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教えると商売敵が増えるので、教えないほうが賢い生き方とされた

グルコサミンとコンドロイチンが軟骨を修復してくれるわけではありません。痛みをとってくれる 〝主役〟は、この2つからつくられるプロテオグリカンという物質です。プロテオグリカンはヌルヌルした状態の物質で、潤滑剤のような働きをして、関節内の軟骨同士の滑りをよくしてくれます。そのため関節の働きがよくなり、痛みがなくなる(中略)摂取したコンドロイチンは、分解され、体のなかでつくられるコンドロイチン硫酸の材料となります。この硫酸がプロテオグリカンで、これが関節で作用するわけです。過剰症の心配はありません。

「菩薩」とは一言でいえば、「人を助けるために自分を後回しにする存在」である。修行中の菩薩は、自分はまだ完全に救われていないにもかかわらず、ほかの人を先に救おうとする。

「陰徳を積む」とはまさにこのこと。 人に良く見られようということではなく、ただ「皆のために」と行動する。

走ることは、歩くより速い移動の一形態というだけでなく、力学的にもかなり異なっている。「歩くとは、竹馬のように足を運ぶことで、走るのとはまったく異なる適応を必要とする」。

「股関節から動く」ことを意識すれば身体は楽になります

歩行は脳を変化させる。しかも、歩行は創造性だけでなく記憶力にも影響を与える(中略)少し専門的になるが、脚の筋肉が収縮して身体の重心が引き上げられると、位置エネルギーは運動エネルギーに変換される。重力を利用することによって、歩行に必要なエネルギーを六十五パーセント節約することができる。位置エネルギーから運動エネルギーへのこの変換は、振り子の原理と同じである。人間の歩行は、逆さまの振り子(メトロノームのような)の動き(中略)その人の気分や意図、さらには性格の特性までもが歩き方からわかる(中略)サイコパスはそれが非常に得意らしいのだ(中略)餌食になりやすそうな人を見分ける手がかりは「歩き方」(中略)膝蓋骨は、大腿四頭筋が伸縮する際にてこの役割(中略)膝が吸収する衝撃は体重の七倍以上(中略)加齢などによって緩衝材(※膝の軟骨)が劣化すると、軟骨は血液の供給を受けていないため自然に回復することは難しい ※引用者加筆.

悪循環が繰り返されて膝の関節、さらには股関節まで変形

歩行サイクル中に足裏の表面を重心が移動(中略)足の骨はすべて三次元の軸を持っている(中略)つま先が地面を離れるときの推進力を、アーチ機構を使って補う(中略)身体問題の多くは、ほとんどの人が「足を反転させて腰や脊柱を伸ばすことができない」せい(中略)反転とは歩行サイクルの最後の段階で、つま先が地面から離れるときに足が外側へ移動する動き(中略)ほとんどの人は正しく歩けておらず、生体力学的な問題の多くは、足からはじまるという。歩いている最中、身体の重心は足のさまざまな場所へ移動していく。まず、かかとが回外(後方外側が地面に付く)してから、アーチを利用するために回内し、それから再びつま先回外して地面を離れる

