コロナウィルスが蔓延している意味

コロナウィルスが中国の武漢だけの問題ではなくなってから、世界中への拡がりが加速度的なのには驚きだ。

幸いにも私の身近なところでは感染した、という話を聞かないので、正直なところ実感が沸きづらいというのが個人的な感想だ。

特に職場に行かずにテレワーク体制となった私には、外の環境との日常的な接触が物理的にも概念的にも減ってしまったこともあるからか、ニュースを見聞きしても、怖いと思いつつも、どうしても他人事に思ってしまう。

それと同時に、日本政府の対応なり「要請」なり、どんなことを首相が発言したとか知ると、この人たちはどういうプランなのか、あとさき考えられる人たちなんだろうか、とイラッとしてくる。

だからあんまりニュースも見聞きしないようにしている。そうすると余計に外の情報が入らない(汗)

本題に入りたい。

このタイミングでコロナウィルスが蔓延していることの意味を考えた。

歴史のクラスで、疫病が流行り、多くの人が亡くなった、という史実は勉強していると出てきた。

それは医療や科学が発達していない時代だったから仕方がないで片付けるかもしれない。

しかし、そんな昔より医療も科学も発達している現代でこそ、世界はこんな状況だ。

昔と違って、グローバル化が進んだことか助長し、各国がもう対岸の問題とは思えなくなっている。

いつの時代だろうと、疫病に人間は勝てない時があるんだと思う。

では、なぜ疫病が流行ることになったのか。

ここからは、私の勝手な想像であり、批判を浴びることは承知の上で述べる。

コロナウィルスは、どうやら子供や健康な人は重症化しにくいようだ。

かかって発症したり、重症化したり、亡くなるまでに至ってしまうのは、高齢者や持病がある人のようだ。

現代の医療や科学の発達は素晴らしい。そして日本については、基本的には社会保障の制度があるので、自分の力で生きていける人(つまり簡単に言うと働ける人)が自分の力で生きていけない人(働けない人)を支える制度になっていて、原則論としては弱い人を救う体制になっている。

しかし、その体制は現代の人間たちが考えたシステムであって、今後サステイナブルなのかは私には疑問だ。

乱暴な言い方かもしれない。
しかし、果たしてそうやって「親切にも」自分の力で生きられなくなっている人たちを生かし続けることが、本当に良いことなのだろうか。

コロナは高齢者がかかると危ないようだ。
このタイミングでコロナが出てきたというのは、
自然の摂理の上で、
私には意味があることではないかと思う。
自然の摂理のバランスが崩れてきて、
それをなんとなく直していくために
自然の摂理として出てきたウィルスなのでは?

私はただ単に無駄に寿命を延ばすような生き方は個人的にはしたくないな、と思うからこんなことを考えたのかもしれない。

早く日常を取り戻せるまで、今しかできないことに感謝しよう。

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