見出し画像

真面目で破天荒な耽美画家|クリムトアーティストトレース

エロティシズムの中に死を感じさせる耽美な表現が魅力的なクリムト。

もとから才能にあふれ、
若干26歳にして
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から勲位を受賞したり、
いわゆるエリートだったクリムトでしたが、

のちに異端児とされ
当時のメインストリームからは離れウィーン分離派を結成したりします。

そんな興味深い人生を歩んでいるクリムトをアーティストトレースしてみました。


画像1

トレースをしていく上でクリムトの成功した要因は3つあるのではないかなと感じています。
それぞれまとめていきます!

第二の芸術の都ウィーンという土地と時代

クリムトにとって最初のラッキーポイントは
彼が生まれ落ちた地がウィーンだったことだと感じています。

ウィーン、当時のオーストリアがどんな国だったかというと
政治とか戦争とかより
ビーダーマイヤー(もっと身近で日常的なモノに目を向ける社会的流れ)や芸術(特に音楽)を大事にするというお国柄でした。

特にこの恩恵を若年期のクリムト受けています。
20代のクリムト、「芸術家の会社」という会社を仲間と立ち上げ、
当時、産業革命で潤っていたウィーンで次々に立つ劇場の装飾画家として生計を立てます。

その中で皇帝の目に留まり、勲章をもらったことでクリムトの知名度は一気に上がり
あっという間に一流画家の仲間入りを果たしてしまうのです。

コツコツ地道にある仕事を一生懸命にこなしていたからこそこの結果に結びついたと私個人的には思っています。

死と転換期

勲章を皮切りに国から仕事をもらうようになるクリムト。
それまでの彼の画風はアカデミックで古典的なものが中心で当時のアート業界で評価されやすいものでした。

順調に生活を送るクリムトですが、30歳になる年悲劇が
父と弟を同時に亡くしてしまうのです。

そして、そこから彼は自分の人生、そして絵について考えるようになります。

32歳になる頃、クリムトは国から大きな仕事の依頼を受けます。
ウィーン大学大講堂の装飾画の依頼でした。
それがのちの「ウィーン大学大講堂天井画事件」に繋がります。

《医学》《哲学》《法学》の3作品が理性を司る大学の意向と全く正反対のポルノグラフィティ的だということで、大変な論争となった。
参照:

これがきっかけでメインストリームから離れるクリムトですが
これが!
彼の抽象的で世界的にも有名な大作たちが生まれる黄金期に入っていくきっかけになるのです。

築いてきた地盤でさらなる高みへ

今まで優等生として認められてきていたクリムト
が一気に異端児へとなります。
ウィーン分離派なんてものまで作ってしまいます。

分離派の最終目的は型破りな若手アーティストの発掘と展示を開催することで、また最も素晴らしい海外のアーティストの作品をウィーンへ紹介しつつ、分離派の作品を紹介する独自の美術誌を発行した。

彼の新しいスタイルは賛否両論を呼びつつも熱狂的なファンも作っていきます。

これこそ彼の成功の要因の一つだと私は感じていて
今までコツコツと積み上げてきた実績の上で
「ウィーン大学大講堂天井画事件」

という大炎上事件を巻き起こし、その流れでメインストリームになれない者たちを集めて組織化してしまうって
話題にしかならないですよね!ギャップがすごいし、

さながらT大卒、大手企業からの画期的なアイディアで起業してしまう起業家のような話題性がありますよね。

なので収入のメインだった国からの仕事はなくなりつつも
熱狂的なお金持ちファンたちがパトロンとなってくれたため彼の経済基盤は安定してます。

顧客ありきの作品作り

そして、このパトロンたちがクリムトの黄金時代を支えます。
有名な接吻もそうですが、
パトロンたちの肖像画(お仕事)という形で傑作を残していくのです。
↓アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像

画像2

この作品は金箔をふんだんに使っており、平面的な表現は尾形光琳などの日本の作品に感化されたものとされています。

そもそも彼の出発地点は公共物の装飾で、顧客あっての自分の作品作り
というのが染み付いているのではないか?

そして、この顧客視点、顧客の予想を超える作品を作ってきたことこそが
彼の成功要因なのではないかと仮説を立てています。

クリムトから学べること

とにかく目の前のことを一生懸命にやり
相手の期待を超えるような働きをし、
その基盤を作ってから、自分の極めたいことをする。


そんな当たり前のことが大事だなと再確認できたと思っています。

クリムトは結婚しないで愛人ばかり作っていたり、
子供が13人もいたりと性的には奔放すぎるくらい奔放でしたが、

弟子をかわいがっていたり、
自分が作った分離派の作品を紹介する独自の美術誌を発行したり
そんな兄貴気質なところもあったりクリムト

そんな人間的な魅力も彼の成功の秘訣だったのかもしれません。

では🐊

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?