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#2 赤色と紺色のパスポート 1

高校の修学旅行でオーストラリアに行った。数多くの楽しい思い出とともに、私の心にいまでも消えない深い痛みを残した旅行でもある。

修学旅行を数か月後に控えたある日、バドミントン部の友だちとお昼ごはんを食べていると、教室のドアから担任が顔を出した。白いポロシャツに半ズボン、日に焼けた肌でいかにも体育の教師らしい中筋先生は、申し訳なさそうな顔をして、ちょいちょいと私に手招きをした。

その表情を見て、なんとなく嫌な感じがした。眉毛を下げて、言葉を探すような先生の表情は小学校や中学校でも出会ったことがある。それはたいてい、私が中国人であることに紐づく話が始まる合図だった。

先生に連れられて何か悪いことをしたような気持ちで別の教室に入ると、机の向こう側に面接官のような女性が座っていた。

「水野さん、あなたは中国国籍なのでオーストラリアに行くためには特別にビザを申請する必要があります」

旅行会社の担当を名乗るその女性は、これが自分の仕事という感じで型どおりの説明を淡々と並べていく。サラサラと流れるように話す彼女の言葉を聞いているうちに、私の心の中にザワザワとした不安が押し寄せてきた。

当時、私は自分が中国人であることを誰にも話さず、祖母の名字である水野を名乗っていた。国籍は中国で、正式な名前も中国の名前だったが、通名としてふだんの生活では「日本風」の名前を使っていたのだ。

旅行会社の女性の一言で修学旅行を楽しみにするどころか、自分が日本人ではないとバレたらどうしようという不安で頭がいっぱいになってしまった。

一人で教室に戻った私は「なんだったの?」と聞く友だちに、適当にうまいこと言ってごまかした。

その後、日本の永住権を持っていた私のビザ申請は順調に終える。手元に戻ってきたパスポートには、オレンジ色のでかでかとしたオーストラリアの入国許可証が見開き1ページに貼られていた。

『絶対に笑ってはいけない24時間』ならぬ、絶対に中国人とバレてはいけない5日間のミッションが始まった。「ミズノー! アウトー!」と呼ばれてお尻をバットで叩かれないように、私はみんなの紺色とは違う赤色のパスポートが絶対に見られないように気を引き締めた。

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