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ありがとう、平均律

最初のピアノは長女が一歳になる頃、実家の母から贈られたものである。ドから1オクターヴ上のドまで、鍵盤が八つばかりの、ごくごく幼児向けのものである。
指を置くと籠った電子音にやや遅れて、本体に設えられた色とりどりの動物たちが、「ヒョッホーウ」「上手、上手」などと囃しながら、モーター音を唸らせて上下する。
これを今でも時おり引っ張り出して弾くことがあるのは、ひとつひとつのキーが大きく、わたしの太い指にも、よく馴染むからである。


母としては、花柄の服や着せ替え人形と同様、女の子へのお祝いだから、という意図以上の思惑はなかったと思う。しかしこのおもちゃは、四十を過ぎてから子育てを始めたわたしにとって、けっこうな慰めとなり得たのであった。
「パパの方が喜んじゃって」
実家に足を運んだ折、妻が母に報告した。
「TVで流れている歌なんかを聴いて、真面目に練習しているんです」
「ヘエ」
八十になる母は、目を丸くした。
「この子には剣道と、そろばん塾しか通わせていないんだけどねえ」
当の長女はと言えば、それから後も、あまり興味を示さなかった。


多くの男女がそうであるように、わたしも義務教育を終えて以降は機会もなく、音符も楽器も無縁に過ごして来た。
それが不惑を過ぎてがぜん楽器に興味を抱くようになったのは、長女の誕生から始まった子供中心の生活の中で、独身時代にしこたま謳歌したような男の自由を、すっかり失ったことが発端と言える。
妻はもとより、睡眠もまともに取れぬまま、朝から晩まで育児に忙殺されている。子育て中の家庭であればどこも似たようなものだと思うが、男のわたしだって、妻が台所に立つ間くらい、せめて幼子のそばで目を光らせていなければ、となるのが必定だ。
しかしどんなに子供が可愛くたって、狭いリビングの中で、床じゅういっぱいに散らばる人形や玩具の中で味わう、長い閉塞感。
退屈まぎれに子供向けの教育絵本など手にとっても、中身といえば歯磨きの重要性を繰り返し説くものだったり、横断歩道の危険度を知らしめるものだったり、とても男の気晴らしになり得ないものばかり。
そんな中、玩具のピアノとはいえ、自分の指を用いて音階を鳴らせることは、幾分かでも能動的である分、わたしの心を深く潤してくれたのであった。
妻と幼い子供と過ごした、この長く単調な日々を経て、大げさに言えば、身近に楽器のある生活の意味を、わたしは偶然にも知ってしまったことになる。
奴隷たちの奏でたブルースも、ヨーロッパで洗練を極めた宮廷音楽も、根は同じく生活の長い退屈から生まれた、きっと男のひまつぶしだったのだろう。


そのうちに次女が産まれ、長女の方は幼稚園へ上がったが、ピアノへの興味は相変わらず薄いものであった。ただ、唄うことは好きなようで、NHKの幼児番組の歌などは、一緒になってよく唄っていた。中でも「シンデレラのスープ」という歌が、特にお気に入りの様子だった。この曲は八つの鍵盤でも容易にメロディがさらえたので、これを好機と思い込み、何度も膝の上に座らせて、わたしはピアノを引き寄せた。そして彼女の小さな人差し指を掌で包んで、
「ソラ、ソラ、ソドシラ、ソミ」
と、鍵盤の上をゆっくりと走らせたものだ。しかし大抵は途中で飽きて身を反らし、台所でスマートフォンをラジオ替わりに働いている妻の元へ走って行き、
「ママ、YOUTUBE、YOUTUBE!」
と、容易な視聴を求めるのであった。


