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おれは、情報技術やサービスみたいなものの進化が人々やおれの人生にどう影響するだろう、みたいなそれっぽいこともたまには考える。

TikTok禁止令、いったん発動見送り

11月12日からと、期限が切られていた禁止措置は見送り。オラクルとの交渉は詰めの交渉のために猶予、ということは、継続中ということ?

まあ、大統領忙しいだろうからね。

人民解放軍とつながりある31社への投資を禁止する大統領令。

なんでも、任期中にさらなる対中政策に関する大統領令を検討しているとかいないとか。他はおいといて、対中政策については、広く支持を集めているらしいからなあ。

しかし、意外と中国でも、トランプ氏の再選を望む声はあるらしく、共産党は、取り敢えず何も言うなと指示。

まあ、主な理由は、変な奴が大統領のほうが脅威が少ない的なことらしいけど。

ただ、中国にも、長期化する習政権がおもしろくない勢もいるようで。そういう層も、トランプならなんかやってくれんじゃねえか、みたいな見方はしてるようだ。

権力者は変化を好まない。権力を維持するとは、まあそういうことだ。サラリーマンなら、よくわかることだろうし、外圧がないと変われない、というのもなじみ深いことだろう。

アントのIPO中止について、習氏の意向という報道が出ている。

しかし、色々と中止の理由がもっともらしくささやかれているが、そんなもの、最初からわかってたことだろ、というのが多い。デジタル人民元のうわさもそうだし、事実上、デファクトスタンダード的に自由な通貨が生まれてしまうのでは?というのもそう。

そういうことを考えると、これはもっと前の段階で、頓挫しててもおかしくない話だった。それが、直前まで進み、トップダウンでしかつぶせなかったのだとしたら、危機感を抱かざるを得ないところだろう。


ビットコイン大国、ナイジェリア

結局、管理されている通貨はもはや不便なのだ。ビットコインがベストな通貨、というわけではないのだろうが、全然マシな選択肢、として広がりを見せる地域も出てきている。

もう、通貨を管理するという手法も、古いものになりつつあるのかも知れない。

オープンソースとか中央集権とかブロックチェーン

イーサリアムのヴィタリック・ブテリンの過去のインタビュー。

ブロックチェーン自体は分散型台帳技術に過ぎないわけだが、そのメカニズムが人々をどうインスパイアするかという部分は、過小評価できないところであろう。つまり思想的な側面だ。

朝活で暗号通貨について語る会みたいなものも最近ではあまり聞かなくなった。投機対象としての仮想通貨は、終わった感じもある。暗号通貨はオワコン。そんな声も聞かれる。

ただ、投機の過熱そのこと自体の是非はともかく、仮想通貨ブームみたいなものは、ブロックチェーンというものを広く知らしめる結果にはなった。それは同時に、その思想、文化的な側面が人々に知られていくということでもある。

これからも、徐々に、確実に、中央集権的でないシステム、という考え方は、人々に浸透していくだろう。

あまり国が発行する通貨が強くない国で、暮らしを少し便利にするツール。そんな感じで入り込んでいく。気づかないうちに、中央集権でないシステムに人々が慣れていく。

そうして、いずれ、現在の覇権プラットフォーマー的な存在も、人々に(気持ち的に)受け入れられなくなっていくだろう。民間であっても中央集権であることに変わりがないからだ。

もちろん、先端的なIT企業であればあるほど、その流れを黙ってみてはいない。

結局、プラットフォーマーめいたものは無くなりはしないのだろう。ただ、人々の考え方は間違いなく変わっていくし、多少あり方は変わるのかも知れない。

おそらくそれは、いずれ統治や組織、国家というものにも、影響を与えていくことになるだろう。少なくとも、富の偏在めいたものが許される時代は、あまり長くないように感じる。

そんなことをヒントに、過ごし方を考える

テクノロジー、サービスの発展は、人と人とのかかわり方にも影響を及ぼす。中央集権的な組織から、緩やかな個人間のつながりを重視した組織へ。若い組織では、既に起こっている事だ。

仕事で、未だに強権的トップ主義を振りかざすような人を見ると、もう時代からこぼれてしまった人だな、というように見てしまっている自分がいる。

しかし、その一方で、自分自身が年齢的にピークアウトし、人として着実に下り坂を下っていっている中、どっかしら、他人事ではないような気もするのである。

最も危険なのは、自分はついていけている、まだやれる、という慢心だろう。

次に危ないのは、はやりに乗っとけば大丈夫という油断。革新的な技術も考え方も、どうせまた新しいもので塗り替えられていく。加熱した何かに飛びついて騒いでみて、失敗することもあるだろう。

それに加えて最近思った、この2つとは異なるもう一つのヤバいパターンは、賢くあろうとするあまり、評価を気にして行動するようになったり、何もしたり言ったりしなくなったり、とかすることなんじゃないかなと。

結局、どうやっても歳を取るとあたまがわるくなっていく以上、何かしら、みっともないことが起こってしまうのは仕方がない。

そう考えると、大雑把に言えば、かいた恥の数が多いほうが、あとあと振り替えると、楽しい人生だったと言える可能性が高いのかな、みたいな。

ぼんやりとそういうことを思わなくもない昨今である。


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