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Mとはメンジースのこと

作家のヘミングウェイは、さまざまな国の革命運動に参加し、傑作を残しました。

ガートルード・スタインの家でマティスはピカソと知りあった. 

ジェームズ・ボンドの家紋には、ボンド家のモットーである「Orbis Non Sufficit───この世界では足りない」というラテン語の文字が記されている。

ボンドはミッション(任務)のためなら、善意やモラルを軽々と捨て去る。時と場合にもよるが、私にはそれが冷酷ではなく、勇気に思えることが多い。

費用対効果が重要なのは、既にお話ししたように、進化は節約好きな過程であって、同じ目的を達成するのに競争相手より多くの時間とエネルギーを費やす動物は、自然淘汰によって不利な立場に立たされるからだ。 アンディ・クラークはこれを「007の原理」と呼んだ。ジェームズ・ボンドばりのトップ・クラスのスパイになるには、任務達成に必要なことさえ承知していればいい。

映画の世界では、ジェームズ・ボンド・シリーズの初期に登場したドクター・ノオという悪役がいる。

一九六二年の映画『ドクター・ノー』で、ジェームズ・ボンドが目を覚ますと、タラチュラが一緒にベッド・インしていた。彼の腕をゆっくりゆっくりと這い上がって行くクモに目をくぎ付けにしなら、あなたがその毛に覆われた細長い脚を我が身に感じることができたのは、ミラー・ニューロンが一生懸命働いていたからである

キム・フィルビーこそは、『007』ジェームズ・ボンド(イアン・フレミング著)の真のモデル(中略)キム・フィルビーは、第二次大戦が始まった1939年9月から、ずっと、イギリスMI6の長官のスチュワート・メンジース(ミンギス)から絶対的な信頼を受けていた。このメンジースという男がフィルビーの親分で、『007』のM(エム)です。Mとはメンジースのこと(中略)キム・フィルビーのお父さんのジョン・フィルビーは、インドおよびイスラム研究の学者で植民地行政官です。この人は 〝アラビアのロレンス〟ことトーマス・エドワード・ロレンス(1888〜1935年)と全く同じときにアラビア人の格好をして動いている。サウジ王家の復興者イブン・サウード(1875〜1953年)の顧問もやっていた。いまのサウジの国王たちは順番に全員、このイブン・サウードの息子たちですからね(中略)よくスパイ小説と現実の諜報活動は異なると言われますが、そうでもありません。実はスパイという本業とスパイ小説を書く仕事は隣り合わせ(中略)『スプークス』は2002年から2011年まで10年近く放映されたイギリスの国策ドラマ(中略)これは、MI5とMI6とフリーメイソンが全面協力しているテレビドラマ

メンジーズから絶対的な信頼を受けていたのがキム・フィルビー(中略)実はこのキム・フィルビーこそが、映画「007(ダブル・オウ・セブン)ジェームズ・ボンド」の真のモデルである。ジェームズ・ボンドの上司である「M」とは、その頭文字が物語るとおり、フィルビーの上司であったMI6のメンジーズ(Menzies)長官のこと(中略)「第三の男」〝The Third Man〟(1949年公開)の主人公ハリー・ライムも、まさしくこのキム・フィルビー(中略)このほかにも、アーネスト・ヘミングウェイ(この人もOSSでアメリカ政府のスパイ)の小説、映画「誰がために鐘は鳴る」(1943年公開)という、スペイン内戦時の人民戦線(スペイン共和国軍)に参加したジャーナリズムを描いた、あの映画の主人公のモデルもキム・フィルビーである。それから、スパイ小説の大家ジョン・ル・カレが描いた『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963年刊行)もキム・フィルビー(中略)どうも中央公論社は、この世界の上の上、奥の奥(abover the law 雲の上)の組織に、日本から参加している出版社であるようだ(中略)グレアム・グリーンはイギリスの有名な作家(中略)グレアム・グリーンは、戦争中MI6の中でキム・フィルビーの部下だった。「007」のイアン・フレミングも、ジョン・ル・カレも部下だった(中略)「第一の男」はドナルド・マクリーン(中略)「第二の男」はガイ・バージェス(中略)彼らが "ケンブリッジ・ファイブ" であり、MI6の高級幹部でありながらソビエトの2重スパイをしていた(中略)ニコラス・エリオット(中略)この男もMI6の大幹部(中略)特殊作戦執行部の部長だ。フィルビーの終生の大親友(中略)ニコラス・エリオットの父親は貴族様だ(中略)イートン・カレッジの校長だった(中略)エリオットの父親のほうがエリザベス女王よりも偉そうだ。彼らが秘密結社の頂点なのだ(中略)当然「第4の男」もいる(中略)アントニー・ブラント(中略)これはMI5の幹部職員であり、エリザベス女王の美術品鑑定士を務めた美術史家(中略)ちなみに、ヴィクター・ロスチャイルド(1910〜1970)というロスチャイルド財閥(第5代)当主の人物がいる。第二次大戦中、イギリス陸軍に入隊し、MI5の部長も務めた。この男を私は「第0番目の男」にした。ヴィクターは、1962年8月からキム・フィルビーの摘発側に回った(中略)キム・フィルビーはどのように育ったのか。彼の父親はシンジョン・フィルビー(中略)パンジャブ地方のアンバラという都市の行政長官を務めた。中堅官僚だから、イギリスのまあまあ上層階級に所属していた。貴族ではない。武士階級である。彼の真実の顔は、サウジ・アラビア(即ちサウド家のアラビア)の建国に関与したアラビア学者であり、イギリスMI6の幹部だ(中略)サウジアラビア国王の 〝中興の祖〟 アブドゥルアジズ・イブン・サウード(中略)サウジ王国は、今のサルマン国王まで(2015年から)全て6人ともこのイブン・サウードの息子たち(中略)キム・フィルビーの父親は、このサウード国王の顧問をしていた(中略)文豪ヘミングウェイもアメリカの国家情報部員(※CIAの前身OSS)だ。ジョージ・オーウェルもMI6だ(中略)キム・フィルビーは、モスクワからフランコ軍をスパイするよう命じられる(中略)フィルビーは、なんとフランコ好きの右翼貴族の奥様と愛人関係になる。だからフランコ将軍の側近グループに接近できた(中略)フランコと戦う左翼の国際義勇軍のなかに作家やジャーナリストがいた。その最たる例がジョージ・オーウェルとアーネスト・ヘミングウェイだった ※引用者加筆.

