(※ピカソは)ジャコブと出会うまでフランス文化の迷宮を案内してくれる知り合いをもたなかった。それが今になってようやく、興味深い話の宝庫のような案内役と巡り合った(中略)ピカソが不自然でもなければ、ウィットにも富み、ときには雄弁にも聞こえるフランス語を (強いスペイン語訛りは消えなかったとはいえ)なんとか話せるようになったのは、ひとえにマックス・ジャコブの個人指導の賜物だった(中略)詩人(※ジャコブ)はピカソと初めて出会ったときのことを、かなり詳しく書き残しているけれども、絵描き(※ピカソ)と恋に落ちたことだけは黙して語らない(中略)ジャコブは頼まれれば歌手にも歌の先生にも、ピアニストにも、喜劇役者にもなれたし、パーティーとなればひとりで雰囲気を盛り上げました。よく即興でちょっとした芝居を演じ、主役はいつもでも本人が務めるのです(中略)ジャコブはどんなオペレッタも、どんなオペラも知っていたし、ラシーヌとコルネイユの悲劇も、喜劇もみなそらで覚えていました ※引用者加筆.