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真実に向かって指さすことはできます。禅ではそれを「指月の法」といいます。

考えることをいったんやめて、心地よさ、くつろぎの状態に心を置くことです。 心がその状態にあると、それまで見えなかったものが見えてきます。 気づかなったことに気づくのです(中略)「 誰家無明清風 ( 誰が家にか明月清風なからん ) 」 裕福とか、貧しいとか、ということにかかわりなく、どんな家にも名月の光は落ちてくるし、清らかな風も吹いてくるのだ、という意味───曹洞宗徳雄山建功寺 枡野俊明住職(著書名失念)

どんな家にも名月の光は落ちてくる

画家と詩人は、同じグループに属していることが少なくない。

ピカソ(引用者撮影)

(※ピカソは)ジャコブと出会うまでフランス文化の迷宮を案内してくれる知り合いをもたなかった。それが今になってようやく、興味深い話の宝庫のような案内役と巡り合った(中略)ピカソが不自然でもなければ、ウィットにも富み、ときには雄弁にも聞こえるフランス語を (強いスペイン語訛りは消えなかったとはいえ)なんとか話せるようになったのは、ひとえにマックス・ジャコブの個人指導の賜物だった(中略)詩人(※ジャコブ)はピカソと初めて出会ったときのことを、かなり詳しく書き残しているけれども、絵描き(※ピカソ)と恋に落ちたことだけは黙して語らない(中略)ジャコブは頼まれれば歌手にも歌の先生にも、ピアニストにも、喜劇役者にもなれたし、パーティーとなればひとりで雰囲気を盛り上げました。よく即興でちょっとした芝居を演じ、主役はいつもでも本人が務めるのです(中略)ジャコブはどんなオペレッタも、どんなオペラも知っていたし、ラシーヌとコルネイユの悲劇も、喜劇もみなそらで覚えていました ※引用者加筆. 

「目的合理的」とは社会学のマックス・ウェーバーが提唱した概念で、ある目的を目指し、結果を得るためにもっとも適切な手段を取ることを意味します。これと対置されるのが「価値合理的」。 結果はどうであろうと、自分の信じる正義や信条などに準じて行動することです(※ウェーバーは「資本主義はプロテスタントたち、とくにカルヴァン派の勤勉な思想から生まれた」としたものの、実際は資本主義はジュダイズム、ユダヤ人の思想であると副島氏は指摘。さらに世界中の社会学者はマックス・ウェーバーの著作を聖典とし神棚に飾っているといわれる。金持ち、資本家になれるのは、ごく一部の人間だけだ。世の中の大半(大部分)の人は、労働者か農民として貧乏なまま死んでゆく。このように言わなければいけないと。ちなみに宗派の創始者のジャン・カルヴァンはユダヤ人。カルヴァン派とドイツ農民魂のルターは戦っている。同じプロテスタントなのに戦争までしていると。マックス・ウェーバーはルターが嫌いでフランスとスイスの国境の都市に君臨したカルヴァンのほうが好きだったようだ『マックス・ウェーバーの犯罪』山本七平賞受賞が良書とされている)───元財務省官僚 山口真由弁護士(著署名失念)※引用者加筆.

(※マックス・)ウェーバーは画家のジュール・フランドンを伴ってピカソのアトリエを訪ね、パネルに描かれた小さな静物画と 「恋に落ちた」。ウェーバーは一銭の持ち合わせもなかったにもかかわず、この絵を買おうと申し出た。そして値引きを期待し、あわよくばプレゼントしてもらおうという魂胆から、しつこくせがむ調子の手紙を送る。このときばかりはピカソも相手の思いどおりにはならなかった。ウェーバーはピカソの絵を持たずに帰国の途に着く(中略)ニューヨークに戻ったウェーバーは、ピカソ、マティス、アポリネール、そしてルソーと顔見知りであるというだけで、予言者として遇される。※引用者加筆.