ヘミングウェイがパリで報道記者をしていたとき、(※ガードルード・)スタインは彼に仕事をやめて小説を書き始めるよう勧めた(中略)ヘミングウェイは彼女の草稿を校正することで文の書き方を学んだと自慢した。ヘミングウェイの、無駄な要素を取り除いた、徹底的に短くて簡素な文は(時には文が長くて文法的ではないこともあるが)、スタインのより厳しい実験を反映している(中略)最初に本書を思いついたのは、エリック・カンデル博士の神経科学研究所に勤めていたときのことだった(中略)本書の教訓は、人間は芸術と科学で成り立っているということである。人間は夢の原料のようなものだが、同時に、たんなる物質でもある(中略)ガードルード・スタインは、前衛芸術家になる前は科学者だった(中略)一九五六年、ノーム・チョムスキーという名の内気な言語学者が、スタインは正しかったと発表した。すなわち、人間が使う言葉は目に目ない文法によって束縛されており、その文法は脳の内部に埋め込まれているいる、と(中略)スタインがいちばん親しかったのはパブロ・ピカソだった。評論『ピカソその他』(一九三八)の中で書いているように、「あの頃、ピカソを理解していたのは私ひとりだった。たぶんそれは、私が文学において同じものを表現しようとしていたからだ」。※引用者加筆.

当時ピカソはマティスと面識はなかったが、ガードルード・スタインという共通の知人がいた。スタインはモダニズムの詩人として知られ、パリのアパルトマンでサロンを開き、多くの現代画家や、アーネスト・ヘミングウェイ、F・スコット・フィッツジェラルド、エズラ・パウンドなどの作家たちと交流を持っていた。ピカソは「(※マティス作)生きる喜び」を見に行き、スタインにマティスを紹介してほしいと頼んだ(中略)運命の会合に、マティスはアフリカ・コンゴのビリ人による彫像(※立像)を持参していた(中略)(※ピカソが)しばらくしてマティスを夕食に誘ったときにも、同じ彫像を持ってきた(中略)その夜、ピカソはアトリエに戻ってすぐ絵を描き始めた。このとき描いた「アビニョンの娘たち」は、現代美術史上屈指の名作となった。※引用者加筆.

ヘミングウェイは生前、15冊の本を出版した。彼がよく使っていた効率を上げるテクニックは、わたしもよく使っている(本書の執筆にも)。彼は、節や段落の終わりではなく、よく文章の途中で執筆を辞めることがあった。未完成の感覚を抱くことにより、中間地点の効果が発生し、翌日はただちに、勢いよく執筆活動に取りかかることができた。ヘミングウェイのテクニックが功を奏する理由の1つに、ツァイガルニク効果がある。人は完了した課題よりも未完了の課題のほうをよく覚えている傾向がある。という現象のことだ。

映画は、人生経験を経て見直すことで、「うわ、このシーン、たしかにあったのは知ってるけど、こんなに大切な意味があったんだ」と気づけるのです。

ゲルトルード・スタインが先だって私(※岡本太郎)に向かって非常に嬉しそうに、とうとう貴方の絵に表現してあるものが解った。三人の音楽家が描いてあるのでしょうと言った。※引用者加筆.

まとめ

(1)アーネスト・ヘミングウェイはOSS(CIAの前身)

(2) 「第4の男」アントニー・ブラント、MI5幹部でエリザベス女王の美術鑑定官だった美術史家。

(3) ガートルード・スタインはアーネスト・ヘミングウェイを指導した美術史家。

(4) ピカソはフランコ将軍に敵対するグループにいた芸術家。ピカソもまた、美術史家ガートルード・スタインから指導を受けていた。ピカソはガートルード・スタインの肖像画も描いている。

(5) ガートルード・スタインの指導を受けに行ったのは、マクロビオティック・クッキーで有名な森永製菓の安倍昭恵夫人の親戚である岡本太郎。


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