ピカソの闘牛に対する熱狂は、マラガでの幼年期に辿ることができる(中略)「サルバトール伯父さんがある日僕(※ピカソ)に言ったんだ。ミサに行かないのなら闘牛に連れていかないぞってね。それでミサに行ったのさ。闘牛に行くためなら20回でもミサに行っただろう」。こうしてピカソの闘牛好きは作品にも反映され、油彩作品も、版画や彫刻作品も始めて制作したものはすべて闘牛を主題としたものだった。ピカソにとって闘牛は単に嗜好の問題に留まるものではなく、そこに深い人生観さえ読み取ることができる。「僕たちスペイン人ってやつは、朝はミサ、午後は闘牛、夜は売春宿ときている。いったい、何を通してそれが混ざり合うのかって? 悲しみだよ」という言葉は、ピカソが闘牛に生と死、性といった要素が凝縮された人生の縮図までも見ていたことを示している。※引用者加筆.