重心感知のメカニズム(中略)身体の動きを感知するのは、頭部にある前庭という平衡感覚を司るセンサー(中略)しかし、前庭は基本的に静止状態の傾きを感知するセンサーなので、スポーツや運動の場面では前提だけでは機能が足りない。そこで登場するのが三半規管だ。耳の奥にある三半規管は加速度を感じるセンサー(中略)別のセンサーは全身にある。一番大きなものは筋肉の中にある筋紡錘だ。筋紡錘は筋肉にかかる張力を感じる器官で、この筋紡錘によって全身の筋肉に今どういう力がかかっているかを感知(中略)筋紡錘からの張力情報(さらには足裏の皮膚感覚器からの情報)によって感じ取っている(中略)筋紡錘をセンサーとして有効に働かせるためには、一つの条件がある。それは、「できるだけ筋肉を脱力させる(中略)微妙な重心変化をとらえるためには、可能な限り脱力して立つということが必要不可欠(中略)脱力の概念とは、「立つ」を例にとると、「立つためのギリギリの筋出力で立つ(中略)「骨で立つ」とは重心を探し続けること(中略)潜在意識下で何度も何度も重心線感知が繰り返されることで、だんだん重心線どおりの意識が形成(中略)「センター」のラインはどこを通っているのか。それは背骨の前(中略)「センター」のラインは左右の大腰筋のまさに間(中略)「センター」は、体幹中央の胸椎、腰椎及び腸骨と大腿骨を結ぶ、左右の腸腰筋のちょうど間(中略)腸腰筋というのは大腰筋と腸骨筋の二種類の総称(中略)下半身の「センター」のラインは股の下(会陰)から腿の裏、それから膝の裏側を通っている。そして膝裏から脛骨(脛の太い方の骨)の下の内顆(内くるぶし)の真下の足裏に抜けていく(中略)「センター」が通れば足の裏側の筋肉の活動性が高まる(中略)「センター」がほぼ脛骨の直下にあれば、余計な力を使わずに「骨で立つ」ことができる(中略)足裏の少し内側に体重の中心がくることが大事(中略)「センター」が通ることで大腿四頭筋の脱力が進む(中略)腿の裏側に濃い意識が通っていないと、人間はどうしても大腿四頭筋を頼りにした立ち方になってしまうのだ。いわゆる重心が前にずれた「筋肉で立つ」という立ち方(中略)日本人は、残念ながらこの腓骨側で立っている方が非常に多く見受けられる(中略)腓骨の下は腓骨自体が終点で、その下につながっている骨はない。ということは足の外側に体重を載せている人は、頼れる骨がないということ(中略)弱い腓骨を筋肉で固めて補えば、体重は一応支えられるので、身体はそれでよしと判断し、脛骨をますます使わないようになってしまう(中略)いったん腓骨側に体重を載せるようになると、どんどん脛骨から体重が抜けていって、その分腓骨に体重が載る(中略)この悪循環が繰り返されて膝の関節、さらには股関節まで変形

体の使い方に関する哲学は、人生の生き方に関する哲学と同じ(中略)ストライド(着地した踵と同じ側の踵が再び着地するまでの一サイクル)における、この「遊脚期(スイングフェーズ)」(中略)この振り子のような脚の動きは、遊脚期の最後に足が地面に接地すると反転する。この瞬間に、脚は足首を回転の中心とする「逆さ振り子」のようになる。いわば、脚のこの「立脚期(スタンフェーズ)」で竹馬になる(中略)立脚期の後半で、体が前下方に下降することにより、この位置エネルギーが運動エネルギーに変換される。これはいわば持ち上げた本を落とすようなものである。やがて振り子の動作をしていた反対側の脚が地面につくと、体の下降は止まり、新たなサイクルが始まる(中略)通常の歩行では、少なくとも片足は常に地面についているが、前に進むための鍵となるエネルギー原理は、脚を振り子のように使って位置エネルギーと運動エネルギーを交換(中略)脚は、地面についているときには、逆さまの振り子のように働き、立脚期の前半で位置エネルギーとして部分的に回収(中略)各スライドの大部分において地面に接地しているのは一本の脚だけ(中略)片足だけが地面に接地しているときでも、その筋肉が収縮して、骨盤や上半身が遊脚の方の側に倒れるのを防ぐのだ。この機能(「股関節外転」(中略)ダンサーは脚を竹馬のように使って歩くこともあるが、ほとんどの場合は、ランナーのように片足から片足へとジャンプ(中略)ランニングとは片方の脚からもう片方の脚へジャンプすること(中略)通常、フォアフット走法やミッドフット走法では、接地したときには衝撃のピーク(靴を履いていないと痛みを感じるような急激で大きな衝突力)が発生しない(中略)人間は、もともとフォアフット走法で走るように進化(中略)母趾球(足の裏の親指の付け根にあるふくらみ)で羽根のように軽く着地することにより(フォアフット走法)、踵で着地する際に通常引き起こされる衝撃のピークと、それによる衝撃波を回避

