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『ヒトラーのための虐殺会議』を観た後の雑感。

夜勤明けの週末は疲労と睡眠不足でとにかくダルい。外出はもちろん、本を読むのもゲームをするのもしんどいので、ボーっとしてしまいがちなのだが、映画鑑賞くらいならばなんとか楽しめる。

てなわけで、今日は『ヒトラーのための虐殺会議』を観た。いわゆる「ヴァンゼー会議」と言われる会議の議事録をもとにして制作された作品だ。ヴァンゼー会議とはナチ高官がユダヤ人問題の最終的解決について話し合った会議なのだが、高官たちが各々の省庁やら管区やらの権限などを守る駆け引きをしながらヨーロッパ中のユダヤ人、推定1100万人の虐殺を決定した会議だ。

細かい感想は色々とあるのだが、内容が内容だけに観たばかりでは上手くまとめることができないと言うのが率直な思いだ。

ただ、ひとつ言えることは夜勤明けで消耗した心身にはかなりキツい内容だということ。親衛隊幹部や各省庁の幹部など高学歴エリートが人の命を軽んじて数字として扱い、非人間的な決定を下していく様子を見ているとかなり胃が痛くなる。官僚主義的な無責任、無慈悲、人間性の欠落。人間とはかくも愚かで恐ろしい存在になりえるのかと。

ところでこの、ナチの高官の話を聞いていると国籍、言語も違うヨーロッパのユダヤ人という曖昧な存在をナチが望むユダヤ人像に当てはめカテゴライズし、ドイツ民族共同体の正義に反する憎むべき存在だとの主張が度々登場する。

この様な論争は現代でもX(旧Twitter)などでよく目にする(左、右どちらの陣営でも)。こう言った主張はときに感情を激しく揺さぶるために、うっかり流されそうにもなるものだ。この映画を観て改めて人々をカテゴライズし攻撃する主張には気をつけなければと思いいたった。

淡々と会議の様子が描かれている映画なので、見る人を少し選ぶ映画かもしるれないが、多くの人に観て欲しい映画である。


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