歌舞伎の演目「勧進帳」は、指名手配中の源義経が武蔵坊弁慶とともに変装して安宅関所を超えるという話です。義経が弁慶の弟子として関所を通ろうとすると、その関所を守っている富樫に怪しまれます。「それ、義経じゃないか」と言われた時に、弁慶が主人である義経に対して、「おまえがモタモタしているから、こんな疑いをかけられるんじゃないか」と言って棒で打つという筋です。この時、富樫はそれを見て騙されたと思うのは野暮な解釈です。関所を守る富樫は、仕える者が主人を打つという、当時としてはありえないことをあえてする弁慶を見て、「この主人をそこまでして守りたいと思っているんだな」と理解し、見て見ぬフリをして義経を通します。観客としては、「関所を守っている富樫にバレないか」というサスペンスで見るのか、「2人の主従関係に感銘を受けて冨樫が気づかぬフリをして通してくれた」と考えるかで、野暮な人と粋な人に分かれます。ここで面白いのは、「勧進帳」の主人公が富樫になっていることです(中略)洞察力をつけるためには、自分がその難しさを体験してみることです。そうすれば、一見、簡単そうなことでも、それをするためにどれだけのハードルを越えて、修羅場をかいくぐってきたかがわかります。修羅場をかいくぐっているから、洞察力がついてくるのです。