支点崩しによるエネルギーの移動(中略)「膝抜き」による落下エネルギー。実はこれが強い力を生む(中略)重力の利用で瞬時に沈ませる(中略)無重力状態を瞬間的に作ることで、「ため」や身体各部の「癒着」を解放させ、体の方向転換を一気に図る(中略)〝落下〟と〝上昇〟を同時に(中略)膝に引っ張られるような感覚で

くるぶし荷重をすると楽に立てるのは、足首に「モーメント」が発生しないからです。モーメントとは「回転させる力」のこと(中略)くるぶし荷重であれば、こういったモーメントが発生しないので、常に足首がリラックスした状態で、バランスを取ることができます(中略)センターポジションとは何か、一言でいうなら「瞬間的にアクションを起こせるポジション」(中略)野球に例えると、どこにボールが跳んできてもパッと動いて受けられる、あの構えているときのイメージです。それは「瞬時に動ける」と同時に、「どこから押されてもバランスが崩れない」ポジションでもあります(中略)意識はくるぶし荷重でも、実際の荷重は足裏全体に分布する(中略)動きに合わせて重心を下げていき、センターポジションを常にキープする、ただそれだけです(中略)低くなった重心を、ニュートラルで高い位置に戻します(中略)重心を入れ替えますが、このとき自分の両足の間から重心が外れないようにします(中略)荷重している間は、足首の角度や内外旋が緩まないように止めている感覚はあります。でも、基本的には足首は固定するものではなく、あくまで動かすものであって、常に足首から動けるように楽に構える(中略)足首、膝、股関節、どれもリラックスした状態(中略)スクワットしてジャンプするくらいのつもりで、筋力を使って地面を押すようにストレッチングします。この動作によって重心を高い位置に戻す(中略)「関節の仕事」で大きなエネルギーを生み出し、それを運動エネルギーに変換する(中略)軸を動かせば、自然に重心が移動する(中略)どんどん大きくなる遠心力を感じながら、それに合わせて重心を下げていく(中略)常に垂直に自分の体の軸がある状態を保つ(中略)重要なのは切りかえ時(ブランコでいう前後の頂点付近)(中略)乗り換えはコンパクトにする(中略)「切りかえでの重心移動」はコンパクトにおこなう必要があるのに対して、「荷重中の重心移動」はより大きくなります(中略)切りかえ直後のほんの一瞬、内足のほうに体重が多く乗っている瞬間がある(中略)切かえで瞬間的に膝がガニ股のようになるときがある(中略)膝を、先に内側に倒している瞬間(中略)それはほんの一瞬(中略)この一瞬の内脚荷重は、基本ができた上ででの応用技術(中略)落とし込むような意識で、脚をねじ込んでいく(中略)始動で脚をねじる動きを使う