マックス・ウェーバーは、プロテスタンティズムの精神(本当はユダヤ思想返りだ)が資本主義を生んだ、としている。マックス・ウェーバーの教義(ドグマ)に対して近年大きな疑義が生まれている。資本主義(という金儲け肯定・礼賛の思想)を作ったのは、やっぱりユダヤ人(のユダヤ思想、ジュダイズム)だろう。私は、ヴェルナー・ゾンバルトの学説を支持し、ウェーバー学を、今や、決然と否定する。

(※ニュートンの)錬金術に関する文書の大部分は、入札した経済学者のジョン・メイナード・ケインズに買い取られた↓
「Y(※年収)=C(※コスト 電気代、光熱費) + I(※インテレクト 才能、知能)」

支配と権力はマックス・ウェーバーが使ったが、これはマルクスの思想では上部構造と下部構造とした。上部構造は宗教とか国だ。下部構造が私たちの生の生活だ(中略)価値を増殖できるのは、能力のある人だけなのだ。これをカール・マルクスがわざと無視した。すべての人間が労働することで、余剰価値を生む、付加価値を生むと言った。ところが、これはウソである。能力のある人間だけが、付加(余剰)価値を生む。余剰価値、surplus value を生むのは、能力のある人間だけなのだ。それが「Y(※イールド 生産高。個人であれば年収)=C(※コスト 会社の建物や工場設備。及び能力のない社員やただの従業員たち。電気代、光熱費、従業員の給料) + I(※インテレクト 才能、知能。利益を生む社員。有能な人材。有能な経営者)」という式である。この「Y=C + I」の数式は、イギリスの大天才経済学者のジョン・メイナード・ケインズが作った(中略)アメリカ政府にとっては、宇宙開発は、もうこれ以上無理だ(やっても意味がない。核ミサイルだけでいい。月には人間はいけない。笑)と分かっている。だから、NASAの一部を民間企業に払い下げした。「その替わりに、この技術者たちを食わせてくれ」で、イーロンが4000人ぐらいを引き受けた(中略)だが、イーロンのスペースXでは、宇宙に行けない。月(36万キロも先だ)にさえ行けない。※引用者加筆.

ユビで指さなければ、月に気づかない人もいる

理屈では真実そのものを表すことはできませんが、真実に向かって指さすことはできます。禅ではそれを「指月の法」といいます。真実そのものは空に浮かぶ月のようなものです。言葉は、その月を指し示すユビでしかありません。しかしユビで指さなければ、月に気づかない人もいるでしょう。そのため、禅寺でも言葉を頼りに勉強するのです───曹洞宗の禅道場安泰寺 ネルケ無方住職(著書名失念)

「どうもおかしいなあ。変だなあ」と疑うことが大事

大事なのは「アポロ計画」が有ったか無かったか、ではなくて、「人類の月面着陸」は有ったか無かったか、だ(中略)日本の国立科学博物館と東京大学に、当時、月の石と呼ばれているものがNASAから送られてきている。今はずっとずっと奥の方に隠してあって、見られないようになっている。東大の学者の1人で───ネット上にあった情報なのだけれど──その石を一所懸命調べた助手の人がいて、「いや、これは月の石じゃない」と論文に書いた。その人は行方不明になったらしい。つまり本当の科学者(サイエンティスト)だったら分かるのだ。ウソつきにはわからない(中略)大槻義彦早稲田大学名誉教授は、岩石の放射線の研究者で専門家だ。本当に月面の石だったら、放射線の小さな穴が空いているはずだ。宇宙線の穴がなきゃいけない。だが、ない。だからアリゾナ州の辺りの石ころだろうと彼は言ってしまった。それで、そのあとNHKのクイズ番組に出られなくなった(中略)「私は本当のことは言えないんだよ」と大槻義彦氏が答えた場面を、テレビで見たことがある。「無かった派」の私たちの疑問に対して、今もJAXA職員がスタッフとして入っている「月探査情報ステーション」というサイト(http://moonstation.jp/ja/poular/index.html)が反論している。ここの「月の雑学」(http://moonstation.jp/ja/poular/index.html)の第三話「人類は月に行っていない!?」で、詳細に答えている。しかし、それらの答えの専門家的なコトバをちりばめ、小難しく書いている。「自分より頭のいい理系の学者たちが詳しく反論しているのだから、やっぱり月面到達は本当にあったのだろうなあ」と一般の人々に思わせる(騙してしまう)書き方になっている(中略)月面着陸を43年前にやって、そのあと今も何もしないというのはおかしいことじゃないかと、素朴に疑えばいいのだ(中略)やはり自分に正直であるということが大事です。辻褄の合わないことがあった時には、「どうもおかしいなあ。変だなあ」と疑うことが大事です。自分の脳で考えてみて、大きな企て、たくらみ、はかりごと(謀)がたいていの政治問題、社会問題、大きな事件の背景にはあるのだろうと考えをめぐらすべきだ。話の辻褄が合わない時には、やはりそこは疑ってかかり、裏側の真実が、ストーリーがあるはずだと考える(中略)権力者たちの共同謀議がここにもあるのではないか、と疑うことが大事です。


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