二番目のピアノは、幼稚園児向け雑誌のフロクである。これは妻の両親が孫の顔を見に来た時などに、義母がよく手土産に買って来てくれたものである。その前号のフロクは、確かうどんのおもちゃだった。(器と、だし汁と、麺と、かまぼこと、ほうれん草のパーツを組み立てて遊ぶ)。
なぜうどんが幼児向けのおもちゃになり得るのかという長い疑問は、その後「うどんが幼稚園児のもっとも好む食べ物である」という統計から企画されたと聞いて、ようやく納得した。
この度のフロクは音の出るおもちゃで、確か大手のピアノ教室とのコラボ商品だったと思しい。
大きさは名刺を二枚並べたくらい。やはり1オクターヴの音域のボタンが付いており、押すとピアノを模した電子音が鳴る。しかしこのピンク色のおもちゃには、黒鍵にあたるボタンが付いていた!
そもそも、最初のピアノでは「カエルの歌」や「チューリップ」などやさしいものは問題なく弾けるが、「椰子の実」「野ばら」などとなると、黒鍵の出番があってもういけなかった。
しかしこの新しいピアノは、全ての音階がストレスなくさらえるのである。わたしのくすぶっていた情熱に、一気に火が付いた! わたしは毎晩会社から帰るなりこのおもちゃを抱えては、女房子供を蹴っ飛ばし、両の親指を操って、ボタンを押して押して押しまくった! これは楽しい!
「バッハも弾ける! ヘンデルも弾ける! 『フィガロの結婚』の序曲もアリアも弾けてしまう! ショパンだってドビュッシーだって、チャイコフスキーのピアノ協奏曲だって弾けてしまう! あっ! ラプソディ・イン・ブルーのテーマだって弾けてしまう! なんと、なんと、なんと素晴らしいことか! 元気があれば何でも出来る! ピアノがあれば何でも弾ける! サンキュー『たの幼』※1! サンキュー平均律※2! ソー・アイ・セー・サンキュー・フォー・ザ・ミュージック! わたしはまるで音楽家だ! ガーシュインそのものだ! ラヴェルを超えてしまう!」
「いやいやいやいや! 細川たかしも弾ける! 柳ジョージも弾ける! ラとシの間の音が鳴らせなかったテレサ・テンも弾ける! あっ! 昭和の名曲『異邦人』、この歌はなんて半音を多用した難曲なんだろう! でも弾ける弾ける! YMOもはっぴいえんども、ついでに海援隊だって弾けてしまう! おおっ? 平成の歌姫宇多田ヒカルもさすが音域は広いが、意外と楽に弾ける弾ける! ザッツ、オートマティック! 楽しい! 楽しい! 楽しい!」
キーが足りないので、登り切って下から繋いだり、逆もしかりで、不格好に弾くのであるが、間違えたりつっかえたりしながら、何日かかけてメロディの再現を果たした後の深い満足は、無明の音楽の深淵に、一瞬身を沈められたかのような――まるで自分も音楽史上の偉大な作曲家たちの仲間入りをしたような――甘い錯覚を伴うのであった。


          ※注1・たの幼=正式名称「たのしい幼稚園」という
              講談社の園児向け雑誌の略称
          ※注2・平均律=正式名称「十二平均律」。ここでは
              現在広く行われている所謂ドレミ音階の意。
              おもちゃのピアノはもちろん(に限らずだ  
              が)、基本この音程を基に調律されている。
              300年以上前のヨーロッパ人が作った音楽
              をわたしが再現できるのは、ひとえにこのお
              かげ(だよね?)