要は本人に好奇心があるかどうかです。好奇心というのも、学校教育でかなり摘み取られています(中略)学校で洗脳されます(中略)だから学校教育で、好奇心を骨抜きにされている人が多いのです(中略)脊椎症や脳性マヒなどのリハビリにもナンバ歩きをもとにして、動きや症状の改善も行なってきました。リハビリにも応用できます(中略)置いた足の足首を意識して動かさない(中略)足首をなるべく動かさない(中略)重心を崩し、脚が前に出るようにしないと、全身で動いているとは言えない(中略)重心を前に崩す(中略)足首の動きが、右半身と左半身の上下の連動を起こしている(中略)骨を動かそうとするだけで筋肉も鍛えられる(中略)歩き出す際、脚の筋肉で蹴り出すのではなく、ただ、重心を前に崩す事によって自然に脚が前に出る。この繰り返しが歩みになる(中略)重心を崩し脚が前に出る、の繰り返しが歩くということ(中略)動きが滑らかになれば、その副産物として違和感や痛みから解放されます(中略)映画人や役者は、勉強不足としか言いようがありません。時代劇を撮るなら、江戸時代の特殊技能であったナンバ走りを、映画やドラマでも再現してもらいたいものです(中略)現代の動きと江戸時代までの動きは、全く違うものです(中略)特別な人たちというのは、表の世界では飛脚で裏の世界では忍者です。特殊技能であるナンバ走りができるのだから、それは高級が稼げたはずです(中略)特殊技能はお金になる(中略)そして特殊技能ですから、簡単に他人には教えません。秘伝ですから。今も特許ともいうらしいのですが。だから、誰にも教えません(中略)江戸時代の長者番付を見ると、飛脚はかなり上の方にランクされている(中略)忍者の服部半蔵は、いまだに東京で半蔵門という名を残している(中略)(※ウサイン・)ボルトの走りも「ナンバ走り」(中略)このことはフィギュアスケートでも同じこと(中略)武士は素早く力強く動いても、着物が着崩れないように動いていました(中略)ナンバ歩きで歩いても、ほとんど誰も気づかなくなります(中略)難しいことに取り組むのを楽しめるかどうかで、人生はどうにでも変わってきます。※引用者加筆.

股関節の中心の力みがうまく抜けるようにする(中略)この1、2ミリ浮かせるのが最難関と言えるかもしれませんが、この難しさは転子化を「さらにさらに」進めるための強力な足がかり(中略)軸とハムストリングや大腰筋が強化され、裏転子の形成が促される(中略)足裏の操作や、転子をさりげなく意識する(中略)進んだ段階に到達したとします。その状態で、右の踵と転子を結んだ直線をシャフトとした回軸運動を行います(中略)大転子周りのたくさんの組織(骨や筋肉)を巻きこみながら(中略)このプロセスは、徹底して行う必要があります(中略)これによって指先と股関節、立ち方、全身のあり方にまで深い連動が引き出されます(中略)軸が使えるようになると、軸が各腕脚と連動する(中略)抵抗に打ち克ちながら歩くと、いかにも仕事している、歩いているという実感があるだけでなく、いかにも筋肉を使っている感じも生まれます(中略)軸は、抵抗、仕事量を増大させるためにあるといっても過言ではありません(中略)軸ができているか、どれほど優れているか、あるいはトレーニングが上達しているかどうかは、歩き出すとき、歩いているときに、どれだけ重みを発生させられるかで決まります(中略)別の言い方をすれば、ドライブ軸とは、進行方向とは反対方向へ重みを発生させる軸だということです(中略)抵抗を感じながら切り進むことができなくてはなりません(中略)抵抗に打ち克つことによって鍛錬を進める(中略)抵抗成分が整理され、取捨選択され、大腿直筋に集約されてくる(中略)抵抗成分をいままでと同じか、さらに増すように努力しながら大腿直筋の筋収縮を減らしていかなくてはなりません。これは大変難しいことです(中略)軸、さらにこの先にフォアフット軸がある(中略)空中に潜在意識としての地面が形成される(中略)抵抗成分を大腿直筋に集めることが非常に重要な整理の仕方(中略)踵躍進はヒールストライクではない、まったくの別ものである(中略)踵躍進は、フォアフットと矛盾しないどころか、一人の人間の中に共存し得るものなのです(中略)踵躍進のほうが難しいとも言える(中略)そもそもフォアフット走法ができる足の速い選手で、踵躍進まで使えた人というのは類まれな天才だったと考えることができるでしょう。今なら大谷翔平がその代表です。

メジャーリーグで一番よい歩きをしているのは、誰だかわかりますか、大谷翔平です(中略)足先が転子と連動して、転子を強く形成しなければ、フォアフット走法にならない(中略)フォアフット走法は江戸時代では当たり前(中略)典型的な例でいえば、江戸時代の飛脚、駕籠かきで、走ることが職業の人たちです。浮世絵や幕末の写真を分析してみると、この人たちの中にとんでもないフォアフット走法の達人がいたことがわかります(中略)戦闘者として鍛えられた武士は当然のようにフォアフットが使えました

