週休増えたりする話あるけど、「働き方改革」とか「生産性」みたいなものって、実際どんな感じなの?
■ 広がる週休増加の動き
パナソニックが希望者に週休3日を認める、みたいな制度の導入を検討していることを発表したらしい。
そういえば、昨今コロナ治療薬の売り込みに必死だと評判の、塩野義製薬もそんなようなことを言っていた。
パナソニックがどういうルールを考えているのかはわからないが、希望者だけ、つまり週休2日の人間と3日の人間が混在する、という事を考えると、週休3日にした分は給料を減らすのだろう。塩野義は、働く日数が減った分、給与水準を8割にしているらしい。
自分は、昔から働き方改革みたいなものは大きなお世話である、と硬く信じ込んでいる老害なのであるが、巷の意識調査などを見る限り、休暇の拡大は概ね好意的に考えられているようだ。
見る限り、拘束時間が減ることに多少希望は感じるものの、給与が減る事に不安を感じるという、ほとんど全く調べるまでも無いような事実が明らかになっている。
■ 働き方改革の10年を振り返る
自分がリーチできる範囲の体感では、ここ10年ぐらいで働き方は大きく変わった。いや、もっとちゃんと言えば、「働き方」が変わったかどうかというと微妙なところもないではないが、「残業」はめちゃくちゃ減った。これはほぼ間違いないだろう。
Openwork働きがい研究所の調査
https://www.vorkers.com/hatarakigai/vol_91
月間平均残業時間は2012年のおよそ半分になった。コロナの影響?を一瞬疑うが、グラフをみればトレンドは明らかで、コロナ前までの期間でも相当減っている。まあ、その分残業が発生しない管理職の残業時間がやたらに増えている、といった職場もあるようだが、それでも全体としては減っている傾向にあると思う。最初は、多少やらされ感もあった時間外の削減であるが、ここまでくると、カルチャーとして定着して来たと言ってもいいのかなと思う。
実際問題、オフィスの電気が消えたり、PCがログイン不能になったりとか、強力な管理が導入されるに伴って、働く人たちの意識もだんだん変わってきた感じもあるし、なにより、今どき残業し放題の職場、みたいなものが労働者からあまり支持されないという事もあって、着実に撲滅されていく流れだろう。
有給についても、まだまだのような感じはするが、消化率は確実に向上している。
もちろん、この辺は結局大手企業のなにかであって、中小企業では実際厳しいという声も聞かれる。しかし、中小企業にとっては、もはや人手不足のほうがずっと深刻な問題なので、労働者にもの凄く人気があって、いわゆる「やりがい搾取」的なものが、まだまかり通っているような業界を除けば、労働者のニーズに合わない働き方しか提示できない企業というのは、いずれ淘汰されていくのだろう。
残業改革みたいなのは、もはや(わりと)過去の話。ナウな働き方改革に関する話題は、どちらかというと、リモート、副業とか、育児休暇みたいなものの取得をどう進めていくか、とか、そういったところにウェイトが移って行っているところだろうか。テレワークを裁量的に行えるハイブリッド型、みたいなものは、半ばデフォだと思われ始めているように感じられる。
新成人400人に聞く「理想の働き方」に関する意識調査
ところで、最近、こういった「働きたい場所」(地元とか東京とかそういうやつ)を問うている意識調査をよく見かける気がする。どうも、しばらく前から「地元志向」という傾向があったりするようだ。これはどういうやつなんだろう。さすがに、新卒者みたいな人と話すことがほとんどないので、あんまりピンと来ない。
もっとも、群馬県での調査では、「実家が金銭的に楽」みたいな理由のようだが。
「なんのために働くか」的なことについては、日本生産性本部の行っている「新入社員意識調査」で見ることができる。
https://www.jpc-net.jp/research/assets/pdf/R12attached.pdf
気になる点としては、「自分の能力を試したい」みたいなモチベーションは、もう20年ほど下降トレンドが続いており、「人並みで十分」「生活中心」「苦労はしたくない」と、もの凄くはっきりと、「そこそこでいいっス」みたいな方向性が見えていることだ。新入社員対象のアンケートなので、一見「最近の若いやつは」みたいな雰囲気を醸しているが、中堅とかに聞いても、もしかしたらトレンドとしてはそんなに変わらないのかも知れないな、みたいなことは少し思う。
ちなみに、自分はそういう若者のトレンド的なものについては、Youtubeを唯一の情報源として盲目的に信じているタイプだ。ただ、「ブラック企業で鍛え上げられた営業マンが教える営業ノウハウ」みたいな、気合の入ったコンテンツを好んで視聴し過ぎた結果、もはや、そういうのしか出てこなくなってしまったために、もう基本的に若者は「圧倒的成長」みたいな野心をたぎらせているのだ、と激しく誤解している点が、昨今問題点として指摘されている。フィルターバブルというやつだ。