この頃の長女と言えば、ちょうどサンタさんに貰った人形の着せ替え遊びに、まさに全身全霊を打ち込むようになっていた時期であった。
台所仕事を終えて、妻が下の子を隣室へ寝かしつけに消えた時刻、わたしたちはそれぞれのおもちゃを手に手に、薄暗いリビングのテーブルにつく。それから数十分間、長女は何人もの人形たちの会話を独り呟き続け、わたしは「たの幼」のフロクをつっかえつっかえ鳴らし続け、お互いは一言も喋らずに、自分たちの遊びに没頭した。九時半を過ぎ、どちらかが、
「もう寝ようか」
と、言い出すまで。
ただ、この雑誌のフロクは、もともと中年男の夜毎の酷使に耐え得るようには製造されておらず、ある晩、奇妙な高音を間歇的に鳴らせたのを最後に、還らぬ玩具となった。


「いっそ中古のキーボードでも買ったらどうか」
妻には幾度となく勧められていたが、これは今でも実現していない。そもそもわたしは、ピアノの上達を目指しているのではなく、純粋にメロディの再現が楽しいだけなのである。それに、あくまで子供と一緒に家にいる時だけの余技であり、ただでさえ狭い家の中、そんなに大きいものがあっても困るのである。
とは言え、いったん手にした十二音階の喪失感はいかんともしがたく、ほどなくスマホアプリに思いが至った。探せば、無料のものがいくらでもあるのである。ある朝通勤電車に揺られながら、ひとつインストールと洒落込んでみた。
これが数えれば三番目のピアノとなったが、使用中でもお構いなしに表示される広告の多さに閉口し、滅多に開くことはなくなってしまった。スマホの画面に触れて、音が鳴ったところで味気なかった、というのも、大いにある。


四番目はそれからまた数か月後、家族みんなで百円ショップへ寄った時に見つけたものである。本体は明るい、いかにも中国製といった眩しいような黄色で、シャカシャカしたビニール袋越しにプラスティックのキーを押してみると、悪くないタッチである。黒鍵もついているし、大きさもコンパクトで申し分ない。
家に帰ってわくわくしながら電池をセットし、いざ鍵盤を押してみると、なんと黒鍵はすべてダミーで、押しても空しい反発が返ってくるのみであった。電池が別売りだから見抜けなかったトリックであった。


そして五番目に手にした「ピアノ絵本」と呼ばれるおもちゃの話で、このエッセイを終わる。これは簡単な楽譜帳と鍵盤がセットになった、やはり子供向けの玩具である。
値が二千円以上とやや張るのでずっと迷っていたが、次女の誕生日プレゼントを選びに寄った玩具店の片隅で、見知らぬ幼女たちに交じって一人試弾を繰り返し、いくつかの類似品の中から選んだ。黒鍵があるのは言うまでもない。
単四電池3本使用、音域2オクターヴ。6種の音色切り替え機能付き。6種といっても、そのうち3つは犬、ネコ、カエルの鳴き声である。対象年齢0~5才と表紙にある。
5歳と2歳になった娘たちが、ここへ来て意外にも興味を示し始め、遊んでいても奪われることが多くなってきたのは、思わぬ収穫と言わなければならない。子供たちが弾きたがるならば、譲らぬ理由は無い。
きっかけを与えてくれた実母と義母には、むろん感謝しなくてはならない。


「もうピアノは飽きちゃった?」
ある日、子供たちの横で手持無沙汰にしているわたしを見て、妻に言われた
「いや、そんなことも無いんだけどね」
それは偽らざるところであったが、ちょっと本音が漏れた。
「こう音域が広くなると、鍵盤でメロディだけを叩いているだけだと物足りなくてねえ」
「ふうん」
「やっぱり左手も使いたくなってきた」
「はァ」 
「しかしピアニストが当たり前にやるみたいに、右手と左手を別々に連動させるなんて芸当は、素人には至難だなァ」
ここへ来て、ギターのような弦楽器の方がもしかして簡単なのでは、という誠に浅はかな疑念がむくむくと首をもたげている。左手でコードを押さえ右手でジャーンとかき鳴らし、メロディは歌ってしまえばいい。
だが、ギターは、いかにも大きい。
落語のまんじゅう怖い、のサゲではないが、わたしは狭い部屋を見渡しながら、妻に言った。
「最近は、ウクレレが欲しくなってきた」。 

             (了) 

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