膝は脱力して「ゆるめ」なければならない(中略)このような立ち方をしておいて、いざというときはそのブレーキを開放し一気に動き出す

より深い脱力とは、股関節を中心にして脚をわずかに持ちあげるための筋肉を、腸腰筋、より正確には大腰筋へとシフトさせていくこと(中略)普通はどうしても大腿直筋や、大腿筋膜張筋、膝から下の前脛骨筋といった筋肉に過剰に頼って硬縮が生まれます(中略)脱力を深く、広く進めながら、わずかな筋力を、より体幹の中心である大腰筋主導に切り替えていけるかが山場です(中略)「水平面」という身体意識の能力が必要(中略)フォア・フット軸は、単なる足の使い方だけで成立するものではなく、身体意識としての「地芯」、重心線に沿った「センター、軸」そして「水平面」がなければ成立しません。「水平面」は「地芯」、「センター、軸」との三者関係の中でお互いに影響し合いながら成立するものだからです(中略)フォアフット軸の攻略は一筋縄でいくものではありません(中略)段取りができないとフォアフット軸が本物としては育っていきません。実際の歩法・走法の中でフォアフット軸を鍛えることとは難しさの意味がまったく異なるからです(中略)パイルカーペットの短い毛足を5本の足指と5つの指球(フォアフット)を使って、まずはしっかり掴みます。この目的は極めて明確で、股関節の中心をハッキリクッキリと転子化することです。しつこいようですが、よほど心を徹してその気にならないとできることではありません(中略)やさしく摑むのは至難の業(中略)しっかりやさしく摑んでいる5つの足指と指球をそのまま1、2ミリ浮かせます(中略)足踏みを行いながら床面から水平面を学び取ります。支持脚は膝をわずかに屈曲した状態(自然屈曲)で楽に伸ばし、操作脚は支持脚より少し深く膝を屈曲しつつ脚全体を股関節からまっすぐに引き上げる(中略)ここで大事なことは、足裏が床から離れても水平を保ち続けること(中略)とにかく至難の業なので、できるようになるまで何度もくり返してください(中略)1、2ミリ浮かせようとするだけで、多くの人は固まり出します(中略)全身のパーツをゆるめ解きほぐす専門的なトレーニングをしていない人には無理と思われることを要求しているとご理解ください。くり返しますが、それなくしてできる人がいれば、相当にセンス、才能のある人で、かなりのフォアフット軸をすでに身につけているかもしれないということです。

膝抜きができるかどうかが世界の一流、さらには世界のトップ・オブ・トップ選手になれるかどうかを分ける

息を吐くとき、お腹をへこませる(中略)「重心」は、「腹が据わっている」というときに使われる「腹」や「丹田」と同じ場所にあります。仙骨の二番目の前あたりです(中略)「筋膜」とは、筋繊維を包む膜です。筋肉、筋肉といいますが、じつは筋肉は筋繊維が束ねられたものです。その束ねた筋繊維を包むのが筋膜(中略)大腰筋は鍛えるということが基本的には難しい筋肉

大腰筋は、腰からはじまり、お腹の中を通って、腿の内側の付け根である小転子にかけてつく、太くて長い深層筋(中略)中世までの日本人はお尻や大腰筋を使って歩いていたようだ(中略)ふくらはぎがやけに細いということです。腿も決して太くない。もうひとつはお尻が発達している