おまけを追加しておくと、ここ2年ぐらい、多くの大学なんかでリモートの授業が行われたりしていたわけだが、基本的にみんなよそ見、昼寝、ゲームの時間として活用していたようだ。
なお、自分は、自宅で仕事をするふりをしながら、映画をみたりゲームをしたりすることを「テレワーク」と定義している。別にやることやってたら、それでいいんじゃないかと思うし、どちらかというと、出社して机に座っていたら仕事をした感じになる人間のほうが問題だろうと思っている。
■ 生産性は未だに悪いのだろうか
さて、働き方改革、ワークライフバランス、的なものとセットにされがちなものに、「生産性」なるナゾめいた指標がある。最近では悲観的なニュースが多いわけだが、自分は昔から、ダラダラ働いておきながら、これだけの成果をあげているんだったら、それはそれでいいんじゃないか?みたいな疑いを抱いていたところだ。これは本当になにか問題が生じているのだろうか。
ありがちな悲観論
労働生産性についても、日本生産性本部が調査を行っている。(そりゃそうだ)
労働生産性の国際比較
https://www.jpc-net.jp/research/assets/pdf/international_trend_summary2021.pdf
大まかには、 イケてる国を並べていったらあんまり上のほうじゃない、みたいなことを言われがちなのだが、ジャパンアズナンバーワンみたいな時代から、一貫して悪いままなので、理由はよくわからないが、それはそういうもんなんじゃないの?という気がしないではない。測定の仕方として本当に問題はないのだろうか。
確かに、ここ10年で1人当たり労働生産性は低下した(米国=100とした場合の比較)ように見える。しかし、時間当たり労働生産性はそうは言っても、それほど変わっていないように見えなくもない。どちらかというと、蔓延していたサービス残業的なものが削減されていく中で、これだけの生産性を維持しているのは、悪くないようにも思えてくる。
というより、むしろ、日本の高齢化の状況を考えると相当健闘していると評価してもいいんじゃないかという気もしなくもない。
ここ10年(2010-2020)の中位年齢の推移を見ると。
・米国36.9→38.3(+1.4
・英国39.5→40.5(+1.0
・日本45.0→48.7(+3.7
となっており、さすがは超先進国ニッポンというべき素晴らしい度合いで高齢化は進捗しているわけである。
そんな中で、
1人当たり労働生産性
・米国95,651→141,370(+48%
・英国72,832→94,763(+30%
・日本66,221→78,655(+19%
時間当たり労働生産性
・米国62.3→80.5(+29%
・英国52.2→69.3(+33%
・日本39.8→49.5(+24%
というのは、なんかそんなに問題視するような事なんだろうか。
※いずれも2010-2020の変化
普通に考えて、盛んに「働かないおじさん」みたいなことが言われるような環境にあって、未だこれだけ労働生産性を向上させているということは、どっちかというとスゴイことなんじゃないか、という風にも思えてくる。
■ 働き方改革で生産性は向上するのだろうか
世間でふわっと問題視されているナゾめいた「生産性」なるものについてだが、やはりわりとみんなあんまりわからないままになんか問題であるみたいにされている、といった話はあるようだ。
『生産性 誤解と真実』を題材にしたセミナー資料
https://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/18112901_morikawa.pdf
この本は読んでいないが、ここで指摘されているのは以下のような事である。
労働力不足により資本→労働の代替が進んでいる。これは、労働生産性を高めるが、TFP(全要素生産性)はまた別。
リーマンショック以降のTFP上昇率だと、むしろ健闘している。
生産効率みたいなものが上がると、モノの値段が下がるので、トータルだとあんまり変わらない雰囲気になったりする。
教育、訓練への投資はイイ。
「働き方」と「生産性」みたいなのをセットにし始めたのは2015年あたりから。
労働時間削減が生産性にプラスかどうかは、場合によるので結構難しい。
ワークライフバランス的なところで良い企業は生産性が高い傾向にあるが、それは元々「良い会社だから」。
働き方改革みたいなものは、要するに「処遇改善」であって、生産性に効果があるかというと?
