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モネって結構泥臭い人だったかも説|アーティストトレース

きれいな透明感のある絵が印象的な
印象派の代表格クロード・モネ。

そんな彼のアート及び人生をアーティストトレースすることで
彼の作品の軽やかな印象とはことなり
彼の人生は悲しみと試行錯誤と実行繰り返しだったことが見えてきました。

アートはコト消費の代表的存在だと思っているので、
マーケティング・ビジネス周り興味がある人
コト消費に興味がある人はのぞいていってみてください。
何か発見があるかもです。

そもそもアーティストトレースとは

アーティストトレースはマーケティングトレースで有名な黒澤さん臼井さんが協力して生まれた新しい芸術の楽しみ方(だと私は勝手に思っている)です。
黒澤先生のnoteが最高なので、読んでもらえるとわかりやすいかもしれません。

どんな風にトレースしていくのか

PEST・3C・4Pなどマーケティングでよく聞くフレームワークを使ってアーティスト、今回はモネを分析していきます。

ワークショップ内で共有されるサイトやWikiも参考になるのですが、自分的にここのサイトが一番参考になりました。今後のアーティストトレースでも使っていこうと思います。

【本題】モネがここまで成功した理由

モネはゴッホと異なり、生前からある程度稼いでいた作家でした。

そんなモネが成功した理由。
結論から述べると
・印象派と呼ばれるその独特な作品と
・時代の流れに乗ったマーケティング
この二点に集約されるのではないかと私は仮定します。

①自然で前衛的な技法

彼の作品には3つのポイントがあると思っています。
①戸外制作
②徴兵でアフリカへ飛んだ時の鮮烈な色の記憶
③旧体制のアート業界への反抗心

パリに行く前の美術学生の頃、
彼は友達のブーダンと出会いアトリエ(室内)で絵を描くことが主流だった当時としては画期的な戸外での作品制作を通して「自然の光」を追い求めていきました。
その後、パリで芸術を学ぶ為に準備を進める中、
第一次世界大戦前、戦争やりまくりのフランス政府から徴兵され、
アフリカ・アルジェリアに飛ばされてしまう、のですが

アルジェリア滞在中、モネはカスバ建築や風景、さまざまな軍人の肖像画のスケッチを行っているが、それらはすべて消失した。
1900年の「ル・タン」のインタビューで、モネは北アフリカの明るく鮮やかな光や色について「私の将来の研究となる胚芽があった」と話している。
参照:アートペディア

とあるように
彼は徴兵され、兵士として働きながらも絵を描き続け、
さらにそこで得た”色”を以降の芸術作品に生かしています。
生きるか死ぬかの瀬戸際でもアートについて考え続けていた本物の芸術家なエピソードです。

そして、2年の兵役を経て念願のパリに!
パリの学校に入りますが、アカデミック美術に幻滅。
その後、独自に技術を磨きサロンに何度か入選は果たすものの
その後連続で落選し、…
落ち込むどころか他の業界のはぐれものたちと徒党を組み、
一緒に展示会をやってしまいます。
そして、それがのちの”印象派”になっていきます。

ちなみに、
この第1回展示会でモネが出展した作品が

”印象、日の出”

でした。
当時、この展示会が新聞で取り上げられたらしく、モネの”印象、日の出”からもじって”印象派”と呼んでいたらしいです。
揶揄する内容の記事だったのにもかかわらず、なぜかそれを本人たちも気に入り、
”印象派”と自分たちでも名乗るようになったのが印象派の呼称の始まりらしいです。
まさにモネは印象派の父的存在ですね。

そんな彼の作品のキーワードは
・自然
・前衛的

となると思っていて、これがのちの成功に繋がっていきます。

試行錯誤で売れる作家に|マーケティングの軸

展示会、やったはいいものの
その結果は大成功とはいい難いものでした。

でも、ひたすら彼はやり続けます。
売るためには反骨心むき出しだったサロンにも出展してみたりしてます。

モネ40歳、
やっと自分の個展を開くことに!
そして、これがモネの作家人生のを大きく変える出会いに繋がります。
ポール・デュラン=リュエル、天才画商との出会いです。

彼はモネの才能を見出し、
フランスで一定の評価は得られるもののどうにもにっちもさっちもいかかないモネ、率いては印象派をアメリカに連れていきます。
ニューヨークで
「パリ印象派の油絵・パステル画展」
を開催しこれが大当たり。
そこからモネは経済的に豊かになっていきます。

そして、この大当たりの背景には
プロテスタントユダヤ教という
従来型の絵画がキリスト教中心的なものであるがゆえに
宗教的な理由からアートを楽しめない。
愛でることができないというペイン(ニーズ)がありました。

「自然」
を中心に描かれた絵画という点でモネの作品は受け入れられ、その
「前衛的」
な画風が当時ある種、排他されてきた人の心に刺さったのではないかと、
それがアメリカでの成功に繋がったのではと考えています。
まさにPMF(Product Market Fit)が成功の鍵だったといえるのではないでしょうか?

まとめ|得られたもの

泥臭く、こつこつと頑張ってきたモネ、
彼のコツコツ積み上げてきたもの(作品・技法・努力)が報われた先は
伝統的なものに価値を置くフランス・ヨーロッパではなく
ヨーロッパに排他されがゆえに
前衛的なものを受け入れ、
劣等感を抱きつつも、憧れの気持ちを捨てきれないアメリカでした。

「僕はもっとフランスで売れたい」By モネ
参照元:印象派が評価を得るまで・・・画家・モネが辿った苦難の道

そうモネはこぼしていますが
そのこだわりに固執せず、本当に求められている市場に商品を売る。
というProduct Market Fitがアートの世界でも大事だなと痛感しました。
そして、なによりあきらめずにコツコツ続けること。
これが何より大切だとモネのトレースを通して学びました。

昨今、アパレル・飲食などは
特にコト消費という言葉がキーワードになってきていると思います。

自社分析で特徴を書き出す際、感情を軸に自社の商品の特徴を書き出し
その特徴が解決できる、ペインを持つユーザーを探す。
みたいな形で横展開していくと今回の気づきも応用が利くのかもしれません。

現場からは以上です!
このnoteがなにかのお役に立てたら嬉しいです!

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