「なんば」から常歩による走歩行(中略)常歩・速歩・駈歩・襲歩の4種類があります。最も速く走るときの歩様が襲歩で、ギャロップともいいます(中略)酔ったときや竹馬に乗った時の感覚が二軸感覚です。安定するための中心軸がありません(中略)骨盤自体が丹田(中略)中丹田の開放を習得すると、驚くほど身体の動きが滑らかになります(中略)肩甲骨が「外放」します。このことによって体幹上部と上肢がフリーな状態になります(中略)「常歩」の基礎となる立ち方。筋肉を使わずに楽に立つ(中略)二軸動作に必要な姿勢を習得する(中略)立禅の姿勢は気功法では「站椿功」といい、気功でも最も代表的な姿勢です。この姿勢は、先に説明した常歩の立ち方の状態(中略)二軸感覚の立ち方、歩き方(中略)「抜き足」の動きを覚えることが必要(中略)技術については秘密主義を保持してきました。元々、武道は命のやり取りを前提としていますので、自分の流派の技術を他に公開することは、自分の生命にかかわることであったわけです。そのような風潮が現在でも続いています。

着物が着崩れないようにして歩くことが、ナンバ歩き(中略)江戸時代まではナンバ歩きをしていた日本人(中略)特殊技能・ナンバ走りを身につけていたのは、公の職業では飛脚で、影では忍者(中略)ナンバ走りを身につけることが職業(稼ぎ)に結びつくので、簡単に教えたりはしないで、彼らはそれを秘伝として隠していました。ナンバ走りを教えると商売敵が増えるので、教えないほうが賢い生き方とされた

側体のづれ運動ができることが、「身体を背骨で割る」「脊を割ってずらす」という身体操作

自分の身体の中で重心感知・制御が行われていることが重要(中略)自分自身の身体の重心感知。コントロールが正確にできることが大前提(中略)ではなぜ感知できないのかというと、もうお分かりのように、自分自身の身体の重心を正確に感知することができていないからだ。同じような例はいくつもある。たとえばクルマの運転(中略)オートバイでも自転車でも同じだ(中略)上手に自転車に乗っている主婦は、人車一体の重心感知でみごとに自転車を乗りこなしている(中略)例えば料理人だったら、ボールではなく包丁を使う。その包丁を持った時に、包丁の重心を感じ取ることができなければ、当然刺身も大根も上手に切ることはできない(中略)哲学の身体論でも、「道具(モノ)が身体化してくる」という考え方がある(中略)道具やモノの操作というのは、自分の身体の中で行われている現象の応用と言える(中略)できる人のふくらはぎが、あんなに細いということは、「細くても動ける」のではなく「細くなければ動けない」ということの証(中略)ふくらはぎの筋肉のつき方を見ただけで選手のレベルはわかる(中略)いったん腓骨側に体重を乗せるようになると、どんどん、どんどん脛骨から体重が抜けていって、その分腓骨に体重が載る。腓骨に体重が載れば載るほど筋肉が固まって脛骨は不要だという信号を出す。この悪循環が繰り返されて膝の関節、さらには股関節まで変形(中略)(重力)に必要最低限の抗力で立つ(中略)吊られたような立ち方が究極の立ち方(中略)そもそも、定位置に静止して「立っている」ことのほうが困難で、むしろ動いたほうがラク(中略)大腿直筋を使わずに、できるだけ腸腰筋を使う(中略)老人のリハビリ現場でもこの腸腰筋に注目が集まっているのだ。ケガや病気などでしばらく寝たきりになったり、車椅子を使っていた人が、再び歩くトレーニングをする時に、腸腰筋のトレーニングが非常に有効

ふくらはぎの筋肉は、脚にある静脈と、体中の廃棄物を運ぶ排水路の役目をしているリンパ系に、血液などの液体を滞留させないようにするポンプとして働く。

腰筋でストレス管理(中略)腹部の筋肉を制御する脳領域が、ストレスに関連する器官の経絡図のど真ん中を占めている(中略)コアマッスルのなかでも、つねに名前があがる筋肉が腰筋だ。脚を引き上げて前へ出す筋肉でもある。

おそらく、病気の痛みに悩まされない程度にオステオカルシンを分泌させる何らかの運動を行う以外に我々に選択肢はないのでしょう。私自身、個別にお返事する時間がないのですが、「ギックリ腰チャンネル スペース 調べたいワード」でnote内検索していただければ、詳しく検証した記事が見つかると思います。



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