結局、やれば生産性向上に効果がありそうなわかりやすい取り組みは既に行われてきており、もっとできるんじゃないか、というのが、そもそも過大評価なのでは?と、そういうような話もあるらしい。
■ 長時間労働と労働生産性、そして健康
日本人の長時間労働神話は根強い。しかし、2008年に行われた研究において、結局ちゃんと国際比較をするのは結構難しくて、サービス残業とかが見えないので、よくわからない、という話もある。
日本の長時間労働(2008)https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2008/06/pdf/004-016.pdf
ここで述べられているのはこういう事である。
ヨーロッパは確かに労働時間が短い。でも、アメリカは別にそうでもない。
アジアは長い傾向がある。
有給はすべて取得するのが普通であり、取得率みたいなのは韓国ぐらいしか比べるところがない。
作業効率にとって最適な労働時間というのは存在するようだ。
それでいうと、日本は10%~20%ぐらい長すぎる。
どちらかというと、労働時間は健康の問題である。
これによると、行動経済成長期以降、生産性向上はあったが、日本ではその成果は「賃上げ」に向かい、「時短」には向かわなかった、みたいな話である。フランスやドイツでも、休暇をとるという慣習はさほど歴史が古いものではなく、第二次世界大戦後の経済成長(復興)の過程で、労働条件の改善の一環として、休暇の拡大という方向に向かって行っただけである、などとされている。
当時の日本が、どっちかというと沢山おカネがもらえた方が嬉しい、といった文化だったのかも知れない。最近では、おカネはそこそこで豊かな生活を、となって来ているので、働き手の意識の変化に伴って変わっていきそうな気がする。
もう少し、近年の研究に目を移してみよう。
長時間労働と健康,労働生産性 との関係(2017)https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2017/special/pdf/018-028.pdf
ここでは、労働時間と健康、生産性の話のほかに、成果主義とイノベーションの話もされている。見てきたように、「生産性」というものは、わかったようで、今一つよくわからないものである。「生産性」はともかくとしても、「経済成長」はあったほうが良い。「成長」において重要だとされているのが「イノベーション」である。
この論では以下のようなことが言われている。
長時間労働は健康に悪い。疲労もある。特に寝不足はマズい。
そういう意味では、労働者が健康であれば、生産性に寄与する可能性はある。
時間でなく成果で働く、は、実は保守的な人間を増やすのでイノベーションには良くない。
成果主義は、アウトプットがはっきりしている場合はよい。いわゆる出来高制である。
革新を重視する会社ではむしろ「ゆとりを持った時間」のほうが重要と認識。
とまあ、言われてみればごく普通の事ばかりである。
要するに、効率よく働いて成果を出して時短しましょうみたいな話は、やることが決まってる場合には良いが、不確実性の高い、成果のはっきりしない仕事に単純に当てはめて良いものではないということだ。特に、成果が出ないことが通常である革新的な仕事に対して成果主義を当てはめるのは結構難しいことだ、というのは頭に留めておきたい。こういう職種に下手に成果主義を持ち込むと、「大したことないちょっとした成果を、取り敢えず出す」ことに人々を動機付けてしまい、本当に必要である「失敗」が促進されなくなる可能性がある。
■ 思ったより多様な働き方は悪くない気がしてきた
働き方改革のようなものについて、自分は長らく以下のような疑いを抱いて来た。
「もはや、仕事を望む人々に十分行き渡るだけの仕事がないので、有能かつタフなやつだけに仕事が集中することを防ぎ、みんなで仕事をシェアして、なんとなく、失業みたいなものがひどくならないようにしよう。」などという、「取り敢えず、経済に目に見えた危機は到来してない感を演出する方策」なのではないかと。
そうして、仕事を失う人をいったんは防止するが、そのあとは何年もかけてじわじわとみんなちょっとずつ貧乏になっていくのだ、と。
今でもその疑いは完全には消えていないが、見てきた通り、働く個人にとっても、やたらな長時間労働を避けることは、それなりに意味がある事のようで、自説が打ち砕かれて非常に残念である。まあ、確かに体に良くないのは考えるまでもなく明らかだし、睡眠不足で頭がぼーっとするのも絶対よくないからな。
