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いくつになっても大学で学んだことは生きている、おれの場合

一般に大学生活が楽しかったという人は多いだろう。その一方で、大学で何を学び、何を身に着けたかについてはどうだろう?あまり人に聞いてみたことはない。

英知のるつぼであるインターネットでこの問いをしてみると、それを採用面接でいかに説明するべきか、という答えばかりがヒットする。

採用面接とは、大学で経験したことが、どうしてどのように会社組織の中で役に立つのか、というように、一定の視点から物事を整理してそれっぽく話す能力を問う試験なんだろうか。誰が、優れた組織人になるために学生時代を過ごすのだろう。案外みんなそうなのか?

昔から就活みたいなものだけは、どうしても好きになれない。わかりやすく何かの役に立つことに、いったい何の価値があるんだろう。役に立つスキルリストを作ってみたとして、それは20年後でも同じように役に立つのだろうか。価値のわからないもののほうが、もっと、ずっと大事だ。

自分は大して役に立たない人間として大学を卒業したが、結果的に今は資本家の役に立つことでカネを稼ぎ、生きている。ただそれは、JPYを獲得する上で、それなりの値段で売れるスキルを別途職業訓練的に学んだからであって、大学で学んだことと直接関係しているようには思わない。

大学で・・・より正確に言うと、大学の頃に学んだことは、もっと自分の奥深い部分を支えているように思う。

■ 思い出のスケッチ

大学に入って1年ぐらいは、自分もご多分にもれず、サークル的なものに所属して、あたかもリア充のように過ごした。2回生の頃に、色々あってサークル的なものを辞めてから、急に暇になったので、足りない単位を埋め合わせるために結構たくさんの授業に出た。

・贅沢な文芸の時間

授業の内容はサッパリ覚えていないが、文芸についての授業はとにかく人気がなく、自分を含めて毎回3人ぐらいしか出席していなかった。先生は、それが当たり前であるかのように、毎回淡々と授業を続けている。

おれはこの人はどういう気持ちで何年も同じような授業をしているのだろうか、ということと、ところでオレのような暇人以外で授業に出ているコイツらはいったいどういう理由・目的でここにいるのだろうか、と毎回ぼーっと思惟を巡らせた。

友人に話すと、「えっ、あんな授業とってんの!?」と驚かれた。それでも、おれには、あの静かな時間に静かな教室で行われる授業がとても心地よいように思えた。

だんだん思い出してきたが、たぶん取り上げてたのはカミュか何かだった。文芸を専攻するのも楽しそうだなと思わせる良い内容だった気がする。興味があったからか、最後の小論文的なテストは結構いい点をもらった。

ちなみに、文芸を専攻するやつはめちゃくちゃ少なかった。


・ダメ学生をずっと見守ってきた先生

自分はとにかくパンキョーをまじめにやらなかったために、レベルの高い文系の第2外国語からは早々に逃亡して。3回生の頃に、新入生に混ざって理系のフラ語に紛れ込んでいた。

席がどうして決まっていたのかよく覚えてないが、自分の席はよく陽の当たる教室の一番端の前から2番目で、その前の特等席には、劇団か何かをやってるちょっと面白い奴が座らされていた。ほうぼうのサークルにちょっと顔を出していたらしく、知名度が高いのでおれも何となく知ってるやつだったが、とにかく滅多に来なかった。

そいつは、なかなか単位が取れず、このスーパーイージーでチョー優しいことで有名なフラ語を何年も受けているらしい。たまに出てくると、教授がとても暖かい顔で話かけていた。

そして、なぜか先生はその後ろのおれにも基本的に優しい顔で接してきた。

「最近〇〇さん(前の席のやつだ)来ないねえ」

確かにおれは前の席のやつとは同回生で、しかも本来ここでシュークリームの買い方を練習しているべき学部の人間ではない。ちょくちょく授業もサボる。とはいえ、同じカテゴリーなのか?と多少心外に思ったものである。

バイトか何かでちょっと授業を飛ばした後に出席すると、ニコリと笑って先生は言った。

「久しぶり」


・オレも同じ道を通った

おれは本は好きだったので、有名作みたいなものは比較的読んでいるほうだった。

ある時、学部外国語(そういうのがあるのだ)の授業を受けているときに、胸ポケットにいつもロングピースを入れている先生が、聞いた。なんか確か、思い出話のついでに聞いたぐらいの話だったように思う。

