは、見ることと評価を下すことを混同しないことです。たとえ挨拶が返ってこなくても、そういう状態なんだなぐらいで、この瞬間は止めています。朝って、それくらい子どものこと広く受け止めないといけないと思っています。

もちろん登校後に朝遊びがある学校や、校庭で待つことなくいきなり校舎の中に入れる学校もあるので、違いは様々ありますが、朝遊びの様子や昇降口や下駄箱での雰囲気、教室への入り方なども子どもの様子を見ることにつながると思います。
授業が始まる前から、山ほど見るところありそうですね。

話は変わりますがみなさんは、朝強いですかね。
私は働くことは好きだけれど、通勤があまり好きではなくて、家から学校に一瞬で飛べるようになったら、もっと仕事のストレスって減るだろうな感じています。
子どもにも似たようなことないかなと。
通学中の「ああ、今日も学校行くの面倒くさいな」って誰しもが抱える気持ちなんじゃないかと思うんです。それは友達がいるから楽しい、楽しくないとは別の「行くの面倒だな」です。

よく朝の会で、子どもをバチッと学校モードに切り替える。そのために呼名や挨拶、歌を歌うみたいにガンガンビシビシやっていく先生もいます。それもまたそのクラスの文化としていいなと思います。
ただ個人的に私は、子どもがもつ学校へのスイッチって、背中にくっついている
やる気スイッチON!OFF!みたいなバチバチ切り替わるやつではなくて、ボリュームのつまみみたいなスイッチだと思っています。家では完全にOFFモードだったのを少しずつ少しずつ学校モードにつまみを捻っていくような。

始業前の子どもの様子は、まだどこか家での様子が含まれていて
ちょっと眠そうな目、どこか強張っている表情、気怠そうな歩き方、どんな優等生もちょっとは持っているような、そうしたのんびりとした自分時間の雰囲気を見ることができるのも、始業前に子どもを見るいいところだなと思っています。

しかしそれも教師に出会ってしまうと「学校モード」にグッとなってしまう子どももいます。だからこそ遠くからこっそり、どんな様子かなと見てみるのもまた一つ子ども理解へとつながるのではないでしょうか。

始業前だけに焦点を当てて見てみました。授業が始まる前だからこそ、見ることのできる子どもの姿も大切にしながら、学校での様子を見るのに結び付けていきたいです。同じ子どもの同じ様子を見ていても見え方は全く違います。よりたくさんのことが見えるように、学び続けなきゃいけないなと。。


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