とはいえ、健康を理由にしてしまうと、これだけ家にいても面白い事がたくさんある時代、さっさと家に帰った(帰らない人もいるだろうが)からといって、健康的な日々を過ごしているかどうかは、やや疑問のあるところだ。
もちろん、自分が勝手に唱えている説によると、どれだけ余暇時間に好奇心のままに新しい刺激を得ていくか、ということは、とても仕事の質に影響することなので、ネットフリックスとかの見過ぎで昼間ぼーっとするのは、遊びから得たものとのトレードオフで、さほど悪い事ではない、ということになっているのだが、実体は定かではない。
また、週休を増加させた場合に、給料が減らされるのは、ある程度やむを得ない事のように思われる。その場合に、減った給料を埋め合わせるために、別の仕事をやり始めたりすると、結局、地獄のようにしんどいダブルワークみたいなことになって、果たして全体的に効率が良くなるのだろうか、ということは疑問に思う。労働時間の総量のようなものを規制した意味がなくなってしまうのではないかなと。
ただ、いずれにせよ、ひとつの会社に長時間囲い込まれ、年月とともにあまり刺激を感じなくなったり、社内で変に立場が上がっていき、祭りあげられて勘違いするようになったりとか、そういう事が防止できるのなら、ひとつの会社で働く時間を減らすことには意味がある。つまり、見聞を広げることに繋がるのであれば、アリなのかなと、そういうことは思う。
事例としては、若干キラキラ気味(偏見)で気になる部分はあるが、鳥取県とANAの取り組みみたいなものは、実際問題ありなんじゃないかなと。
週2日は鳥取県で働くCAの話
副業にネガティブな企業にありがちな意見としては、「人材の流出」や「機密の流出」みたいなことがあるようだけど、逆も十分あり得る気がしていて、ネガティブな側面ばかりをみるのはどうなんだろうなと思う。実際問題、外部専門家を活用している企業は沢山あるはずだけど、そっちのほうがよっぽど機密やノウハウが流出する可能性高いんじゃないかなと。あと、結局転職とかされてしまったら終わりじゃね?という。
自分が思うに、結局この辺は働く側のニーズに合わせる、という事にせざるを得ないだろう。よく、リモートとかに関しても、いや、うちはこういう会社にしたいから「オフィス/リモート」で働くことにしたいんだ、みたいな事を言う経営層の人を見かけることがあるが、おまえが働きたい会社なんか他に誰も望んでなくね?と、いつも思う。
まあ、スタンスをはっきりさせるというのはアリかもしれないが、取り敢えず、なんでもいいからまともな人間を確保しないと、何も始まらんのではと思うし、そのためには、なんか自分のポリシーとかって、あんまり優先度高くしないほうがいいんじゃないかと。
会社を経営することを、ある種、人に働く場所とおカネを提供するサービスであると捉えたほうがいい場合もあるんじゃないかと思うことがある。その代わり、Cashではなく、労働力を提供してもらうと。ただ、経営者だけじゃなくて、働いている側についても、同じような事は言えて、「なにかとの交換じゃないとなにも手に入らない」ということを、ちゃんと意識したほうがいい人はいっぱいいる気がする。自分の言い方だと、職種やポジションに関わらず「自分がなにを売っているか意識しろ」という事なんだけど。
「働いてるから給料もらって当然」も「給料払ってやってるから働いてもらって当然」も、結局はどっちもどっちなんだよな。取引が成立する適度なバランス、みたいなものを忘れると、おかしなことになるのは当然だろう。もし、複数の組織で働くみたいなことが当たり前になったとしたら、労働者も経営者も、そういうことをある程度考えるようになるのかも知れない。
流行の「働き方改革」「ワークライフバランス」「副業」みたいなものについて、自分は基本的に陰謀めいたものであるとして否定的な事を(ファッションとして)言いがちなタイプなのだが、1個1個見ていくと、むしろ今フリーランスの立場として自分が良いと思っている事を、サラリーマンにも導入する、みたいな風に見えないでもない。あまり悪口が言えなくなるのは寂しいが、なんか、、、あながち間違った方向でもないのかな、、、みたいな。
みなさんはどう思われただろうか。
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