「ところで、この中でトーマス・マンを読んだことある人は?」

おれは一応読んでたので挙手したが、恐ろしいほど他のやつは読んでいなかった。さもなくば極度にシャイだった。

「どうして」と聞かれたので、「大学のうちに『魔の山』ぐらいは読んどこうかなと思って」と答えた。そのあとどういうやり取りをしたか忘れたが、先生は満足気だった。

「せっかく文学部に入ったんだもんねえ」

どうやら同じだったらしい。


・おれと英語と若者のやるべきこと

おれが好きだった授業のひとつに美学・芸術系の授業があった。分担して英語の文献を読んでいくタイプのやつで、結構人気の先生だったので受講生が多く、自分の分担が終わってしまえば後は気楽なものだった。

おれは英訳については、大体こういう意味だなと思ったら日本語で作文しなおしてしまうタイプだったので、一か所だけ「ちょっとまて、なぜそうなる」と派手に誤読して止められたが、総評では「君、学部生?そう、学部生でそれだけ読めるなら・・・うーん、今は一語一語をもっと丁寧にしなさい。そうすれば、もっと読めるようになりますよ」と助言された。

これは珍しいことだったのでビックリしたが素直にうれしかった。

ちなみに、文献の中身は、我々が目にする物体はフォルムと何かにわけて捉えることができてどうたらこうたらみたいな意味不明なやつで、結局何の話かはわからずじまいだった。

ある日、教授はやる気がなく、「最近、怒られるんだよねー」と、教室の中で煙草を吸いながら(時代だな・・・)、若い時間を何に使うべきなのか、という話をしてくれた。

内容が妥当かどうかは未だにわからないのだが、話の中身はこういう感じだった。

芸術を楽しめるかどうかは、結論、若い時にある程度決まってしまう。絵画とか文学とか、そういうものはまだ何とかなる。しかし、建築の良し悪しみたいなものは、年をとってからだとなかなか理解できない。誰も、見てるようでそれを見てないからね。わからなくてもいいから、若いうちに見ておくことが大事だ。沢山見ていくと、「好きなもの」が見つかるようになる。そうすると、年を取ってから勉強しても間に合うようになる。だから、君たちは、僕の授業なんかに出てる暇があったら、街に出たほうが良い。そして好きなものを見つけなさい。

おれは、そんなことを言うから、みんな授業に来てしまうんじゃないかと思った。

■ 人生を楽しくする秘訣を発見する

おれの所属していた研究室は懇切丁寧に何かを教えてくれるということは一切無かったが、面白い本とか議論とかを紹介してくれて、何を学ぶかについては完全に自主性に任されていた。おれは、メディア論とか色々かじったが、個人的に面白いなと思ったのは、サウンドスケープ論というやつだった。要するにランドスケープの音響版、日本語に直すと、音風景、ということになる。

こいつが何の実利をもたらすのかはさておき。サウンドスケープという言葉を知っていると、身の回りのサウンドスケープに意識を向けることが出来るようになるという点が大きい。

人間の耳(もしくは脳)は集中して聞いている音以外は、ほとんど意識せずに済むような処理を行っている。そのため、あなたは通勤途中でどのような音が聴いたか?とか、今聴こえる音を全部言ってみてほしい、という問いにちゃんと答えられる人は意外と少ない。ワトソンがアパートの階段の段数を答えられないようなものだ。

聴こえている全ての音に意識を傾けると、その時、その場所に応じて、様々な風景があることがわかる。次第に、自分が感動した風景、印象に残っている青春の一幕、そういった思い出にも、ちゃんとサウンドがあったことが思い出せるようになる。

自分はこれがきっかけとなって、街を歩くときに、気の向くままに細部に注意を向けることが出来るようになった。

「ガードレールの端っこの曲がり具合は誰がどうやって決めたのだろう」
「このポールは、いったい誰がデザインしたのだろう」

僕らの日常は人工物であふれていて、プロダクトのデザインには、それぞれ意味とか誰かの意図とかがある。企画会議とかもあったかもしれない。自称がどうかはさておき、少なくとも、PROの工業デザイナーが関わっていて、PROの成果物であるはずだ。

そうしたことに思いをはせると、街灯とか、車止めとか、街路樹の支え、みたいなものに「美」的なものを探すことが出来るようになる。そして、次第に好き嫌いを言えるようになる。

そうなると、街は美術館であり音楽ホールである。そして、人々は日常を舞台とするアクターだ。自分は、そういうものを鑑賞することが面白くてたまらない。

結局、自分が大学で学んだ、というか大学生活を通じて訓練されたのは、いかに好奇心を持ち、有形無形の物事を楽しめるか、という事だったように思う。

これを採用面談で言っても大して響かないような気がするが、そうした開かれた好奇心の土台があれば、その上に、様々なものを建てることが出来るようになる。これは、単純に人生が楽しくなるというだけでなく、新しいことを学ぶ上で、とても役に立つ能力だ。

どんなことにでも楽しみようはある。自分は、これに気づかされたことは人生で一二を争うラッキーな事だったと、今でもことあるごとに思っている。

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